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72.「お兄さん達ね … 私の敵というのは」

 タルトの意識の中に真っ白い光が広がった。激情が光となってタルトの意識を貫いたのであろう。もし傍らにリキュアがいなければタルトは立ちあがって彼女のところへかけていったに違いない。

(タルトっ!落ち着いてっ!)

 リキュアの強力なテレパシーがタルトの脳に強烈なショックを与えたおかげで、タルトは何とか自制心を保つことができた。

「大丈夫だ、リキュア。飛び出したりはしないよ。」
「お願いよ。今あんたに飛び出されたら、うまく行くものも失敗しちゃうわ。」

 リキュアはそう言ってタルトにウインクする。その目はタルトの激しい焦りとはうらはらに笑みすら浮かべていた。タルトはちょっと驚いたようにリキュアに言った。

「どういうことなんだ?うまく行くって … 」

 リキュアは真剣な目をしてタルトにうなずき、小声で答えた。

「いい?タルト … これはチャンスかもしれなくてよ。」
「チャンス?」
「そうよ。せっかく顔無き女さまがジャコビーを私たちにぶつけてくれるのよ。ジャコビーを奪い返すチャンスじゃないの。」

 リキュアの目は彼女が本気であることをはっきりと示している。実は彼女は初めから…この帝国軍の新兵器の話を聞いた段階で、それがジャコビーである可能性に気がついていた。彼らがギルファーを探しに行った理由を考えれば自明である。聖母教会が魔道皇帝に対抗して生み出す半神…しかしあの段階でジャコビーの存在は魔道皇帝にバレてしまった。彼らが上方世界で探索している間に、聖母教会はジャコビーを皇帝に取り上げられてしまったのだ。となると…
 確かに、最強の神将として生まれた彼女がタルト達を襲う … 彼らにとっては最大のピンチかもしれない。しかし … ジャコビーの過去 … 呪われた、戦うために生まれた彼女の過去にタルト達は今接触しているのである。それは逆手にとれば彼女の呪われた過去を変え、彼女を自由にすることができるかもしれない。そう … これはたった一つ、タルト達に与えられたたった一つのチャンスなのである。

「そうか … そうだな。ああ、リキュア … ありがとう。」
「さあ、ここからが正念場よ。しっかりやりましょう。」

 二人は目と目で確認すると再び … チャンスをねらって物影に身を隠した。それはまるで恋人同士が自由へ向かって逃亡する唯一の機会を狙っているような姿だったのである。

*       *       *

 顔無き女と聖母教会の女祭達は少女がおきあがり、そして命令 … 「この陣営に忍び込んだルーン力を持つスパイを殺せ」という命令にうなずいたのを確認すると安心したようだった。

「それでは早速かかりなさい。」
「判ったわ。」

 まだ幼なさが残る声で少女は答えた。一糸まとわぬその姿は帝国最強の超兵器 … 神将にふさわしい美しさを持っていた … しかしその面には感情のかけらも見えなかった。
 ジャコビーが顔無き女に連れられてテントの外へと出て行くと、再び天幕には誰もいなくなった。タルト達は周囲が静かになったことを確認してから立ちあがり、さっきの箱 … 少女ジャコビーが眠っていた箱の側へと近づいた。箱は重い金属のようなもので作られていたが、その中には水のようなものが満杯に入っていた。

「 … 棺桶みたいね。」
「ああ。カプセルだな。」

 タルトもリキュアもこのカプセルのようなジャコビーの寝台を見てそれがなんであるかうすうす想像がついた。そう … 「人造エピックヒーロー」 … 聖母教会の技術の粋を集めて産み出されたホムンクルス、ジャコビー … 彼女はこのカプセルの中で生を受けたのであろう。中の水はおそらく人工の羊水のようなもの … 魔道技術に詳しいとは言えないタルト達だったがそれくらいのことは理解できる。

「タルト、何かいい案浮かんで?」
「 … 」

 リキュアはちょっと困ったようにタルトに言った。チャンス … とは言ってみたものの彼女にも具体的なアイデアが浮かんでいるわけではないのである。

「 … ここで待ってみるか?」
「 … そうねぇ … 」
「もし彼女が … 本物なら、きっとすぐに俺たちを見つけるさ。見つかった後どうするかは … ぜんぜん思いつかないんだけど … 」

 タルトのアイデアはリキュアの予想どおり「アイデアですらない」ものだったが、彼女はどういうわけかその方法が一番いいと直感的に感じた。下手な小細工など意味はない … ただ、タルトとジャコビーの出会いだけがすべてを決するはずだと … リキュアは直感ではっきりと理解していたのである。

「いいわよ。タルト … それで行きましょう。」
「おいおい、これってただの『待ち』だぜ。」
「いいじゃないの、変なことをして邪魔が入るよりずっとまともなアイデアだわ。」

 リキュアはそう言ってタルトに微笑む。その微笑みの中にはリキュアの … タルトとジャコビーの、これからやってくる大切な一瞬は、たとえ何があっても、誰にも邪魔をさせないという決意がのぞいていた。

 息の詰まるような時間が過ぎていった。タルトもリキュアも … ただひたすらジャコビーがくるのを待っているしかないのである。いや … これは一種のかけといってもよかった。ジャコビー一人が彼らの前に現れればいいのだが、「顔無き女」といっしょに現れたり、もっと最悪なことに顔無き女一人が彼らを見つけたりしたらすべてはおしまいだった。しかし … タルト達にそれを防ぐ手段など初めからないのである。

「下手な小細工するよりずっといいわ。」
「随分強気だなぁ … リキュア。」
「なに言ってるの。勝負どころじゃない。」
「まあ、そうか。」

 リキュアのはげますような勢いにタルトは苦笑いする。なぜリキュアがこれほどまでに、彼の成功を信じているような様子を見せるのかタルトには判らない。いや、女好き、夜の帝王とまで呼ばれる彼である … 女性であるリキュアの複雑な心境などとっくの昔に判っているはずである。
 しかし、たった一つだけタルトが確信していたことは、リキュアが彼のことを信じていること … 恋愛感情とかそう言うものとは別に … 彼のことを信じてくれているということだった。

(すまねぇな … リキュア … いつも … )

 リキュアの瞳にタルトは思わず心の中で謝った。そして気をとり直して待ち人を … ジャコビーがテントの外から入ってくるのを待ったのである。

*       *       *

 わずか20分ほど後のことだった。

「お兄さん達ね … 私の敵というのは。」
「!」

 タルト達がまったく気配を感じなかったにもかかわらず、少女は彼らのすぐ傍に現れた。さっきは遠くから見ていただけだったのでそこまでは感じなかったのだが、いま … 目の前にいる彼女を見ると、タルトは改めてショックを受けた。その壊れそうな肩や小さな瞳を見て … その背後に彼女が背負わなければならない巨大なルーン力と … そして闘いの一生を見て、タルトは背筋に電気のような衝撃を感じたのである。
 だからタルトは … 身構えなかった。目の前にいるのは少女ジャコビー … タルトが愛し、そして追いかけつづけることを心に誓った帝国最強の彼女、ジャコビーだと素直に … 受け入れることができたからなのである。

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