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炎の魔神みぎてくん 熱帯低気圧④「箱舟、始動するわ!」

4.「箱舟、始動するわ!」

「本当にこまりましたね、ポリーニにも…」
「冗談ごとじゃすまないよなあ」

 学校をほうほうの体で脱出したコージたちだったが、当然のことながら表情は暗い。明日は台風のおかげで休校決定だというのに、これでは最悪である。いや、そういう問題ではない…せっかく蒼雷そうれいたちがバビロンの街に来たというのに、こんなひどい実験につき合わすというのは、いくらコージたちでも罪の意識がある。

 一同は大学を出てすぐに、近所のファミリーレストランに駆け込んだ。ささやかながらも「蒼雷君歓迎会」である。本当ならば居酒屋などに乗り込んで盛大に飲みたいところなのだが、明日があまりにも早いもので、とてもそんなことは出来るはずはない。それに何より店の方があまり開いていないという問題も有る。
 なにせ明日は台風ということもあって、街ゆく人は寄り道などせずにことごとく帰宅している。普段ならばこんな夕飯時だとレストランや居酒屋は満員状態だろうが、今日は本当にがら空きである。まあそのおかげで彼らは並ぶことも無くレストランに入ることが出来たのだが、がら空きすぎてなんとなく活気も無い気がする。
 注文を済ませて、軽く乾杯をして、本来ならばいろいろバカ話に突入するはずの夕食なのだが、今日に限っては全員浮かない顔をして、まるでお通夜の会食のようである。いや、明日のとんでもない予定を考えれば、明るくなれという方が不可能事に近い。
 ともかくこのトリトンは状況をまったく楽観をしていないようだった。

「とにかくコージ、いくらなんでも危ないと思いますよ明日は。あのシュリ先生でもこんな台風の日に実験するとかは言いませんよ。発明品は問題なくても、台風をなめちゃいけないんじゃないですか?。それこそ防災意識に欠ける話ですって」
「うっ…それはなあ」

 たしかにディレルの指摘は問題だった。ポリーニ以上に迷惑発明品を生み出すお隣の講座のシュリ助手ですら、台風の日はさすがにお休みするのである(新婚なのでそれも原因の一つだろうが)。普通の日ならともかく、学校が休校になるほどの大型台風の真っ只中で実験をするというのは、それだけで危険度が大幅アップ間違いない。非常識だといってもいい話である。
 それに今回いくら蒼雷がいるといっても、頼みのみぎてがまるであてにならないのである。実際今の段階ですら(このファミリーレストランの中であっても)調子が悪いのだろうかあんまり元気が無い。元気だけがとりえのこの魔神のいつもの様子から考えると気持ち悪いくらいだった。

「やっぱみぎてくんしんどいみたいですね。嵐だと精霊力が落ちちゃうんでしょうか…」
「あ、うーん、大丈夫だけどさ。腹減っただけだぜ。飯早く来ないかな」
「…明らかに大丈夫じゃなさそうですね。その様子じゃ明日が不安ですよ。蒼雷君だけじゃ相当きついとおもいますし…」
「…ぐはぁっ!やっぱりそうなんだ!だまされたっ!」
「何をいまさら…はじめからだまされてるんだって」

 ディレルの不吉な一言に蒼雷はますます顔を引きつらせる。が、みぎてやコージは暗い顔をしてうなずくだけである。不必要に不安をあおるつもりはないが、事実はちゃんと認識させなければならない。いや、ポリーニの実験だけで頭が痛いのに、さらにこいつまでいる。そう、このちび魔神である。

「ヴィスチャ、明日はいい子にしてないと二度と人間界につれてこないからなっ!」
「ええっ?だってあのおねえちゃん喜んでたじゃん。アニキ恐がるばっかりで全然かまってあげないしさ。彼女に嫌われるぞぉ」
「か、彼女って!こ、このませガキ…」

 痛いところを突かれて蒼雷はぐうの音もでないようである。発明女が彼女なのかという点に関しては議論の余地が有るにせよ、たしかにあの場で蒼雷は女性の力作を褒め称えるのにふさわしい行動をしたというわけではない。社会人としてはたとえ不満があろうとも、ともかく礼儀正しく感激を言葉にするものなのである(女性に甘い魔神のおきてである)。もっともこれは彼女の恐ろしさを知らない場合だけに当てはまる言葉なのだが。

