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炎の魔神みぎてくん POWER LIVE ②「あたしがあれくらいのことで」

2.「あたしがあれくらいのことで」

 それからの二週間というものも、コージとみぎて、それからディレルの生活というものは大体同じような状況であった。論文最後の追い込みということで、全員そろって十時、十一時が当たり前の生活である。もっとも幸いにして徹夜の連続というところまでは行かないで済みそうな点だけは、普段ぐうたらなコージにしてはすごい話かもしれない。もちろんこれはみぎての予想外の活躍…つまり作図を一手に引き受けてくれるという奇跡のような応援があってのことである。その分だけコージは本文に専念できるのだから、もう泣けてくるほどありがたい話だろう。
 そんなこんなもあって、ついにコージの魔道士学位論文「魔界と魔神族の魔法学的文化論」は無事に形となったのである。それもなんと二百八十ページという立派なものである。

「これでいいわ、コージくん。ほんとにおつかれさま」

 教授のセルティ先生はほっとしたような表情でコージにOKを出したのは、提出締め切り日の昼過ぎである。目の前には黒い革表紙の論文原本と副本、それから要旨が三部が立派に積み重ねられている。ページの順番を間違えたりするとあとからもめるので、今の今までみんなでチェックしていたのである。それにセルティ先生はバビロン大学では数少ない女性の教授ということで、結構細かいところまできちんとチェックが入る。そんなこんなでぎりぎりまで死闘を続けてしまったのである。

「ほんと、コージよかったな!」
「ふう、死ぬかと思った。っていうかもう死にかけ」

 自分のことのように喜ぶみぎてに、コージは苦笑しながらもそう答える。あとは魔法工学部事務室にこれをもっていって受け付けてもらえばおしまいである。

「ほんとにコージ、よくこんな量書きましたね。普段のサボり好きからは想像つきませんよ」
「ええっ、ひでぇ言い方~」

 ほめているのかけなしているのかまったくわからないディレルの言葉にコージは悲鳴を上げる。といってももちろん心からの祝福であるのは当然である。実は最後の製本作業は、ディレルにも手伝ってもらったのである(この几帳面なトリトンは、当然のごとく昨日のうちに提出を済ませていた)。
 助教授のロスマルク先生もほっと安心したような表情で緑茶をすする。

「いやいや、わしもかなり心配したよ。なにせうちの講座でこういう分野の学位論文を書くのはコージ君が始めてじゃからな」
「理系って言うより文系に近い論文んだよなこれって…」

 この初老の先生は相当コージのテーマについては不安がっていたのである。まあなにせこの講座は魔法工学部であって、どう考えても普通は「魔神族社会」についての研究をするというのは範囲外だったからである。実際これが「精霊界」ではなく「どこかの少数民族」の話なら、明らかに社会学部とかで研究するほうが普通のテーマだろう。もちろんバビロン大学でも社会学を研究している講座はあるのだが、精霊界や魔神族相手の研究などは取り扱っていない。というか、そっちの分野はほとんど未開拓のジャンルなので、結局コージは魔法工学部に在籍したままこういうテーマをやることになったのだが…いずれにせよこうして論文が完成するまで、ロスマルク先生は相当ひやひやしたに違いない。

「ま、とにかく提出してらっしゃい。あんまり時間ぎりぎりになると並んで大変よ。」
「あ、そうですよコージ。最後の最後までかかる人もけっこういますからね」
「やっぱりいるか…まあわかるけど」

 毎年学位論文の面倒を見ているセルティ先生はさすがに状況をよく知っている。どうやら論文提出がタイムリミットぎりぎりになってしまうというのは、どこでもよくある話らしい。五時の締め切り直前には、受付で行列ができてしまうのである。これで万一書類などのトラブルがあるとまずいことになりかねない。やはり念のため少し早めに持って行くのがいいというわけである。

「おわったらカラオケいくらしいわね。ディレル君に聞いたわよ」
「あ、そうなんですよ。まあせっかくですし先生もどうですか?」
「そうねぇ…五時過ぎだったらあたしも行こうかしら」

