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炎の魔神みぎてくん POWER LIVE ③「げげっ!やっぱり知ってた!」

3.「げげっ!やっぱり知ってた!」

 宴会も一時間を過ぎて、いよいよカラオケの対決は熾烈となってきた。いや、別に対決という話にはなっていないのだが、このまま放置していればセルティ先生がマイクを離さないのは確実である。こういう場合は「たくさん歌ったものが割り勘勝ち」という厳然たる事実がある。
 というわけで、コージやポリーニ、ロスマルク先生も歌集から一生懸命になって歌を探すことになる。もちろんみぎてもであるが…こういう激しい(バトルといってもいい)カラオケではこの魔神にはかなりつらい。なにしろもたもた曲を選んでいる余裕が無いのである。カラオケ経験が少ないうえに、人間界の歌をあまりたくさん知っているとはいえない彼は、ある程度優遇措置があってしかるべしなのだが、酒の入っているセルティ先生にそんな大人の対応を求めるのは無理である。
 同じく不利な状況に追い込まれているのは、やはり万年幹事のディレルである。絶好調のセルティ先生は、マイクを持って歌っているか、さもなければビールを飲んでうまいものを食っているかのどちらかなので、結局ディレルはちょくちょく注文対応に追われることになってしまうのである。落ち着いて歌本を見る余裕などまったくといっていいほど無い。さっきのポリーニの配慮は、このままではもろくもこの年齢詐称女教授に粉砕されてしまうのは確実である。
 さすがに見るに見かねたコージは、セルティ先生がトイレでちょっと出た隙を見計らって、マイクと歌本を彼女の席から取り上げて、みぎてとディレルの前に置いた。

「さ、そろそろ二人の番だって。セルティ先生歌いすぎ」
「セルティ先生がこんなにカラオケ好きなんて、あたし知らなかったわよ。ロスマルク先生、いつもこうなの?」
「…いつもじゃな。うむ、いつもじゃ。幻術工学科のマサラ先生といい勝負じゃし。」
「…教授会でカラオケ大会やってるのが目に浮かぶようですよ…」

 マサラ教授の幻術工学科というのは、音声や幻術などを応用した魔法工学の学科であるから、なんとなく教授がカラオケ好きというのはわからないことも無い。(そもそもこういうカラオケマシンという技術自身が幻術工学科で研究する内容である。)というか実はマサラ教授は一応名の知れた作曲家でもあるので、こういうカラオケバトルでも一歩も引かないというのはある意味納得できる。が、そのマサラ教授と真っ向勝負するというのだから、今日の展開は当然のなりゆきといえるだろう。
 が、ともかく先生がトイレから帰ってくる前に、みぎてとディレルの歌う曲を決めておかないと、また元の木阿弥である。コージは軽くうなずいて、二人に曲選びを促す。ところが…

「あ、コージ。とりあえずじゃあ僕が先に歌いますよ。一応ちょっと準備しておいたんです」

 ディレルはちょっと自信ありげに笑って、コージに本を返した。どうやらはじめから取って置きの曲を決めてあったらしい。まあみぎてと違ってディレルの場合は、カラオケ経験も少なくないだろうし、今日のように幹事役でも無い限りはバンバン歌っているはずである。それにまずディレルが歌ってくれれば、その間にみぎてがじっくり曲選びをすることができる。これならセルティ先生が割り込むこともできないだろう。
 ところがディレルはリモコンを手に取る様子は無かった。代わりに後ろにおいてあったかばんに手を伸ばし、中からなにかを取り出そうとする。

「?それは?」
「あっ、それって…」

 カバンの中から出てきたものは、一見亀の甲羅のようなものだった。いや…どう見ても亀の甲羅である。深緑色の器のような形で、ちゃんと六角形の模様がついている。直径が三十cm程度だから、そこら辺の池にいる亀よりはかなり大きいものである。海がめか何かの甲羅かもしれない。
 ディレルは亀の甲羅をみんなに見えるように持ち上げると、突然その腹側に手を当てる…と、とたんに流れるような弦の音が室内に広がった。

「ええっ!本物?」
「『トリトンの竪琴』なの?」
「珍しいわね!驚いたわ!」

 いつの間にかトイレから戻ってきたセルティ先生すら、マイクを奪い返すのも忘れてディレルの持つ甲羅に驚きの声を上げた。そう、見かけこそちょっと古ぼけているが、この亀の甲羅はトリトン族の伝統楽器に間違いない。腹の側に鯨のひげでできた絃をはってあるのが良くわかる。

