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はぐれ魔神秘湯編 ~目玉くんは見た~②

②目玉くんin脱衣かご

3.「ちょ、ちょっとタンマっ!勝負はあとっ!」

 青い髪の青年はよろい戸のところから軽々とジャンプすると、境内の置き石を足場にしてたったの二、三歩で彼らの目の前に飛び降りる。驚くほどの身の軽さである。変ちくりんな服装でなければ絶対に軽業師だと思うところだった。しかし問題はそのどうしようもない妙な服装である。思わず仮装大会かなにかと思うほど珍しくも面白い服装なのである。

 とにかくこの青年は筋肉質の体に長くて派手な模様の腰布を巻きつけている上に、これまた派手な模様のはちまきまでしている。すねには青銅色の格闘用のすねあてらしきものを着けてはいるのだが、これがまた鬼瓦のような怪しいデザインで妙にでかい。そのくせ裸足だというところがますますアンバランスなのである。身体のほうはみぎてよりも細身で(というよりみぎてはかなりがっちり系レスラー体型である)あるが、筋骨はそれでも見事なほどたくましい。どうやら明らかに肉弾派らしかった。
 ところが顔はというと、これはかなり少年っぽい。みぎてよりもなんだかやんちゃ坊主のような雰囲気があるのである。もし同じ魔神族だとすれば多分みぎてと同年代か、ひょっとするとちょっと年下かもしれない。頬のところにちょっと文身…つまり刺青があるのがエキゾチックを通り越して既にエスニックの世界である。はちまきを巻いた髪の毛は濃いブルーで氷沙ヒサに匹敵するほど長い。ほとんど腰を超えて膝くらいまであるのだから見事なものである。

絵 竜門寺ユカラ

「みぎてっ、あいつは?」
「俺さまと同じ魔神族みたいだぜ。多分風の魔神族だとおもう…」

 ちょっと緊張した声でみぎてはコージに言った。たしかにコージから見ても、今までみぎて以外に(魔界に遊びに行った時をのぞいて)感じたことのない強烈な霊力が肌に伝わってくる。間違いなく本物の魔神だった。
 しかし問題はその魔神がどういうわけか「神社の本殿から登場した」上に、さらに「かんかんに怒っていること」だった。どうやら彼らはこの魔神を怒らせることをしでかしたに違いない。思い当たる節は山ほど…もし彼らの想像があたっているとすれば…ある。

「もしかしてこいつが『てんのそうらいめい』か?」
「だからさっきも言ったって、『あまのそうらいのみこと』って…」

 みぎてのボケにコージは冷静に突っ込む…が、そのとたんに完全に風の魔神はブチ切れた。すさまじい突風がで周囲を駆けコージ達にぶつかってくる。みぎてが慌てて炎の翼を広げ、みんなをかばわなければならないほどの突風だった。

「だああっ!第一それが違うっ!そ・う・れ・いっ!『そうれい』だっ!」
「そうれい?」

「そうだっ!俺は阿羅漢三十六族が一、剛羅百八の眷属たる鬼神、蒼雷ソウレイだっ!良く覚えとけっ!」

 そう叫んで青い鬼神は、まるで歌舞伎の役者のように大見得を切った。当然みぎてやコージ、そしてその場にいる全員はあっけにとられてこの蒼雷…「そうれい」と名乗る鬼神の青年を見ているしかなかったのである。

       *       *       *

 しばらくの間続いた奇妙な沈黙のあと、軽口の口火を切ったのは意外なことにディレルだった。

「そうれいってその、あの字でそうれいって読むの?『蒼雷』でそうれい…うーん」

 ディレルは露骨に不思議そうな表情になって、同意を求めるように左右を見る。当然だが「普通はそう読まないよなぁ」ということである。コージやボリーニ、そしてセルティ先生すら賛同したようにうなずく。

「やっぱりそうらいよね、普通は…」
「当て字でしょうかね。これは」
「あ、判った。暴走族とかといっしょですよきっと、ほら「夜露死苦ヨロシク」とかあるじゃないですか」
「あ、あるある!俺さまも知ってる!」

 堰を切ったように一同は再びめちゃめちゃなことを言いだした。人の名前を暴走族の変な当て字といっしょにしてはあまりにかわいそうな話なのだが、今日のこいつらには遠慮という文字がないらしい。バスの中で飲みすぎてオーバーヒートしたそのままの状態なのである。当の本人が目の前にいるとは絶対に思えない極悪発言に、一人氷沙だけは苦笑しているしかない。

「でも変な魔神よね…鬼神だったかしら。第一、阿羅漢ってたしか仏教の言葉でしょ?ここ神社じゃない。」
「あ、言えてますねぇそれ」

 ボリーニは青い魔神と神社の額を交互に見ながらにやにや笑う。たしかにそもそも阿羅漢という言葉は仏教でいう「聖者」という意味である。ところがここは「地獄谷神社」だし、さらに蒼雷の着ている…布というか羽衣というかの服は、なんだか仏教というより神道のそれである。鬼神というのは多分魔神と同じようなものだろうが、この辺の違いについてはコージはもちろん、自分が魔神族のみぎてすらぜんぜん判らないくらいである。

「そういうところかなりアバウト。つーか適当に名乗ってるとしか思えないんだけど」
「でも服はなんだか怪しいですよね。みぎてくんもそうだけど…」
「ひでぇなディレル、魔界にゃ魔界の流行ファッションってあるんだぜ」
「革パンツが流行なの?うーん」