 打ち上げのカラオケパーティーである。せっかくだからお世話になったセルティ先生も一緒にいたほうが楽しいに違いない。ディレルだけでなくコージやみぎても大賛成である。
 が、とにかくまずは最後の仕事を済ませたほうがいい。

「まあともかく出してくるか。みぎて、運ぶの手伝ってくれ」
「よしきたっ!最後の締めくくりだなっ!」

 あまりにうれしそうな魔神の反応に、コージは思わず笑いそうになった。が、当然コージだって気分は同じである。一ヶ月以上の激闘…毎日毎日パソコンとにらめっこでは、この体育会系魔神でなくても滅入って当たり前である。まあともかく今日でそれもおしまいなのだから、うれしそうな反応をするのは(ちょっと子供っぽい気がするが)きわめて素直なのである。
 というわけで、コージとみぎては分厚い革表紙の論文を抱えて、意気揚々と学部事務室へと向かったのだった。

*     *     *

 論文提出を済ませて部屋に戻ったコージたちは、五時過ぎまでお茶を飲んだりちょっと掃除をしたりして時間をすごした。さすがにセルティ先生は教員なので、五時を回るまではカラオケに行くとかそういうわけにはいかないのである。それに講座のほかのメンバーの都合もある。

「コージ、みぎてくんといっしょに先にカラオケボックスいっといてくださいよ。部屋を押さえておいたほうがいいでしょ?」
「あ、そうだな。結構人数いるからな。五時半くらいスタートってことで予約したらいいか」
「そうですね。場所はやっぱり『カラオケパスタ』かな。あそこ食べ物もおいしいですから」
「あ、俺さま賛成!あそこの大皿料理うまいんだよな!」

 先生方も参加ということになると、さすがに飛び込みで行くのは多少リスクが大きい。学生三人ならば少々の待ち時間があっても、ゲームセンターや近くの喫茶店で時間をつぶしてもかまわないのだが、先生方を引き連れてゲームセンターというのも何である。そういうことでコージとみぎては先発隊としてカラオケボックスへ向かうこととなった。ディレルは先生方や残りの参加者を引き連れて後発部隊である。
 彼らが向かったカラオケボックスというのは、バビロンでは最近できたばかりの「カラオケパスタ」というチェーン店である。小さなビルが丸ごとカラオケボックスになっているという点は、さほど目新しいものではない。しかし最大の利点はやはり食い物がうまいというところだった。実はこの店を経営しているのは、居酒屋チェーンの「旨酒クラブ」というところなのである。コージなどはカラオケボックスに美食を求めて行くつもりはないのだが、大喰らいの相棒にとっては食い物がとても重要な要素である。それにもうひとつ、ここはカラオケの曲数も非常に多い。結局のところ今回の目的(「学位論文完成記念パーティー」兼「たまには彼らも音楽をやりたい=カラオケ」)に最も合致しているのである。
 が、こんな新しくてきれいで、食い物もうまくて曲が多いカラオケボックスとなると、当然人気もかなりある。場末の小さいカラオケボックスと違って「いつ行ってもある程度空室待ち」というのが当たり前だった。そうなるとやはり先遣部隊を送って予約をしておくというのが上策なのである。

 すごろく大通り(バビロン市最大の繁華街である)の少しはずれにある「カラオケパスタ・バビロンすごろく大通店」についたコージたちは、早速フロントに部屋の予約を申し込む。が、案の定返事は一時間待ちということだった。まあ今から一時間後というと、ちょうどディレルが後発部隊を引き連れてやってくるころである。やはり先に来たのは正解だったようである。
 二人は時間をつぶすためにフロントの脇にある喫茶&ミニゲームコーナーでお茶を飲みながらビデオゲームをすることにする。実はみぎては格闘ゲームが結構好きなのである。それも意外とうまい。まあこの魔神は実際に魔界風の格闘技をやっているので、動体視力などもすごいのだろう。もっとも複雑な操作が必要な必殺技などは(↑↓→ABなどの入力が必要なやつである)下手なので、対戦モードならコージといい勝負である。ついつい二人で時間を忘れて熱中してしまうのは当然だろう。気がつくともうそろそろ後発隊の到着するはずの時刻である。

