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楊範・鄭令蔓伝 壮途編 四「会稽山?…うっ、そ、そうか、しまった」

四「会稽山?…うっ、そ、そうか、しまった」

 楊範…ヤンとの会食は気楽で楽しいものになった。実際のところヤンという青年はもともとおしゃべりなほうではないらしく、酒をおいしそうに飲んでは時々しゃべる程度である。同席しているリンクスが、こいつもまた無口であることを考えれば、ほとんど一方的にテレマコスが話しつづけるという結末になるのはしかたがない。
 ところがなぜこの会食がうまく行くのかというと、要するにまったく傾向の違うもの同士の組みあわせだったからだろう。テレマコスにしてみれば、自分の話を面白そうに聞いてくれる良い相手がみつかったというわけだし、ヤンはヤンで聞いたこともない外国の不思議な風物誌をとうとうと語ってくれる相手なのだから面白くないわけはない。つまりは「需要と供給」というわけだった。さらに酒は極上の老酒、料理は関子邑自慢の料理人特製となると宴会が盛りあがらないわけがない。いつしか目の前には空の徳利がごろごろころがるということになってしまう。

 というわけで、当初の「ヤンを見たときに感じる謎の気の正体を調べる」というもくろみはどこへやら、三人は瑠璃の杯を片手にまたしても飲みまくってしまったのである。

*       *       *

「テレマコスさん!そろそろ起きてくださいよ…」
「う、うむ…すまん、ちょっと水をくれ…」

 テレマコスの目がさめたときには既にすっかり朝である。「またしても」不覚にも泥酔してしまったのだ。布団の中で目がさめたということは、おそらくリンクスが部屋まで運んでくれたのだろう。

「はい、水ですよ。あんなに飲むなんて驚きましたよ。あれじゃ誰だってひっくりかえりますって…」
「うーっ…」

 リンクスがさしだした水を一気に飲んでテレマコスは恥ずかしそうに頭をかいた。まったくもって二日連続で大泥酔とは情けない話である。まがりなりにも大魔道士なのであるから、ちょっとは落ち着いて「格好の良い酔い方」をしてもいい歳ごろなのである。いまだに学生のりで大宴会なのだから、リンクスにあきれかえられても当然の話だった。

「うむむ…ヤン殿は?」
「ちゃんと自分の足で部屋に戻られましたよ。まあそこそこ酔っぱらってましたけれど…」

 どうもヤンはテレマコスよりも酒に強いらしかった。リンクスは別にして二人で二升近く飲んでいるのであるから、どう見積もってもヤンだってかなりの量を飲んでいるはずである。ということはつまりあの金髪の拳法家は「うわばみ級」なのだろう。少しは「酒に強い」という自覚のあったテレマコスにとっては結構ショックである。
 ところが、うめき声をあげながらおきあがったテレマコスにリンクスはとどめを刺すように言った。

「早く着替えてくださいよ、テレマコスさん。ヤンさんとの待ちあわせに遅れちゃいますよ。」
「ううっ?…待ちあわせ?」

 何のことかテレマコスはさっぱり判らなかった。まだ昨夜の酒が残って頭がくらくらしているのである。しかしリンクスはテレマコスの布団をひっぺがすと冷静にいった。

「昨日宴席で約束してたじゃありませんか?今日はいっしょに会稽山にハイキングするって。」
「会稽山?…うっ、そ、そうか、しまった…」

 あんまり調子良く飲んでいたものですっかり忘れていたのだが、確かに昨夜約束した記憶がある。街の近くにある名山「会稽山」にいっしょにハイキングをしようというのである。それにもかかわらず昨夜あれだけ馬鹿みたいに飲んでしまったのであるから、自業自得というかなんというかである。
 思わず悲鳴をあげたテレマコスの顔にリンクスは洗濯したばかりの着替えを投げつけたのは言うまでもない。

*       *       *

 会稽山というのはこの街、会稽郡から程近い山である。丸1日で往復できるのでハイキングコースとして丁度よい距離だった。山頂からは会稽郡の街とその向こうに広がる海が一望でき、すばらしい観光スポットである。
 もっとも運動が決して好きではないテレマコスが、わざわざ会稽山へのハイキングツアーを企画するわけはない。この魔道士が会稽山へ行こうとした理由は「禹王うおうの墓」を見たかったからである。

「禹王」というのは中原の伝説にあるエピックヒーロー…聖天子の一人だった。人類に火を与えた燧人すいじん氏や国家を始めて作った黄帝と同じような伝説の人物である。禹王は水の力を司る英雄で、洪水に悩まされていた人々を救ったといわれている。その墳墓がここ会稽山にあったのである。
 テレマコスにしてみれば、洪水を食いとめるほどの力をもつ半神について調査をせずにいられるわけがない。まあこれだけ有名な観光地なのだから、めぼしいものは調査されつくしていて、どうせたいしたものは残っていないだろうが、一目見ずにはいられないというのが魔道士の性分なのである。

 というわけで、昨夜の宴会でその話が飛び出したわけだった。するとヤンは「快く案内を引き受けて」くれたのである。せっかく天下の武礼撫、ヤン将軍が観光案内を買って出てくれたというのに、肝心のテレマコスが寝坊ではあまりに失礼極まり無い。ということでリンクスは布団をひっぺがして無理矢理テレマコスを叩き起こしたというわけだった。

 二日酔いでもうろうとしているテレマコスだがリンクスの(珍しい)けんまくに押しまくられ、ようやく無事に身繕いを済ませることができた。既に日は中空高くにまで昇っているところを見ると、すっかり朝寝坊してしまったことが判る。
 リンクスに引っ張られるように庭に出たテレマコスの前に、すっかり準備を整えたヤンが現れた。いや、ヤンだけでなくもう一人、背の高い筋肉質の戦士風の男がいっしょにいる。

「昨日は相当飲まれましたからね。大丈夫ですか?」
「いやいや、醜態をお見せしてしまいました。申し訳なし。」

 情けなさそうに謝るテレマコスにヤンは軽く声をあげて笑う。どうもみたところ昨日の酒はすっかり抜けているようだった。「鋼の肝臓」でも持っているのだろう。リンクスにいわれてある程度予想はしていたテレマコスだが、ここまで平然としているヤンをみるとやはりショックである。
 ヤンはしかしテレマコスのそんな驚きには気づくわけもない。代わりに彼が連れてきた大男の紹介を始めた。

 「彼はガン・ユウジン、私が親しくしている食客仲間です。」
「ガン・ユウジンと申します。よろしく。」

絵 竜門寺ユカラ

 ガン・ユウジンと名乗る男はヤンよりも一回り以上も大柄で不精髭をはやした剣士風の男だった。短く刈りこんだ髪が歴戦の剣豪らしい風格を漂わせている。おそらく二人とも無骨な戦士ということでうまが合っているのだろう。かなり前からの友人らしかった。

「私一人では少し道が不安なものでユウジン殿にも来てもらいました。彼はここ会稽郡の生まれなのです。」
「会稽山なら何度も行ったことがある。道案内くらいならたいしたことではない。」

 ユウジンは低い声でテレマコスに言った。無論テレマコスらにとっても断る理由は(二日酔いの問題は別にして)ない。第一わざわざヤンが友達まで連れてきてくれたのだから、ますますもって二日酔いくらいでハイキングを中止するわけにはいかなくなってしまった。

「おお、それではユウジン殿、よろしくお願いします。」
「さあテレマコスさん、行きましょう。」

 かくしてテレマコスは二日酔いの頭を抱えながら会稽山参りをする羽目になってしまったのである。

(5へつづく)

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