 たしかに今でこそみぎては人間界風の普通の服装…Tシャツやらだぼだぼズボンやらジャージやらトレーナーやらも着るようになったのだが、もともと彼が最初に姿を見せたときの服装といえば(そして今でもちょくちょく)革製のパンツとベルト代わりの布、それからこてやらブーツやら、傾向こそ違うものの「魔界風の変な流行(?)ファッション」であることには違いなかった。となるとこの青い魔神の服装ももしかすると「流行」なのかもしれない。
 しかしそれはそれとしても、酒の勢いで彼らの毒舌はもはやとどまることを知らない。悪のりも悪のり、ここまで言われりゃ普通はだれでも怒る。当然のことながら蒼雷と名乗る鬼神はいよいよもって完全に切れてしまった。突然彼の周りからすさまじい突風と雷鳴がまきおこった。

「やべっ!コージっ、大丈夫か!?」

 小さいながらもすさまじい暴風に一同は吹き飛ばされそうになる。いや、風そのものも強烈なのだが、むしろその風に宿っている強力な精霊力のほうが恐ろしい。子供や老人ならその「気」だけでショック死してしまいかねない危険な風の霊力だった。

「な、なんとか。さすがにちょっと転んだけど…」

 幸いなことにコージはみぎてのでかい背中に守られ、転んだだけで怪我はしなかった。セルティ先生や氷沙達も無事のようである。

「てめぇっ、危ねぇじゃねぇかよ!」

 みぎてはコージたちの無事を確認すると、蒼雷のほうをにらみつけて怒鳴った。しかし当然なことだが、蒼雷のほうはとっくの昔に大激怒である。そんなことくらいでひるむわけはない。こぶしを突き出して怒鳴り返してくる。

「けんか売ってきたのはてめえのほうだろっ!このカス魔神っ!第一、しょぼい魔神の分際で俺の神社に土足でやってきて、人間のガキどもと言いたい三昧めちゃくちゃいいやがってっ!」
「なんだとっ!誰がカス魔神だっ!てめぇのほうがよっぽどへたれ鬼神だろっ!桃の缶詰でつられて安っぽくご利益ばらまいてるくせにっ!」
「てっ、てめぇっ!人間のクソガキに使われているへなへな魔神がなにに言いやがるっ!」
「言ったなこのファッションセンス無しの田舎もの鬼神っ!コージは俺さまの相棒だっ!」

 どうみてもこれでは子供のけんかである。というかたったこれだけで二人とも脳内文化レベルがほとんど同次元…要するに単細胞でガキであることがばれてしまう。口だけなら聞いているほうが苦笑してしまうほどお馬鹿なけんかである。
 が、問題はその低レベル口論をしているのが、そんじょそこらでお目にかかることなど絶対にありえない「本物の魔神二柱」であることだった。意味無くエキサイトしてゆく二人の周りは、その興奮に応じてどんどん精霊力が集まってくる。

「先生、みぎてさま大丈夫かしら…」
「判んないわ。めったやたらなことじゃ平気だと思うんだけど…とにかくちょっとさがりましょう、ここは危ないわ」

 さすがに酔いがさめてしまったセルティ先生は、心配そうな氷沙に合図をして下がらせようとしたのだが…しかしそれはもう手遅れだった。

 そう、次の瞬間二人の魔神はこぶしを握りしめ、神社境内のリングで三十分一本勝負をはじめてしまったのである。

*       *       *

 蒼雷という鬼神はいきなりジャンプするとみぎてに向かって空中飛び膝蹴りを敢行した。みぎてはそれをよけると返す刀でローキックを鬼神におみまいする。ところが蒼雷はそれを予想していたように軽く跳び、その姿勢で炎の魔神に突風をぶつけた。みぎては翼で風をガードして、お返しは火炎放射である。二人の戦いはまるでプロレスの試合のように見ていてはらはらドキドキ、手に汗握る興奮のショーという感じなのである。ちょっとヘビー級のみぎてに対して、身軽な蒼雷というシチュエーションがさらにそれらしい。
 蒼雷という鬼神はさすが風の精霊族にふさわしく、空中戦と風や雷撃の技が得意らしかった。みごとなジャンプ技と突風や稲妻のコンビネーションでみぎてを攻める。みぎての方はこれまたやはり自称けんか名人だけのことはあって、苦手なはずの蒼雷の空中攻撃をカウンター攻撃やフェイント、そして時には飛び道具(つまり炎の技である)で迎え撃っている。タフさはみぎてのほうが上らしいので、どっちが勝つか観客にはまったく予想がつかない。

「みぎてさまっ!がんばってっ!」
「じゃ、あたしは蒼雷って子を応援しようっと!けっこうかわいいし、筋肉だし」
「ボリーニ、ほんとにおまえ筋肉好きだな…」

 氷沙やボリーニは太平楽なもので、好き勝手に応援をはじめる。まあ今のところ単なるプロレスプラスアルファといった感じの戦いなので、興奮こそすれ危険という感じではない。とはいえいつまでも、このつばぜり合い状態で済むかというとそれはかなり疑わしい話だった。セルティ先生はコージをひじでつついて警告した。

「コージくん、止めたほうが良いわ。二人が本気になったらただじゃ済まないわ!」
「うっ、そうかも…」

 コージとセルティ先生だけはみぎての「本気の力」(それでもかなりセーブしているのかもしれないが)を知っている。ちょっと昔の話になるが、かなり強力な雪の精霊族である氷沙が巻き起こしたブリザードを一瞬で蹴散らしてしまったことでも判るように、こいつの魔力はめったなことではお目にかかれないほど強いのである。いや、それと互角にやりあっているのだから蒼雷という鬼神の力もとんでもない水準に違いない。下手をすると神社がふっとんでしまうかもしれない。
 心配になったコージは前に飛び出してみぎての手をつかんだ。