「あ、そろそろ時間だよなコージ。あいつら場所間違えたりしないかな?」
「ディレルがいるから大丈夫だって。まさかばらばらではこないだろ?」

 時計は五時半をちょっと回ったところである。五時ぴったりに学校を出たとすると、もう到着してもおかしくない。もちろん先生方はベルが鳴ると同時に学校を飛び出すというわけにはいかないだろうし、それに幹事の(いつのまにかやはり幹事扱いされている)ディレルが一緒にいる。まさか場所がわからないとか迷っているなどとはちょっと考えにくい。まあもう少し待てばやってくるだろう。もっとも結構激しく格闘ゲームをやったせいで、コージもそろそろおなかが減ってきている。きっとみぎてはかなり空腹に違いない。「食べ物がうまいカラオケボックス」に来ていて、じっと待っているというのはたしかにつらいわけである。

「しょうがないな、コーヒーでも飲むか?」
「やめとく。やっぱり飯は腹減らしておかないとさ」

 この魔神の場合、コーヒーなど飲もうが飲むまいが食う量は絶対変わらないという気もするのだが、まあできれば空腹という最高のスパイスで料理を食べたいらしい。やはりこいつは食べることに関しては並々ならぬ執念を燃やしているのである。
 真顔の魔神にコージは思わず笑い出しそうになるが、ちょうどそのとき自動ドアが開きどやどやと人が入ってくる。ディレルとセルティ先生、ロスマルク先生の登場だった。予定より十分遅れである。

「あ、ディレル」
「ごめんごめん、ポリーニ捕まえるのにてこずったんですよ。」

 やはり後発部隊は学校をすぐに出発するというわけには行かなかったようである。といってもどうもセルティ先生方が問題だったわけではないらしい。ポリーニ…三人目のコージたちの同級生のせいだったのである。が…見回したところ肝心のポリーニは見当たらない。

「…ってポリーニ来てないじゃん」
「彼女遅れてくるって言ってるんですよ。なんだか用事があるって」
「…」
「…コージ、俺さますげえ不吉な予感がするんだけど」
「…わかってる。みぎて」

 ディレルの返事にコージとみぎては思わず顔を見合わせる。これは…また危険の予兆である。なぜならご存知のとおりポリーニという相手はいささか厄介な相手だったからである。既に恒例となった感があるが、これは…またしても発明品に違いない。発明品という名の災害がコージたちを襲う予兆なのである。
 コージとみぎての表情の急変に、ディレルも事態を悟ったようだった。

「ええっ、まさか彼女…また発明かなぁ…」
「ディレル…今まであいつがこういうときに発明品持ってこなかったことあるか?」
「たしかに…ないですね」

 そう言ってディレルは頭をかかえ、待合スペースの椅子にへたり込んだ。大げさに見えるかもしれないが、今まで散々彼女の珍発明に悩まされてきた彼らとしては、とても自然な反応だったのである。