 辛らつなヴィスチャの言葉に苦笑を隠せないコージだが、しかし悩みの原因が去ったわけではない。とはいえいまさらポリーニの暴走を止めるといっても、具体的な手段が思いつかない。彼女のことだから全員がボイコットしたところで実験は強行するだろうし、無理に一人で実験などしようものなら事故を起こしかねない状況を、はいそうですかと言って無視してしまえるほど冷たくはなれない。日ごろディレルのことを「お人よしだなんだ」と言っている彼らだが、実際はここにいる全員が相当のお人よしなのである。こうなったらポリーニが事故を起こさないように全力を尽くす以外になさそうである。実験の成否は別問題として、である。
 コージの思いを読んだのか、ディレルはやって来た大皿パスタを手早くとりわけながら全員に言った。

「ともかくみんな、明日は安全第一ですよ。ポリーニには悪いけど、危なくなったら実験なんて実力行使して止めないとだめです。けが人なんてでたら大変ですから」
「おう、そうだな。俺さまもそのつもりでいるぜ」
「ああ、怪我に比べりゃポリーニのヒステリーの方がましだな」

 ディレルの宣言にはみぎてもコージも全く異存は無い。というわけで、彼らはおとなしくグラスビール(みぎてだけはいきなりウォッカ)で乾杯しながら、明日の安全を祈願したのである。

*       *       *

 夜半過ぎになると、風は次第に強くなってくる。ビルの間を吹き抜ける突風で、ゴミ箱やらなにやらが転がりがたがたと音を立てているのだから、風速は十mではきかないだろう。強風圏に入っていることは間違いない。

 みぎてとコージは結局真夜中になっても、結局全く眠ることが出来なかった。台風前夜にありがちなことなのだが、ついついテレビの台風情報にかじりついてしまうのである。それに強風の音というのは、不思議なことに人間の興奮をあおる効果が有るらしい。微妙にどきどきして眠るどころではない。おそらくディレルの家(先ほども触れたがお風呂屋である)に泊まった蒼雷たちも似たようなものであろう。(本来ならばコージたちの下宿に泊めるのが筋なのだろうが、1Kという悲惨な環境に大人の魔神二人+子供の魔神+人間というのは明らかに容量オーバーである。)
 そういうわけで、みぎてとコージはほとんど「ちょっとだけ仮眠」という悲惨な状況で起床時間を迎えてしまった。三時集合ということは、二時半には起きないといけないのである。

 二人は雨合羽と長靴という完全防備で家を出た。これからますます風が強くなるのだから、傘などさそうものなら確実にぶっ壊れてしまう。なにしろみぎての傘というのは、コンビニで売っている透明ビニール傘なのである。いや、コージの傘だって似たようなもので、二人合わせても千円いかない。しかしそれでもみすみす壊れることが確定している暴風雨の中に持ってゆく気にはならないのは正常な経済感覚である。それに…なによりこの魔神にとっては雨水は拷問に等しい。
 強風の中二人がようやく校門のところまでたどり着くと、既に蒼雷たちは到着していた。まあ彼らは風の魔神であるし、なにより車…ではなく霊獣に乗っているので、彼らよりは楽に移動できるのは当然である。

「おうっ、おまえらぎりぎりだぜ」
「ごめんごめん、風つよすぎ」

 笠地蔵状態の蒼雷は不平たらたらである。どうやら彼らは校門でコージたちを結構待ったらしい。まだ大雨こそ来てないが、この暴風の中である。文句が言いたくなる気持ちもわかる。

「台風、予定通りみたいですね。朝には上陸しそうですよ…」

 ディレルは携帯ラジオを聞きながらコージに言った。表情は明らかに「困ったなぁ」という色一色である。コージも出掛けにテレビで確認したのだが、台風は全く進路を曲げず、さらに衰える様子も無くバビロンに向かって北上を続けているのである。このまま直撃コースだと、ポリーニの実験は風速二十五m以上の暴風圏のまっただなかで実施するということになってしまう。

「すげぇな、こんな日でも泊まってるやついるぜ。結構明かりついてる」
「ほんとですねぇ。熱心というかなんというか…」
「魔法農学部の連中だな。動物相手だと休みがないからなぁ」

 たしかにみぎてが指差す先には、煌々と明かりがついた校舎もある。魔法農学部の校舎である。畜産とか獣医学科となると、たしかに日曜休日も誰かが動物の世話をしなければならない。台風だからといって休みではないのも当然である。もちろん彼らが目指す魔法工学部の校舎となると、さすがにほとんどの部屋が真っ暗である。例外は唯一、「ポリーニのラブラブ研究室」だけである。
 彼らが校舎の前まで来ると、ポリーニは既にそこで待っていた。例の発明品、「携帯用箱舟」はブルーシートそのものの状態できちんと折りたたまれている。が、荷物はそれだけではないようだった。