「みぎてっ!もうよせって!」

 ところがそれがまずかった。コージの制止にみぎてが反応したために、それが完全に隙になってしまったのである。

「隙ありっ!」
「やべぇっ!」

 みぎてとコージめがけて蒼雷の強烈な雷撃が襲いかかった。よけるには遅すぎる…みぎてはとっさにコージを抱えると、その巨大きな精霊力を解き放った。蒼雷の激しい稲妻は炎の魔神が呼び起こしたすさまじい精霊力と真っ正面から激突して、巨大なエネルギーの渦となって爆発した。

「うわっ!」
「きゃあっ!」

 炎と突風が一瞬境内に広がって、ボリーニ達は思わず転んでしまう。セルティ先生が慌てて張った結界のおかげで爆発は境内の中でとまったものの、石灯篭や置き石は軒並みひっくりかえってしまう。それほどまでに強力な力の激突だったのである。

「コージっ、大丈夫か?」
「平気だって。みんなは?」

 みぎての太い腕の中でコージは苦笑する。こんな光景はさすがにちょっと気恥ずかしい。が、しかし今はそんなことを言っている場合ではなさそうである。あの青い鬼神はおそらく平気だろうし、それに氷沙やボリーニ、ディレル達が心配である。
 ざっと周囲を見まわすと、ディレルやボリーニは少々転んですりむいてしまったらしいがたいしたことは無い。氷沙とセルティ先生は逃げるのが早かったせいでまったくの無傷である。ところが…

 こまったことに一人だけ大変なことになっていたのである。

「ちょ、ちょっとタンマっ!勝負はあとっ!」
「なんだっ、虫がよすぎるじゃねぇか……えっ???」

 空中にとどまって次の攻撃を仕掛けようとする蒼雷に向かって、みぎては慌てて手をあげた。もはやけんかどころではない。コージを抱えたままみぎては血相を変えて神社の端にうずくまる初老の男のそばへと飛んでいった。ロスマルク先生である。

「ううっ、ま、また腰がっ!」
「うわっ、最悪っ…またぎっくり腰出ちまったのか!」

 困ったことにロスマルク先生は、二人の力の激突から身を守ろうと慌てて動いたものだから、またしても腰痛が再発してしまったのである。

「みぎて、ちょっとこまったぞ、これじゃ一人じゃ動かせないって」
「これはひどいわね…」
「うううっ」
「おい赤い魔神、このじいさん大丈夫か?」
「ぎっくり腰なんだ。参ったぜ」

 ロスマルク先生を囲んで一同は困り果ててしまった。先日の腰痛騒ぎよりもさらに悪い。いつのまにか蒼雷までがやってきて、この情けない姿をあきれたように眺めている。

「とにかくそっと旅館に運びましょ。少し落ち着いたらみぎてくんの針お願い」
「そだな。蒼雷、ちょっと運ぶの手伝ってくれ。」
「おう、判ったよ。しょうがねぇな。あとで境内片付けるの手伝えよ」
「判ってるって。みんなでやればすぐだって」

 さっきまでの激闘はどこへやら、みぎてと蒼雷は二人がかりでそっとロスマルク先生を抱えあげた。そして二人はこの老人を恐る恐る揺らさないように旅館まで運んでいくという情けない羽目になってしまったのである。

4.「なんだかすごい剣幕って感じですけど…」

 そういうわけで一同はようやく旅館「山水荘」についたのである。いつもの劇安旅行と違って今回はちゃんとしたツアーであるから、この山水荘という旅館もそんなに安っぽくない。コージやみぎてのような貧乏人が泊まるには過ぎた宿といってもいいほどである。入り口には竹薮が美しく植えられ、庭には玉砂利が敷き詰められている。学生の集団にはちょっと場違いな感じがするほどである。
 ところがこんな素敵な宿のたたずまいも、この騒がしい一行の目にはまったく映っていない。なにせいきなりのぎっくり腰患者を抱えてであるから、そっちの対応に追われて周囲を見るひまがないのである。迎えにあらわれた女将さんやら番頭さんやらも慌てるやらびっくりするやらである。四十過ぎの女将さんはなかなか粋で美人なのだが、誰もそんなことに気がつかないのだからひどいものだった。とにかくまっすぐ部屋に案内してもらって早速布団を敷いて、ロスマルク先生を寝かせるまではしかたがないのである。

「ほんに災難なことで…お医者さん呼んできまひょか?」
「い、いえ…ううっ」

 美人の女将さんにこんな情けない姿を見られて、ロスマルク先生は恥ずかしいやらショックやらで声も出ないようである。それに女性陣に囲まれていては、腰を出して針治療もままならない。

「じゃ、あたし達は隣の部屋でお茶飲んでるわ。みぎてくんお願いね」
「おっけー、とにかくさっさと済ませようぜ」
「た、頼みますぞみぎてくん…」

 セルティ先生たち女性陣は荷物を抱えて女性部屋に去ってゆく。当然女将さんもいっしょである。女性がいなくなったということで、みぎてはそっとロスマルク先生の上着をまくりあげて背中を出した。やっと針治療の開始というわけである。もちろんぎっくり腰の再発はみぎてと蒼雷のしょーもないバトルが引き金なのだから、ちゃんと温泉を楽しむことが出来るまできちんと治療するのはこの魔神の責任である。