*     *     *

 ポリーニ・ファレンスというのはコージたちの講座のもう一人の院生で、魔法工学部では数少ない女性である。理系の女性というのはなんとなく我々の中では「丸い大きなめがね」で、「そばかす」で、「ロングヘアー」(三つ編み率高し)というステレオタイプが存在するのだが、困ったことに彼女はそのままなのである。別にかわいらしくないとか決してそういうわけではないのだが、いささかおしゃれっ気がなさすぎる。いつも洗いざらしのTシャツとジーンズ、それから(理系らしく)白衣という姿でうろうろしている。
 が、コージたちにとっての問題はそういうことではない。別に彼女がおしゃれをしようがしまいが、コージたちが困るわけでもないし(まああまり派手な化粧とかをされるといささか困惑はするだろうが)、ディレルが頭を抱えるわけも無い。彼女の最大の問題は…「発明」なのである。毎度毎度「かならずフックボールになるボーリング手袋」だとか「冷暖房完備紳士服」とか、とても実用的とは思えないそれこそ奇妙な発明品を作るのが趣味なのである。いや、趣味といっては失礼だろう。彼女の(今朝提出した)学位論文テーマは、「種々の魔法材料を用いた新規魔法製品の開発」…つまり発明であるから、これは立派な研究と呼ばなければならないのである。
 が、コージたちが彼女の発明を「立派な研究」ではなく「災厄」と思う理由は、彼女がコージたちを「実験台」に使うからである。特に狙われやすいのは…みぎてである。この魔神は女性にはことのほか弱い(要するにフェミニストなのである)ので、ポリーニに指名されるといやだとはいえないのである。「天下の大魔神がびびらないでよ!」とかなんとか言われてしまうと断れるものではない。こういう無意味なプライドは、みぎて達(フェミニストの)魔神族の弱点である。
 もっともこの点はコージやディレルも大差があるとはいえない。男性がほとんどである理工系の大学では、女性の発言は絶対なのである。さらにコージにいたっては実は幼馴染だということもあって、彼女の暴走をどうすることもできないわけである。
 ということで結局毎回彼女のとんでもない発明品に仰天させられたり、時にはちょっと危ない思いをしたりする羽目になるのある。ともかく彼女とその発明品というのは、コージやみぎてにとっては人間界最大の恐怖に等しい。

 さて、ポリーニの遅刻通告…つまり発明品予告にパニックとなったコージたちだが、そんなことでカラオケパーティーを中止するわけはない。とにかくせっかくの学位論文打ち上げパーティーなのだから、思いっきり飲んで騒がないとつまらない話である。

「四階の四〇三号室です。エレベーターであがってください。あとこれがリモコンです」
「あ、はい。じゃあみんな行こう」

 一同は(ポリーニがまだ来ていないが)店員さんに先導されて、部屋へと案内されることとなった。敷地面積自体はそれほど大きなビルではないが、その分五階まであるので部屋数は結構多い。廊下を歩くと、そこかしこの部屋からうまいような下手なような、さまざまなレベルの歌声が漏れ聞こえてくる。小さな窓からは中で楽しそうに歌っている人の姿もちょっと見える。アベックやら友達数名やらの集団が多い。
 コージたちの部屋は廊下の突き当たりの、四階の中ではかなり大きい部類の部屋だった。「パーティールーム」というほどの大きさではないが、十人位は入りそうな結構なサイズである。今回のカラオケパーティーは遅刻組(ポリーニ)を含めると六名となるので、まあこれくらい大きな部屋のほうが都合がいい。なにしろみぎてという大男がいるので、小さい部屋になるとそれだけで狭苦しくてカラオケどころではなくなってしまう。
 部屋はカラオケボックスらしくちょっと薄暗い上に、室内装飾が妙にエキゾチックである。普通のカラオケボックスなら奥にカラオケ装置とマイクと、あとはテーブルやいすが置かれている程度なのだが、この部屋はかなり違う。まず壁には妙な文様のタベストリやすだれのようなものがぶら下がっている上に、部屋の隅には謎の女神像のようなものまで置かれている。さらには不思議なことにほんのり甘いお香のようなものまで焚かれているのだから、さすがにコージもこれにはびっくりである。

「げげっ、エスニック系…」
「こんなカラオケルームあるんですねぇ…」
「あ、ほんとだわ。『南国リゾートの間』って書いてあるわよ」
「…南国リゾートねぇ…」

 たしかに調度品は妙にエスニック系の南国風ではあるのだが、これが「南国リゾート」なのかどうかについてはちょっと疑問が残る気がする。というよりどこがリゾートなのかさっぱりわからない。ディレルはすこし興味があるのか、ほかの部屋を確認して回る。

「全部その手の名前がついてますよ。『高原ペンションの間』とか『王宮オペラの間』とか…」
「…それが売りかよ」
「でも見た限りそこまで室内装飾に違いは無いみたいですけどね」

 高原ペンションの間だと、テーブルが白い北欧家具風だとか、王宮オペラの間ならタベストリーは無意味に教会のフレスコ画コピーだとか、そういう風になっているらしい。が、なんだかネーミングセンスはちょっとイージーな気がしないでもない。

