35.「その手で、未来をひらけ … 」
スカール … つまりジーク達とともにドクター・コーネリアスを追って階段を駆け登るクレイは、どういう訳か激しい動悸を覚えていた。タルト達が危ない … クレイですらこの大魔道士スカールがいっしょでなければ … あの奇妙な、そして恐るべき老人を相手にするのは難しいのである。
いや … それだけではなかった。クレイの … さっきの魔神との戦いで本当の意味で目覚めた野獣の直感が、もっと恐ろしい何かを告げていた。だから、今クレイはまるでたてがみが逆立つような、そんな異常な感覚をずっと感じていたのである。
その時 … クレイたちの耳に、絶叫とも悲鳴ともつかない声が届いた。タルト達の声である。
「タルトさんだっ!」
「 … あの魔道士め、見境なく混沌魔術を使ったな … 」
スカール/ジークは静かにそういった。レムスはびっくりして冷静な顔つきのスカールを見た。いつものジークと違って、スカールの顔を表に出したジークは … なんとなく非情さというより周囲全体を馬鹿にしたような感じがあって、どうしてもレムスには好きになれないところがある。
「ジーク、何があったんだよ!まずいよっ!」
「 … 」
「ジーク」と呼ばれたスカールは自分のことだとは認識せず、代わりに少しだけ面白そうに微笑む。そんなスカールの表情をますますレムスは不快そうに見上げた。そして先を急ごうと言うために … スカールの代わりにクレイの方を見た。
ところが …
「あっ!!クレイさんっ!」
「 … 」
クレイはレムスやスカールの言葉を聞いていなかった。わずかな時間虚空を見つめたかと思うと、頭を抱えるようにして、うずくまってしまったのである。
「クレイさん!クレイさん!」
驚いたレムスはクレイの傍らにかけより助け起こそうとした。しかし、レムスはクレイに触れることは出来なかった。まるで … クレイが蜃気楼になってしまったかのように、レムスの手はクレイをつきぬけてしまったのである。
「いったい … なにが!!」
レムスには何が起きているのか判らなかった。いや、レムスだけではない。ナギにも桜山にもジークにも … クレイに何が起きているのか、そしてどうしたらいいのか判らないらしかった。
動揺してジークの方を向いたレムスに … ジークは(スカールだったのかもしれないが、レムスにはその時ジークとしか思えなかった)つぶやいた。
「 … 今、クレイの戦いが始まった。これが最後だ。」
「どういうこと?!」
「レムス … クレイを信じろ … 必ず … クレイは勝つ。」
* * *
クレイは突然襲ってきた恐ろしい衝撃に意識が混乱していた。頭の芯を誰かが殴りつけたような … そんな猛烈なショックだった。
(何が起きたんだ … )
言葉に出来ない衝撃の中、クレイはそれでもその正体を探り出そうとしていた。どこかで、感じたことのある感覚 … それが衝撃の正体だった。そう、いつか感じたことのある孤独 … 恐怖と絶望 … それが今まるで形となってクレイの意識に殴りかかってきた … そうとしか思えない。
(あれは … 誰だ … )
孤独の痛みの中心に誰かいる … 誰も助けてはくれない … 人であることを奪われた、モルモットとしての生 … そして「死」 …
(あれは … 俺だ … )
この痛みはクレイ自身の痛みだった。過去のクレイ … ドクター・コーネリアスの手で、虐待され、殺されようとしているクレイ … 誰にも助けを求めることも出来ず、永遠に続く苦しみの海の中でのたうちまわっている … その痛みが伝わってくる。それは、今のクレイ自身が、今なお記憶の中で味わいつづけている痛みそのものなのだから … だから、クレイはあそこにいる過去のクレイと、今すべてを共有していた。痛みも、絶望も … すべてを …
(そしてあの時 … 俺はあの声を聴いた … )
最後の瞬間に聴いたあの声 … そして … ヴィジョン …
「ここから … 逃げたいか?」
クレイは記憶の中で何度もつぶやき続けていたその言葉を口にした。すると、言葉は声となって広がった。聴いたことの無い … それでいて聴き覚えのある声になって …
その瞬間クレイはあの時のことを、再び思い出した。クレイがドクター・コーネリアスのもとを逃げ出したあの時を … そして彼が見たヴィジョンを …