 ということでロスマルク先生は腰に魔神の羽根を(特別サービスで)三本も刺してもらって、ようやく動けるようになったのである。

*       *       *

 ロスマルク先生が動けるようになったので、ようやく一同はゆっくり旅館の中を行動できるようになった。行動といってもやることはお決まりのパターンである。旅館内部の探検、そして名物のお風呂しかない。といってもこの時点でそれが許されるのは女性陣と、それから腰痛のロスマルク先生だけである。男性陣はさっきしっちゃかめっちゃかに散らかした神社の掃除に戻らないといけないのである。

「おい赤い魔神。さっさと片付けようぜ。もうすぐ暗くなるからさ」
「おう、いそがねぇとな。石灯篭そうとうひっくり返しちまったしな」
「相当じゃなくて、全部みたいですねぇ…」
「おまえら派手にやりすぎ…」

 動員されたコージとディレルは不満たらたらである。といっても二人ともあのバトルを面白がってあおったのだから同罪である(女性陣も同罪なのだが、これは女性の偉大さに敬意を表して免除である)。もちろん石灯篭だの敷石だのの復旧はみぎてと蒼雷の馬鹿力二人組がやるのだが、コージ達もいたるところにぶちまけてしまった木の葉(二人のバトルで周囲の樹木からいっせいに枯れ葉がおちてしまった)の掃除をしなければならない。神社備え付けのほうきではき掃除である。

「あ、おい赤い魔神、その石気をつけろよ」
「なんか魔法かかってるみたいだな」
「おうっ、封印の石みたいなものだぜ。ここって名前の通り黄泉への穴があるって話なんだ。まあ俺も本当かしらねぇけどさ」
「神社の祭神が知らないって言うのも何なんですけど…」

 どうやら「地獄谷温泉」という名前の通り、地獄の穴が開いているという伝説もあるらしい。もともとはこの神社は蒼雷が住みつく前にはこの石がご神体だったのだろう。妙にすべすべしたかなり大きな黒い石で、たしかにちょっと魔法のようなものがかかっているようだった。もちろん二人のバトルで転がってけっこう動いてしまったので、みぎてと蒼雷の二人がかりで元の場所に動かすことになる。

 そういう具合で掃除は着々と進む。なんだかんだいっても四人がかりで大急ぎだったので、夕方になる前に一通り出来あがってしまうからたいしたものである。まあ怪物じみた(魔神族なのだから当然だが)腕力野郎が二人もいれば、石灯篭などはひょいひょいとあっというまに組みあがってしまうものなのである。それに几帳面なディレルがいるから、はき掃除のほうも完璧で、夕方にはもとの境内よりもきれいな(枯れ葉が落ちていないので)状態に仕上がったほどだった。あんまり元の神社より(境内だけだが)きれいになってしまったので、思わず突っ込みを入れてしまいたくなる。

「えらくきれいになりましたね…っていうか、最初見たときに比べてもちょっときれい過ぎるような」
「蒼雷、おまえいつもぜんぜん掃除してないだろ」
「ぎくっ」
「みぎても人のこと言える立場じゃないって。掃除大嫌いじゃん」
「うっ…ま、とにかく俺さま腹減ったし温泉にも入りてぇし、さっさと戻ろうぜ」
「あ、ごまかしてますね、みぎてくん」
「う、うるせぇっ」

 魔神族は掃除が嫌い…というわけではなく、この脳内筋肉文明の二人がそういう部分で良く似ているだけの話なのである。まったく属性が違う二柱の魔神だが、二人そろってまったく同じように真っ赤になり、そそくさと宿へと戻っていったのは言うまでもないことだった。

*       *       *

 一仕事終えて旅館に戻ったみぎて達だったが、部屋に出迎えなどいるわけはない。なんと女性陣は無情にも、先にお風呂にいってしまったのである。まあ神社の掃除がどれくらいかかるか判らないのだから待っていられないというのもある…が、人が労働をしているあいだ、楽しい大浴場というのはなんだか釈然としないものもある。

「ちぇ~、俺さま達も温泉いこうぜ!」
「そうですねぇ、結構ハードでしたから汗かきましたよ」
「おい、赤い魔神、おまえ炎の魔神のくせに風呂入れるのか?」
「…つーか蒼雷、なんでおまえがここにいるんだ?神社に帰らなくていいのかよ」
「俺は地獄谷温泉街の守護神だから当然だろ?」
「…そういう問題なのかなぁ…」

 ことのついでというかなんとなくというか、蒼雷もいっしょについてきてしまっている。一応この温泉街の守護神の任務だと言い張られると妙な説得力があるのだが、だからといって温泉宿に勝手に泊まってOKかどうかは不明である。

「なんとなくあとで僕達に請求書が回ってきそうな気がするんですけど…」

 幹事のディレルは不安いっぱいの表情だったがコージはあっけらかんとした顔で言った。

「とーぜん蒼雷の分は神社のお賽銭からだしてもらう。」
「…うっ」
「第一、こんな観光地の神社やってるんだから、みぎてなんかよりずっと頼れるお金持ちであると推定できる。信じてるぞ、蒼雷君」

 さすがは大食いの炎の魔神と同居しているせいで、経済感覚が異様にしっかりしているコージである。こうびしりと言われてしまうと、たとえ賽銭箱の中が空っぽであっても無いとは言えない。神様のつらいところである。蒼雷は顔を引きつらせながらもうなずくしかなかった。それを見てほっとしたようにディレルは言う。