「なんだよこの荷物は。すげぇ量じゃねぇか」

 みぎてもコージも予想外の荷物量に驚きの声を上げた。メインのブルーシートはたいしたサイズではないのに、それ以外の箱が全員が持っても一度では運べない数である。力持ちの魔神がいなかったら悲鳴を上げる量といってもいい。
 しかしポリーニは平然と言った。

「実験条件とかちゃんと測定しておかないと意味が無いじゃない。雨量計でしょ、気圧計でしょ、それからこれは精霊力計…」
「…まあそりゃそうだけどさぁ…」
「女の子が三階からここまで運んできたんだから、大の男が文句言わないの!」
「…」

 まあたしかにポリーニは一人でこれだけのものを、三階から玄関口まで運んできたのである。力持ちの魔神を含む男性陣が文句を言ってはいけない。たとえ暴風雨の中だろうが、である。ディレルはため息をついてぼそりといった。

「…今、大雨洪水暴風警報、高潮注意報がでましたよ」
「…言いたいことはわかる…」

バビロン地方だけでなく、彼らにも大雨洪水警報がでていたのである。

*       *       *

 体育館の横に有るプールは、さすがに総合大学らしく五十mの競技用サイズである。もちろんさすがに室内プールというわけではないが、このシーズンになるともう水泳部などは毎日練習につかっているので、水はちゃんとなみなみと張られている。
 フェンスのわきの門からプールサイドに侵入した彼らは、持ってきた馬鹿でかい荷物を早速設置し始める。もちろん雨量計やらなにやらは、いずれも一応ポータブルタイプなのだが、それでもこれだけの数になると結構仰々しい設備になる。幸いプールサードというところは全くのフラットな場所なので、この手の機器を設置するには非常に都合がいい。
 夜のプールというものは、しかしなんだか不気味なものである。特に今日のような嵐の夜ともなると、真っ暗な水面が波立っているし、ひゅうひゅうと風の音までするのだから気持ち悪いことこの上ない。
 ちょっとおっかなそうに首をすくめた炎の魔神は、傍らの蒼雷に言った。

「…あのさ、一つ聞いていいか蒼雷?」
「?なんだよみぎて」
「お前、泳げる?」
「…泳げない。風の魔神が水泳得意なわけない」

絵 武器鍛冶帽子

 当然ながら炎の魔神たるみぎても水泳などもってのほかである。まあ蒼雷の場合、みぎてと違ってプールにはまったところで火傷をするということは無いのだろうが、それでもとても満足に泳げるというわけではないらしい。こうしてみると魔神族というものは、意外なところで不如意なものらしい。ともかく今回も、水泳が満足に出来るのはやはり(トリトン族の)ディレル一人らしい。
 さて、彼らがようやく準備を終えたのは、予定開始時刻の五分前だった。荷物の量も多かった上に、なにより夜間で、さらに強風の中での準備という悪条件である。スムーズに進むわけが無い。ポリーニはいらいらして声を荒げ始める。

「もう、ぎりぎりじゃない!さっさとはじめるわ」
「はいはい…ふう」
「ホントに暴風警報ですね。これ以上ひどくならなきゃいいんですけど…」

 携帯用箱舟はプールサイドに大きく広げられ、あとは精霊力と注ぎ込めばよいという状態になっている。もちろん強風の中なので、風で飛んだりしないように四方をロープでくくって荷物で抑えているのだが、ちょっとこころもとない。心配になったコージはポリーニに言った。

「ポリーニ、この程度の押さえじゃ膨らんだ時危ないんじゃないのか?」

 ところが彼女はにやりと笑ってコージに答えた。

「ちっちっち、そう思うところが素人の浅はかさよ。これあとでプールに浮かべるって言ったでしょ?固定しなくても平気なのよ」
「えっ?ほんとかよ…」

 半信半疑のコージだが、ポリーニは意に介した様子も無い。早速全員に配置に付くよう指示をする。

「はじめるわっ!ちょうど時刻も四時。各計器のスイッチを入れて!」
「おっけー」
「箱舟、始動するわ!」

 全員の不安をよそに、ポリーニはまるでSF映画の主人公のようにポーズをつけて、実験開始を高らかに宣言したのだった。

(⑤につづく)


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