「コージ、コージ。あのでかい部屋すげぇぜ」
「え?…『古代ハーレムの間』って…うわっ」

 四〇一号室はどうやらパーティールームらしく、コージたちの部屋より二周りばかりサイズが大きい。が、『ハーレムの間』という名前どおり、寝転がれそうなふわふわのソファーとか、天井から吊り下げられているカラフルな薄い布とかがやたらペルシャ風である。こんな部屋でカラオケをするというのも興味深いが、果たして音響的にはどうなのかいささか疑問である。
 が、いつまでも部屋の装飾に熱中していてもしかたがない。カラオケボックスには時間制限というものがあるのだし(延長もできるのだが)、それにいい加減腹が減っている。まずは飲み物と食べ物を注文するのがカラオケボックスの決まりなのである。

「じゃあみんな、まずは飲み物の注文からだけど…」
「乾杯だからまずはビールよね。人数分頼んだら?」
「そうですね。じゃあ中ジョッキで…」
「あ、俺さま焼酎…ってあるよな」
「ありますよ。大丈夫。割るものはどうする?」
「お湯、お湯!それから食い物、キムチチャーハンと焼きそばと…」
「あ、あたしはチョリソーソーセージ盛り合わせお願い」
「ちょっと、ちょっとまって!操作が間に合いませんよ」

 たった五人しかいないのに、いきなりの注文大攻勢開始でディレルは悲鳴を上げる。リモコンで注文する方式なのだが、ボタン操作に必死である。これだったらいっそパーティーコース料理でも頼んでおいたほうが良かったのだろうが、まあ今回は突然の人数倍増なのだからもはやどうしようもない。(パーティーコースは要予約なのである。)
 一通り注文を済ませると、ようやく一同は曲選びに入る。最近のカラオケは収録曲数も半端ではなく、当然曲目リストもとんでもない厚みである。辞書か百科事典の世界といってもいい。が、これだけすごい数の曲が並んでいると、かえって何を歌うか迷ってしまうものである。コージですら悩むのだから、人間界の曲があまり得意ではなさそうなみぎてはもっと困っているだろう。

「みぎて、なんか歌えそうか?」
「…うーん、曲の題名から探すのって難しいな。っていうか題名って覚えてねぇや」
「あ、曲名リストよりこっちのほうがいいかもしれませんよ。歌手索引」

 たしかに曲名というのは似たようなものが非常に多い。「愛」なんて曲名の歌は一頁を軽く超えている。もちろん曲名の横に歌手と出だしの部分の歌詞は書いてあるのだが、なかなか歌いたい曲を探すのは難しいものである。と、悩むみぎて達を待ちきれなくなったセルティ先生は、いきなりリモコンで曲番号の入力をはじめる。

「先生がお手本を見せてあげるわ。バビロン大学教授会のカラオケ女王って言われているのよ」
「ええっ!ほんとですか?ロスマルク先生…」
「…ま、マイク争奪戦では間違いなく女王なんじゃが…」

 ノリノリのセルティ先生に聞こえないように、ロスマルク先生はこっそりと秘話を暴露する。が、既にイントロが始まっているので反論はできない。というよりもはや気にしていないのかもしれない。

「♪~バスを待つ~♪君の~♪♪~」
「あ、俺さま聞いたことあるこの歌。テレビのCMで出てくるやつだろ?」

 ニューミュージック系の選曲というところがセルティ先生の趣味がなんとなくわかってしまうのだが、ともかくたしかにうまい。というよりかなり歌いこんでいるということが良くわかる。この手の曲は歌唱力がはっきりと出てしまうので、多少なりとも歌に自信がないと選ばないものなのである。さすがは自称「教授会のカラオケ女王」だけのことはある。
 さて、セルティ先生の熱唱が終わると同時に、店員さんが飲み物食べ物を持っていっせいに現れる。いきなりだがここで歌は休憩、乾杯タイムである。

「じゃあまだ全員そろってないけれど、ここで乾杯しましょう。さすがに待ちきれないでしょうし…セルティ先生、挨拶お願いします」
「《《《じゃあ早速…みなさん、おつかれさまでした》》》」
「…この後もう一曲あるんじゃよ…」
「え…」