「あ、そっか。魔神ってみんな貧乏なんだと思ってましたよ!」
「それってどういう意味だよ、ディレル…」

 みぎては思わず抗議の声をあげた。が、実際に(すくなくともみぎてが)貧乏であるということは隠しようも無い事実なのである。なにか言おうと思ったらしい炎の魔神は、結局言葉が見つからず頭をかきかき大温泉へ行くことにしたのは当然のオチだった。

*       *       *

 大浴場は期待どおり、いやそれ以上の素敵な温泉だった。地獄谷温泉は典型的な硫黄泉でお湯も黄色い。浴槽は木製あり、石の風呂あり、そして当然露天風呂もあり、とにかく広い。コージの家のお風呂ではみぎてはもちろんのこと、コージすら足を伸ばして入るというわけにはいかないのだが、さすがは温泉宿である。大柄のみぎてが二人くらい大の字になって入っても十分余裕がある大きさの浴槽がいくつもある。

「ほんとにおもしれぇ~。ちょっとすっぱいんだな、ここのお湯」
「硫黄泉ですからね、酸性なんですよ。あとできちんと身体についたお湯を流さないとかぶれますよ」

 面白がって温泉の湯をなめるみぎてにディレルは笑いながら言う。たしかに硫黄泉ともなると、結構強い酸性でそのまま身体を洗わないとかぶれたり軽いやけどのような症状になることもある(と、温泉の効能表に書いてある)。しかし炎の魔神がやけどというのはちょっと考えにくい。実際みぎてには「かぶれる」という言葉の意味が今ひとつわからないらしかった。

「えっ?かぶれるって?かぶれるって俺さま経験無いや」
「みぎては頭が悪い分だけほんとに病気知らず」
「うっ…健康優良児って言えよ」
「それでもあんまり変わらないような…」

 湯船につかりながらのこんなバカ話である。旅行に行くたびお楽しみの大浴場なのだが、それにしても今回の宿は格別のグレードである。行く前は「温泉なんてじじ臭い」とちょっと馬鹿にしていたコージだが、こんな素敵なお風呂ならばなんどでも来てみたい。いや、これならロスマルク先生の腰痛もよくなるのではないかという気もしてくる。

 さて、コージとディレルが頭を洗っている間、みぎては蒼雷と露天風呂につかって夕闇の空を見上げながらおしゃべりに興じていた。お互い数少ない魔神級の精霊族である。属性こそ違えど本質的にはうまがあうのは傍から見ても良く判る。もちろん一歩間違えれば腕試しだのなんだの言いだしかねないのが、この二人の厄介なところなのだが、すくなくともお風呂の中ではそんな心配もなさそうだった。

「なあみぎて、俺から見るとおまえやっぱり相当変わってるわ。」

 蒼雷は髪の毛をいじりながらしげしげとみぎての顔を見て言った。みぎてはちょっと首をかしげて驚いたような表情になる。

「そんなに俺さま変わってるか?うーん」
「っていうか、俺が今まで見た魔神の中でも飛びぬけて変わってる。まちがいねえよ」

 「変わり者」とここまできっぱり断定されては、この魔神としてはなんと言ったらいいのか判らない。困ったような顔をして頭を掻くだけである。

「第一さ、おまえなんで人間の同盟精霊なんてやってるのさ?おまえほどの魔力あったら同盟精霊なんて普通やんねぇよ。俺みたいな神社やるならともかくさ」
「…うーん」
「それもあのコージってやつ、まだ魔道士かけだしじゃん。言っちゃ悪いけど、おまえの魔力とつりあわねえよ。よっぽどなんか…」

 ところがそこで突然蒼雷は言い淀んだ。それは驚いたことに目の前の炎の魔神が、不思議な…夢を見るような遠い目をして空を見上げたからだった。

「へへへっ、コージのやつはさ、いつかかならず立派な魔法使いになるさ。俺さま判ってんだ。」

 炎の魔神の言葉にはなぜか不思議な力が感じられた。それはまるで未来のコージの姿を見てきたかのように力強く、そして確信に満ちていたからだった。

「…」
「なにせあいつは俺さまが見こんだすっげーイイやつだからさ。魔力の問題なんかじゃねぇよ。一番大事なこと、あいつは知ってるから」

 「一番大事なこと」…そういってみぎてはちょっと恥ずかしそうに笑った。その透明な笑顔を見た蒼雷はもうそれ以上なにも言わなかった。ただちょっとうらやましそうなまぶしい目をして、この炎の魔神と、そして向こうで頭を洗うコージの背中を見ただけだったのである。

*       *       *

 露天風呂から見上げる空はそろそろ満天の星空へ変わってきた。そろそろ夕飯の時刻である。さっきあれだけバトルをして、さらに掃除をしてお風呂である。みぎてならずともかなり空腹になってくる。そういうことで四人は第一回お風呂(当然後でもう一度お風呂に突入する予定なのである)を切り上げて部屋に戻ることにした。
 ところが四人が大浴場を出て、浴衣姿で意気揚揚と廊下を歩いていると、真っ正面から女性の騒ぐ声とばたばたと走る音が聞こえてきたのである。

「コージ、あれ氷沙ヒサちゃんの声じゃねぇか?」
「ほんとだ。ボリーニの声もするな」
「でもなんだかすごい剣幕って感じですけど…」

 いやな予感がしたコージ達は廊下を急ぐ。かどをまがるとその向こうに彼らの部屋と、そして女性軍団がすごく興奮した表情で騒いでいるのが見える。みぎてはちょっと首をかしげて女性軍に声をかけた。