そこには剣があった。剣は雪と嵐の中、凍てつく大地に突き刺さっていた。氷河そのものが剣となった … それが目の前にある剣だった。
そして … どこからか声がする。それは聞いたことの無い男の声だった。そう、聞いたことの無い声なのだが … そのくせ間違いなく聞き覚えのある声だった。いつも聞いている、そんなデジャ・ヴともつかない声 …
「ここから … 逃げたいか?」
あの声はあの時そうクレイに告げた。「ここから逃げたい」 … それはあの時の、そして今のクレイの心をすら、まるで鏡で映したような言葉だった。
「自由に … なりたいか?」
自由 … クレイにとっては既に、はるか昔に忘れさってしまった、失われてしまった言葉 … 彼がドクター・コーネリアスの奴隷だったときも、そして英雄とも帝国最高神官とも謡われ、仲間に囲まれている今でも … 心のどこかでそれをいつも、まるで飢えた獣のように求め続けていた …
だからクレイはあのとき聴いた言葉を口にしたのである。
「ならば … その剣をとれ。それは、おまえのものだ … お前だけの … 」
その瞬間、クレイの中で何かが弾けた … それははるか昔に約束された答えだったからである。
* * *
(!!)
クレイは自分のいった言葉を、自分の耳で、心で聴いた。それは聴き覚えの無い声 … そしていつも聴いている声だった。そう … クレイがあの時、ドクター・コーネリアスの手から逃げ出したあの時、彼に語ったあの声は …
未来の、彼自身の声だったのだ …
だからクレイは、今苦痛と恐怖の中殺されようとしている若き日の彼に、あのとき聴いた言葉を与えなければならない。そして、ガイアードの剣を …
混沌の海に身を浸しながら、目の前の … 若き日のクレイは剣をとるだろう。それが、彼自身をどんな存在に変えてしまうのかを知らずに、「すべてから逃れるため」に … すべては、約束されたとおりのことだった。
(それで … いいのか?)
あの日聴いた自分自身の声が聞こえた気がした。それでいい … クレイは定められたとおりガイアードの剣をあの日のクレイに渡せば、時の円環は閉じる。すべてはあの時のままだった …
たった一つのことを除いて …
* * *
その時クレイは大切なことに気がついた。そう、本当に大切なことだった …
今、彼の両腕を必死につかみ、命をかけてクレイの身を混沌の力から守ってくれている、あいつらは何者なのだ?あんなことはクレイの記憶には無かった。「誰かが俺を守ってくれている」 … それも、理由もなく、純粋に「仲間だから」ということだけで …
(タルト!リキュア!)
クレイはあの二人を知っていた。かけがえの無い仲間 … 「仲間」だった。あのころのクレイには無かったもの … その存在すら知らず、理解すら出来なかったものだった。
それが今、彼を守っている。すべてを賭けて … あの時にはそんなことはなかった。誰もクレイの絶叫に答えてはくれなかった。しかし今は違う … 変わったのだ。
時は、歴史は今変わっていたのだ。円環は閉じない。孤独と痛みという名の同じ苦しみを永遠に味わい続けるという時間の輪 … それをタルトが、リキュアが、そして仲間たちが変えてくれようとしている。
そう … 今、時の円環は螺旋へと変わり、未来に向かって永いアークを描いて進みはじめようとしているのだ。
だから、クレイは自分のために、そして大切な仲間たちのために「新たなる言葉」を与えた。
「未来は…おまえのものだ!お前のその手で、未来をひらけ!」
それはクレイの、クレイのための新しい誓約だった。そう、未来は誰のものでもない … クレイ自身のものだった。隷属の鎖も、ドクター・コーネリアスも、そしてあの剣 … ガイアードの剣のものでもない。彼自身と、彼が大切に思う友のために生きるのだ。それがクレイの、クレイ自身に与える誓いと祝福の言葉だった。そして …
クレイ自身がその剣をとったとき、過去と未来は一つに結び付いた。それはクレイにとって失われた何かの回復であり、クレイ、そしてロキという名の戦士の、誕生だった。
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