 ロスマルク先生はコージにこっそり耳打ちする。が、そんなことは気にもせず、セルティ先生はカラオケマイクを握りしめて(エコー全開で)挨拶を始める。なんだかカラオケというよりどこかの歌手のディナーショーのような様相を呈している。ひょっとするとカラオケそのものよりも、この《エコー全開スピーチ》が教授会で有名になってしまった原因かもしれないのだが…もちろんそれを(熱唱の直後で酔いしれている)先生に指摘する勇気は誰にも無いのは当たり前である。
 というわけで、うまそうなビールやおつまみを目の前にして、コージたちはしばらくの間セルティ先生のスピーチと、さらに熱唱をもう一曲聞く羽目になったのは当然の帰結だったのである。

絵 武器鍛冶帽子

*     *     *

 乾杯も終わり、空腹のガキども(みぎてだけではなく、コージやディレル、果ては先生方も空腹なのは同じである)が、目の前の食い物や飲み物を瞬く間に平らげてから、ようやく本格的なカラオケタイムがやってくる。みぎては当然目の前にあった大皿キムチチャーハン(本来は四・五人前である)を一人でぺろりと平らげるし、ビールが大好きなセルティ先生も、あっという間に中ジョッキを二杯もあけて、さらに追加を注文している状態である。これで実はスタートからまだ二十分しか経っていないのだから、みぎての大食らいを抜きにしてもかなりのペースである。やはりそれだけ論文修了の喜びは大きいのだろう。
 が…それにしても気になるのはポリーニのことである。宴会に遅刻する連絡があるとはいえ、こんなに遅れるのは彼女にしては珍しい。今までのパターンでは「見せびらかす発明品を持ってくるのにてこずって、十分遅れ」という程度が普通だった。二十分以上というのはちょっと例が無い。
 早くも心配性のディレルは(とりあえず目の前に来たたこ焼きを一つ二つ食べて)、首をひねりはじめる。

「コージ、ポリーニちょっと遅くありません?」
「うーん、そうだよなぁ…でも、あいつなんて言ったんだよ?」

 ポリーニが遅刻するという連絡は、ほかでもないディレルが受け取ったのであるから、コージにはちょっと事情がわからない。というより、いつもの「発明」ネタなのか、それとも別に理由があるのかという点については、それこそ直接彼女の言を聞いたディレルが一番わかるはずである。
 そう突っ込まれたディレルは、ますます困ったような表情になって答えた。

「えっとですね…『ちょっと用事があるから、先に行っておいて。場所はわかるから』なんですよ」
「用事があるから?…それじゃあちょっと予想つかないなぁ」
「そうねぇ…じゃ、その間にもう一曲歌うわ」
「…せんせぇ…」

 マイクを持ったまま離さない(カラオケボックスにはたいてい二つマイクがあるので、一つはその気になれば独占できるのである)セルティ先生に、ちょっとあきれるコージだが、ともかくディレルの全文引用を聞く限り、いつもの発明品遅刻かそうでないのか区別がつくとはいいがたい。ただ、なんとなく(これはコージの直感なのだが)、別件のような気がする。というのは、彼女の場合もし恐怖の発明品発表会を狙っているとすれば、必ずといっていいほど「不気味な笑い」がついてくるからである。『ちょっと用事があるから…ふふふ』である。
 が、ディレルはやはり気が気ではないようだった。

「…ひょっとして場所間違えているとかじゃないといいんですけど…」
「うーん、それは無いとは言い切れないけど。あいつ携帯持ってないの?」
「あ、そうですね。ちょっとメール打ってみましょうか?」