「おーい、どしたんだ?」

 ところがみぎてののんびりとした声を聞いたとたん、女性陣はキッとした顔になって彼らのほうをにらみつけた。思わず逃げ出したくなるほどのすごい表情である。驚いた四人に、突然ボリーニはヒステリックに叫んだ。

「みぎてくんっ!のぞいたでしょ、女風呂!」
「はぁ?」

 あまりに突拍子も無いボリーニの発言に、みぎてだけでなくコージやディレルまであっけにとられて凍りついた。

「のぞくって…女湯を?俺さま達、今までずっと四人で露天風呂にいたぜ…」
「そうですよ。みぎてくんずっといっしょにいましたよ」

 しかしボリーニは自信満々という口調でみぎてを断罪する。この思い込みの激しい女性にとってはディレルの証言など意味が無いらしい。

「あたし見たわよ!翼はえてる男の人が、女風呂の脱衣所でうろうろして、こっそりお風呂の中のぞいてたんだから!翼の生えてる男の子って、ここじゃみぎてくんしかいないじゃない!責任とってよ!」
「…まじかよ…」

 あまりにあまりの事態にみぎてもコージもあんぐりと口をあけたまま、次の言葉がでてこなかった。二人はそのままの姿勢で怒り狂うボリーニの悪口罵倒をおとなしく聞いているしかなかったのである。

5.「目玉ちゃんっ、犯人見たでしょ?」

 もうこうなると手がつけられないのはご想像の通りである。怒りまくるボリーニに一方的に言いまくられるばかりである。こういうセクハラ事件というのは男性にとって、身の潔白を証明するのが非常に難しい。反論すれば相手は逆上するばかりだし、かといって何も言わないと本当に犯人にされて下手をすれば警察沙汰になってしまうのである。もちろん事件は実際におきたのだから誰か犯人はいるのだが、それがみぎてであるとは…少なくともコージとディレルには絶対に信じられない。
 まず何はともあれ、コージやディレルはみぎてとずっといっしょにいたのだし、それにこの魔神にはまったく不信なところがない。第一こののんきな魔神が、黙ってこんなことを出来るはずが無いのである。いつもみぎてといっしょにいるコージにはそれが良く判る。
 とはいえここで「そんなことみぎてがするわけ無いじゃん」といったところでボリーニが納得するわけは無い。いや、むしろ逆効果であろう。現に同じ女性である氷沙ヒサやセルティ先生が言っているにもかかわらずこの状況なのである。

「でもみぎてさまがそんなことするって、ちょっと信じられないんですけれど…」
「何言ってるのよ!男はみんなけだものよ!あまっちょろいこと言ってると泣きを見るわよ」
「でもみぎてくんだって確実なわけじゃないでしょ?翼があったってことはともかくとして…」
「先生までそんな甘いこといって!他にいるわけないじゃない!見るからにスケベそのものの魔神なのよ!筋肉だけど…」
「そうかしら…スケベというよりうぶに見えるんだけど…」

 ここぞとばかり女性陣は(悪意か善意かは別にして)残酷にもみぎての人物評に熱中する。男としてみてはスケベと言われるのも何だが、うぶといわれるとこれまたショックである。コージもディレルも困ったように顔を見合わせるしかない。
 当のみぎてと言えは、これはもう元々反論とかそういうことが出来るようなたちではないので、怒ったような困ったような顔をして沈黙している。コージはみぎての気持ちが少なからず傷ついているのが良く判るので、なんとかしてやりたいと思うのだが、どうしたらいいか判らない。

 ところがそのときディレルがふと思いついたように言った。

「ボリーニさん、えっと…のぞいていた人物って翼があったんですよね。真っ赤な翼?」

 ディレルの言い方はいつもとちょっと違う。なんだか刑事か探偵の謎解きのような口調だった。わざわざ「ポリーニさん」というところを見ても、まるで探偵が事情聴取をしているような口ぶりである。
 ボリーニは小馬鹿にしたようにディレルに説明する。

「真っ赤かどうかは判らないわよ。シルエットだもの。壁に映った影を見たのよ。だらしなく翼を広げてたわ」
「壁に映った影?…うーん」

 ディレルは一瞬首をかしげて、みぎてとボリーニの顔を交互に見る。ボリーニはディレルの態度に怒ったような顔になる。

「なによっ?何か変?」

 するとディレルは、まるで探偵ものの名刑事か何かのようにあごに手を当てて軽くうなずくと、全員を見まわして言ったのである。

「えっと、それじゃあその人影はみぎてくんじゃないですね。間違いありません。」
「えっ?」

 ディレルは一同の驚きの視線に満足げにうなずいた。

*       *       *

 あまりに自信ありげな様子である。いつもの周囲に振り回されっぱなしのディレルであるから、これは本当に珍しい。ボリーニはぎょっとして思わずヒステリックな声をあげた。

「証拠はどこよ証拠は!」

 するとディレルはにっこりと笑ってみぎての方を向いて言った。

「みぎてくん、ちょっと翼出してよ。」

 みぎてはうなずくと言われるままに炎の翼を出した。学校や家では別だが、街中やこういう旅行先では(さすがに目立つので)炎の翼は引っ込めていることが多い。ディレルは真っ赤に輝く炎の翼と、そしてみぎての足元を指差した。

「ほら、みぎてくんの翼、影が出来ないですよ。」
「えっ…あ、ほんとだ!」
「あらほんと!言われてみればそうね…」

 驚いたことにディレルが指摘する通り、たしかに照明に照らされたみぎてのシルエットには翼はない。考えてみればみぎての炎の翼は実体があるものではなく、単にこの魔神の強大な精霊力が視覚的に現れているだけのものである。普段は実際の炎のように熱いわけでもない。一種の陽炎のようなものだった。そんなものが影を作るわけは無いのである。
 明白な物的証拠を突きつけられてボリーニは一瞬真っ赤な顔になった。しかし、その後けろりとして負けを認めた。

「うーん、あたしの負けだわ。みぎてくんじゃなさそうね。疑ってごめんなさい」
「良かった~、俺さまかなり焦ったぜ。」

 みぎてはほっとしてうれしそうに笑った。が、しかしボリーニの顔はまったく晴れない。むしろ今度こそ本当にぞっとしたような表情になったのである。

「でも…それならもっと嫌よ。筋肉じゃないじゃない!」
「筋肉って…あ、でもそりゃそうだよな、たしかに」

 ぼろクソにけなしていながらもボリーニはみぎてのことが嫌いなわけではない。むしろかなり好意を持っているのは明らかである。そうでなければみんなで温泉旅行など行くわけが無い。もちろん仲が良いからといって入浴シーンを見せても良いというわけではないが、どこの誰とも判らない怪しいやつに見られるのはもっと嫌というのは至極当然の話である。犯人がみぎてではないということがはっきりした以上、今度こそ正真正銘ののぞき魔がいる。これはボリーニで無くてもぞっとする話であろう。実際氷沙はびっくりして思わず顔を手で隠したし、セルティ先生も深刻な表情に変わった。

「困るわ、せっかくの温泉なのに…」
「でも普通、さすがに僕たち男性陣が女湯に乗りこむって、簡単には出来ない相談ですよ。出来たら教えてほしいくらいです。どうやったんだろう…」
「ディレルさん、エッチ!」

 冗談めかして言う名探偵(?)ディレルに氷沙は赤面して突っ込みをいれる。しかしたしかに女性陣の心境としては、さすがに犯人を捕まえないと安心して大温泉を楽しむことなどできない。これはちょっと何とかしなければならない問題だった。ボリーニの矛先はもう一人の筋肉男、蒼雷に向いた。

「ちょっと蒼雷君、あんた温泉の鎮守の神様なんでしょ?なんとかしなさいよっ!」
「えっ、そんなこといわれても困っちまうなぁ…」
「桃缶とかお賽銭とかもらってるんだから、ちゃんと警備してくれないとだめじゃないのよ!このまま温泉入れなかったら、神社の桃缶みんなみぎてくんに食べてもらうから!」
「ええええっ!そんなぁ!」
「なんで俺さまが桃の缶詰食う話になるんだ…」

 突然のことに蒼雷はしどろもどろである。犯人も手口も判らないのでは彼だってなんともしようがない。しかしお供え物の桃の缶詰を担保に取る宣言にはさすがの鬼神も慌る。まああれだけの缶詰をみぎてが食えるかどうか(甘ったるい桃の缶詰ばかりであるからさすがにつらい)は別であるが…

 ところがそのとき、あまりに意外なところから意外な目撃者が現れたのである。

*       *       *

 突然何を思ったのか例の「目玉」…コージ達の奇妙なペットがするすると触手を伸ばして、みぎての肩へと降りてきた。こいつはいつもみぎてやコージの肩の上か、それとも天井にぶら下がっているのが好きである。さっきからいるのはみんな知っているので、突然降りてきたからといって驚くわけではない。目玉はみぎての大きな肩の上に降りると、気持ちよさそうに緩慢なまばたきをする。
 しかしそのとき突然、氷沙が声をあげた。

「そうだわっ!目玉ちゃんがいたわっ!」
「?」
「えっ?目玉がどうしたのか?」

 氷沙は名案を思いついたらしい。にこにこ笑ってみんなに言った。

「さっきわたしたちお風呂に行くとき、目玉ちゃんを脱衣所に連れていったのよ。部屋に放っておくのもかわいそうでしょ?」
「えっ…目玉を?」
「連れていったのか…」

 コージとみぎては思わず顔を見合わせて苦笑する。この「目玉」という変わったペットは、実はスパイなどに良く使われる暗黒精霊で、元々コージ達の家をのぞき見していたところを捕まえたのである。脱衣所なんぞに連れていったら、目を細くして喜びそうな気がする。まあもっともこの奇妙な生物がオスかメスかはコージ達も知らないのだが(なんとなく性別など無いような気がする)。
 しかしそんなことはつゆ知らず、氷沙やセルティ先生は熱心に討論をはじめていた。

「あ…そういえばそうね。たしか脱衣かごの中よね。」
「何か見てないかしら?きっと犯人を見ているわよ!」
「ありえるわね、それは…」

 話題が自分のことになったのを敏感に察知してか、目玉はちょっと恥ずかしそうにみぎての背中側に移動して隠れようとする…が、そんなことを見逃す女性陣ではなかった。突然ボリーニは手を伸ばして目玉をむんずと捕まえて問い詰めたのである。

「目玉ちゃんっ、犯人見たでしょ?」

 実は「目玉」という生物はかなり賢くて、どうやら人語を解するらしいということは彼らの間では周知の事実なのである。声をかければちゃんと現れるし、掃除の時には雑巾がけを手伝う。ドジでうっかりもののみぎてなんぞよりよっぽど器用だといううわさもある。とにかくそこらのペットとはわけが違うのである。
 ボリーニにつかまれた目玉は触手を動かして逃げようとしたが、彼女はじろりとにらみつけてこいつの抵抗を封じた。目玉はしぶしぶうなずくような動作をした。