 近頃の学生なら当たり前のことだが、ディレルにせよポリーニにせよ携帯電話を持っている。実はコージも(みぎてと共用で)最近買ったのだが、電話代がもったいないのでほとんど使わない。それにコージはともかく、みぎてのほうは(魔神族らしく)指が太すぎて、ボタンが小さい携帯電話はすごく不便らしい。いや、こういう携帯機器は魔神族のような指の形状(つめがちょっと獣のようにとがってる)の種族には使いにくいことが多い。この辺はもっとバリアフリーを推進してもらいたいものである(まあこれもコージの論文テーマの一部である)。
 が、ともかくディレルはかばんの中からシルバーグレーの携帯電話を取り出して、あわててメールを打とうとする。ところが携帯電話の蓋を開けた瞬間、ディレルは悲鳴を上げた。

「あ、メール来てる。ポリーニからだ!」
「うはぁ、なんだよディレル…」
「『部屋番号がわからないからロビーに来て』って。五分前だ」
「やばいぜ!俺さま迎えに行く」
「あ、僕も行きますよ!」

 どうやらかばんの中に入れていたせいで、誰もメール着信音にまったく気がつかなかったのである。まあみんなが(主にセルティ先生だが)熱唱しているこんな場所では、メールの着信音程度ではとても聞こえないのは当然である。が、女性をロビーで待たせるというのは弁明の余地は無い。
 というわけでディレルとみぎては大慌てで部屋を飛び出し、ロビーで(おそらくふて腐れている)ポリーニを迎えに走ったのである。

*     *     *

「もう~っ!メールくらいしっかり見てよ!そんなことだから女の子にもてないんじゃない!」
「メールのことすっかり忘れてたんですよ。ごめんなさい」

 ぶりぶり怒りながら部屋に入ってきたポリーニに、ディレルはもう平謝りである。メールを見落として待ちぼうけさせた上に、既に宴会のほうは派手に盛り上がっているのだから、これは怒るのも無理は無い。まあもっともそもそも彼女が遅れてきたというのが根本の原因なのだが、こういう場合は女性の主張が常に正義なのである。
 見るに見かねたセルティ先生は、彼女にメニューを渡して注文を促す。このまま放っておけば際限なく口撃が続くのは明らかだからである。こういうときはさっさとのどを潤して、うまいものを食べるのが一番だろう。

「まあまあ、今からが本番よ。何注文する?」
「あ、じゃあ酎ハイにするわ。先生。あと『夢見るシュガー練乳トースト』」
「えっ?あれすげぇ甘いやつだろ?俺さま苦手だぁ」
「酎ハイと一緒にっていうのは合うんですかねぇ…」
「うっさいわね!あたしが食べるんだから文句ないでしょ?」

 彼女の頼んだ「夢見るシュガー練乳トースト」は、焼きたての食パン丸ごとに砂糖や練乳やバターが塗ってあるお菓子みたいなものである。名前からして女性ターゲットというのがわかるとおもうが、いかにも甘い物好きのポリーニが好きそうな一品である…が、お酒に合うかどうかはいささか疑問の余地がある気もする。まあ彼女が満足すれば今回はよいといわざるを得ない。
 しかしそんな騒ぎを横に、実はコージとロスマルク先生は別の問題に注意を払っていた。

「…そろそろ例のものが出てくるんじゃろうな?」
「…食事が終わるころが危ないと思います…」

 「例のもの」というのがなんであるかは、このおじいさんとコージの間では既に了解済みである。いや、この程度はここセルティ研究室では誰もがわかる話なのだが…つまり、発明品である。さっきも少し触れたが、とにかくポリーニが遅刻してきた理由は、今までの経験上から言うと九割方「珍発明品をこの場で披露するための準備」に間違いない。まあ発表会のスタートは、おそらく彼女が一通り食事を済ませて、一曲くらい歌を歌った後あたりが怪しい気がする。

「…じゃあわしは安全なうちに一曲…」
「…」

 「安全なうち」の部分は彼女に聞こえないようにぼそりというのが、ロスマルク先生の苦しい立場をよく物語っている。(黙ってマイクを握ればそれでいいはずなのだが、言わずにはいられないところが正直というかなんというかであるが…)。まあ今日のようなカラオケ大会で登場する発明品であるから、おそらくは変な効果のあるマイクとかその辺であろう。
 ともかくロスマルク先生はこそこそとリモコンを操作して(堂々とやればいいのだが)、流れてきた演歌をこれまた申し訳なさそうにマイクを握り、しかし安心しきってうなり始めたのは言うまでもない。