「やっぱり!目玉ちゃん犯人見たのねっ!」
「じゃあ目玉くんを連れて歩いて、一人づつ該当者をあたれば良いということになりますねぇ…」

 氷沙とディレルはうれしそうに声をあげた。ところがボリーニはみんなのほうを向くと、にやりと笑いながら指を立てる。

「ちっちっち、そんな原始的なことはしなくて良いわ。この私の発明品さえあれば…」
「発明品?またですか…」
「旅行先までそんなもの持ってきたんだ…」

 最初にも少し触れたが、ボリーニは大学では発明狂の双璧の一人である(後の一人はご存知の人もいるだろうが、隣の講座の変態助手シュリ・ヤーセンである)。コージやみぎては何度も彼女の珍発明品の実験台にされて、ひどい目とは言わないがとんでもない体験をしている。が、しかしわざわざ温泉旅行まで彼女が発明品を持ってきているとは…さすがのコージ達も予想はしていなかった。ましてや初対面の蒼雷などは、彼女のかばんの中から出てくる怪しげな機械やら部品を見て怪訝な表情になるのも無理は無い。思わず小さな声で傍らのみぎてに聞く。

「なあみぎて、あの女何しようとしているんだ?」
「しっ!下手なことしゃべると、実験台にされるぜ」

 「実験台」という危ない言葉を聞いて蒼雷は慌てて口をつぐんで、目立たないように(しかしどだい無理な話なのだが)小さくなった。そのかいがあったのか、ボリーニの珍発明品の被害者は蒼雷ではなかったのだが…

「じゃ~ん、どう?これいかすでしょ」
「これって…これなにさ?」

 彼女が取りだしたのは、要するにヘッドライトのようなものだった。頭に巻くようなゴムバンドに小さな懐中電灯がついているように見える。工事のときにヘルメットにつけるようなあれである。ゴムバンドはなぜか青と黄色のツートンカラーである。

「どう見てもヘッドライトじゃん」
「これがヘッドライトに見えるところがコージもだめよね。まあもちろん入れ物だけはヘッドライトを流用したんだけど。」

 ボリーニは得意満々に語り始めた。こうなると彼女の独占場である。ライバルのシュリがいない今日だから、とどめるものは誰もいない。

「これ、この間作った『念写幻灯機』よ。これをかぶって念じれば、思ったことが映像になって壁に映るってあんばいなの。本来は論文発表用のプロジェクター代わりって思ったんだけど…」

 彼女はそれだけ説明すると、すばやく捕まえていた目玉の頭にヘッドライトを滑りこませた。目玉としては嫌かもしれないのだが、抵抗すれば後が怖い。おとなしくなすがままになるしかない。
 彼女は固定バンドをきちんと止めると、目玉をにらみつけて言った。

「目玉くんっ!念写してっ!」

 すると…ヘッドライトは明るく光を放ちはじめた。ヘッドライトの光は客室の壁を照らして、次第に鮮やかなカラー画像を形作る…が、それはでかい胸である。ボインというか、グラマーと言うか、鼻血がでそうなほどのすごい画像だった。

「ちょっとっ、これわたしの胸じゃない!目玉くんっ!」

 悲鳴をあげたのはセルティ先生だった。どうやらこのグラマーでセクシーな胸は先生のドアップ映像だったらしい。突然のサービスカットにみぎてもコージも卒倒寸前になる。先生とボリーニはすばやくヘッドライトを手でふさぎ、げんこつで目玉を殴る。

「こんどやったらげんこつじゃ済まないわよ。」
「のぞきの犯人を念写するのよっ。判ってるわね!」
「っていうか既に目玉くん、十分すごいシーンをのぞいているって気がするんですけど…」

 セルティ先生とボリーニにはさみ打ちにされて、目玉はしぶしぶ再度投影をはじめる。再び壁にもやもやとなにかの映像が浮かび上がる。ところが…

 ところが驚いたことにそれは普通ののぞき魔どころが、人間ですらなかった。黒っぽいしなびた翼、細長く黒い手足…それはどうみてもみぎてとは違う、明らかに翼の生えたミイラのような不気味な姿だったのである。
 固唾を飲んで画像を見守る一同だったが、さすがにこんな怪物じみた生物の姿に、驚きと困惑を隠せなかった。こんな怪物が町の中、宿の中に進入しているなどと言うこと自体がにわかに信じられるものではなかったからだった。

「やだっ、何これ…」
「目玉くんっ、冗談だったらサッカーボール代わりに蹴るわよ!」
「ボリーニぃ、俺達のペットだって。でもこれすごいギミックだよな」

 あんまりとんでもない画像が現れたもので、女性陣はみんなホラー映画を見たかのようにきゃあきゃあわあわあと騒ぎまくる。みぎてやコージも半分冗談と思い込んで面白そうに声をあげた。しかし…
 ただ一人だけその怪物の正体を知っていた者がいたのである。そう、蒼雷だった。蒼雷は驚愕と戦慄とともに、つぶやくような声で言ったのだった。

「やべぇっ…こいつ、黄泉ヨミの住人じゃねぇか!」
「えっ?」
「黄泉の住人?ってまさか…」

 驚くコージ達に蒼雷はうなずいた。そう、それはまったくもって冗談ではなかったのである。蒼雷は今度ははっきりと、焦燥と動揺を隠さずに彼らに告げたのだった。

「あ、ああ。間違いねぇっ!地獄谷神社の封印石から逃げ出したんだ!大変なことになったぜ…」

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