 さて、ロスマルク先生とコージが一曲づつ歌い終わるころ(つまりわずか十分だが)には、彼女の目の前には巨大なお菓子風パン(つまりさっきの『夢見るシュガー練乳トースト』である)やら酎ハイやらが並び、なんだかお誕生日会のような様相となっていた。お菓子風パンの上にろうそくさえ立てれば立派な誕生日ケーキになるので、ますますもってそんな雰囲気である。もちろん彼女は幸せそうに早速「夢見るシュガー練乳トースト」を攻略し始める。実はサイズとしては食パンまるまる一斤であるから結構な量である。というよりも普通に考えるとどう考えても食べすぎ…みぎてが食べる量に匹敵するような気がする。

「…みぎて、あの量食べれるか?」
「…量はいいけど…あの練乳見ると怖くなる…」

 みぎては恐ろしいものを見たかのように首を横に振る。たしかにあの見事すぎる(生クリームのケーキのような)練乳の量と、雪のように振り掛けられた粉砂糖、さらにはデコレーションのチョコレートやアラザンの森林を目の当たりにすれば、みぎてでなくても甘すぎて胸が悪くなりそうである。もっともケーキバイキングを考えると、あれくらいの量は(好きな人なら)食べてしまうのかもしれない。事実セルティ先生はまったく違和感なさそうに、彼女のケーキ(?)を一緒に食べているので、やはりあれくらいの甘さは甘いもの好きな人にとっては普通なのであろう。とにかく今のところは彼女が妙な発明品を引っ張り出してくる気配もなさそうなので、これでいいのである。
 とりあえず満足しているように見える彼女の様子に、ディレルはちょっと安心したようである。さっきから彼女の不満の矢面に立っていたので、さすがにおちおちお酒も飲んでいられなかったのである。というよりディレルは宴会開始からまだ一度もマイクを握っていない。みんなの注文を取り次いだり、遅刻してきたポリーニの機嫌を取ったりで、ひたすら幹事業に専念している有様だった。

「じゃあポリーニ、そろそろ歌いますか?決めてたら入力しますよ」
「え?そうね。ちょっと番号調べるわ」

 機嫌を直したポリーニに、ディレルはすばやく歌本を渡す。もう完全に今日の宴会は裏方に徹すると腹をくくったような表情である。見るに見かねてコージがこっそりささやく。

「ディレル、お前もそろそろ歌決めといたら?ポリーニの次に入力しろよ」
「あ、まあね。一応決めてますよ」
「まあそれならいいけどさ。あんまり彼女のこと気にしないほうがいいぜ。それにポリーニだけが主役じゃないんだからさ」

 ずばりというコージに、ディレルはぎょっとした表情になる。が、意外なことにそれを聞いていたポリーニもうなずいて言った。

「そうよディレル。あたしだってお客様じゃないんだし。みんなで楽しまなかったら意味がないじゃない」
「え、あ、うん…」
「もう~、この講座で何年の付き合いになるのよ。あたしがあれくらいのことで本気になって怒るわけないでしょ?さあ歌うわよ!」

 そういって彼女はディレルからリモコンをひったくると、すばやくボタンを押す。そして驚いたことにマイクをひとつディレルに渡した。どうやらデュエット曲を選んだらしい。セルティ先生やみぎて、コージもちょっとびっくりである。

「あら!」
「珍しいな~。いいじゃん!」

 颯爽と立ち上がるポリーニに引っ張られて、ディレルは驚いたような、しかしちょっとうれしいような表情でマイクを握り締めた。やっぱりポリーニも(いろいろ今までどたばたしたが)この講座の素晴らしい仲間なのである。
 かくして「セルティ研究室学位論文打ち上げカラオケ大会」は、一気に盛り上がりを見せて佳境へと突入した。もちろんこの後にちょっとした騒動が待ち受けているということなど、彼らはその時点では誰一人想像もしていなかったのは言うまでもないことだったが、とりあえずこの時点では宴会は大盛況となったのである。

(③へつづく)

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