「この間コージとみぎてくんに約束したからね。今日は持ってきたんだよ。」
「へぇ~っ!すげぇな!」
「博物館でしかみたことないよ俺も」

 この手の伝統楽器は、もちろん今でも使っている人はいるのだろうが、コージたちなどはほとんど見たことが無い。せいぜいバビロン市立博物館とかその辺の展示で見た程度のものである。もちろん博物館にあるものは、もっと装飾が施されていたり、宝石などがついていたりする豪華なものである。ディレルの竪琴は装飾などはじめからほとんどついていないようだし、かなり使い込んでいるらしく甲羅の模様が磨り減っているのもわかる。まさしく生きている本当の楽器の姿という感じである。

「ディレル弾けるの?格好だけじゃつまらないわよ」
「あはは、言うと思った。まああまりうまくないけどね」

 ポリーニの突っ込みにディレルは笑う。彼女は先日のラーメン屋に同行していなかったので、ディレルがギターやこの竪琴を弾けるという話を聞いていない。もちろんディレルにしてみれば、今日はみんなに演奏を披露するつもりで持ってきたのだろう。返事の代わりに軽やかな和音をかき鳴らす。小型の竪琴なので音はやはり多少軽いが、亀の甲羅の空洞に反響して素敵な響きがする。

「素朴で素敵な音色ねぇ…」
「じゃあ一曲、僕達トリトン族の童謡なんですけどね…」

 ディレルは軽く甲羅をたたいてテンポをとると、慣れた手つきで弦をかき鳴らす。『トリトンの竪琴』の明るく軽やかな音色と甘やかでやさしいディレルの歌声には、コージやみぎて、ポリーニ達もうっとりと聞きほれたのである。

*     *     *

 ディレルの歌が終わると、コージもみぎても拍手喝さい、ブラボーの連呼である。素朴で軽快な竪琴の音色と、トリトン族らしい優しい歌声はまるでプロの吟遊詩人のようである。芸術に無縁そうなこの炎の魔神すら、思いっきり拍手をしているのだから感動的なのは間違いない。ましてや女性陣にいたっては、まるで夢でも見ているようにうっとりと聞きほれていた。

「こんなに素敵な歌を聴いちゃうと、ちょっと次の曲選びにくいわねぇ…」

 さしものセルティ先生も完全にかぶとを脱いだようにそううめく。どう考えても、曲そのものは本当に昔の童謡といった感じなのだが、生楽器の存在だけでここまで素敵に聞こえるというのは驚くばかりである。
 気を良くしたディレルはまた軽く亀の甲羅をかき鳴らす。もう一曲行こうかな、という構えである。もちろん誰も異論などあろうはずがない。めったに見れない亀の竪琴の演奏なら、ちょっとぐらい順番を譲っても聞きたいものである。
 ディレルの竪琴からは、今度は先ほどよりもかなり複雑なメロディーが流れ出す。と、同時に不思議なことに空気まで変わったような気分になる。今まではなんだか「古代占星術占い館」のような(エスニックな調度品の部屋なので)雰囲気だったのが、驚いたことに今度はなんだか…春の海辺のおしゃれな部屋にいるかのように感じられるのである。まさしく音の魔術という感じがする。
 ディレルの口から静かでやさしい歌が流れると、ポリーニもセルティ先生も本当に夢でも見ているかのようにうっとりとした表情になる。歌詞そのものはおそらく古いトリトン語なのだろう、コージには断片的にしか意味がわからないのだが、なんとなく女性の歌のような気もする。(トリトン語は女性言葉と男性言葉があって、語尾の活用でなんとなくわかるのである。)が、とにかくこのトリトンの甘いテナーの声は、こういう女性の歌を歌ってもとても素敵に聞こえる。というより、ここまで素敵過ぎる歌声は、もはやそれだけで罪のような気もしないでもない。

絵 武器鍛冶帽子

 しばらく…夢を見ているようなひと時が終わると、またしてもみんなは割れるような拍手の嵐である。もちろん観客はたったの五人なのだか、その分思いっきり拍手である。特に女性陣はディレルの甘々ボイスにやられたのか、それこそキスでもしかねないような感動ぶりだった。同年代のポリーニならともかく、セルティ先生まできゃあきゃあ言って騒ぐのだから(いくら酒をかなり飲んでいるといっても)ちょっと笑えてしまうほどである。

「もうホントすごすぎるわ!プロ並みよプロ!」
「先生も今のうちにサインもらっておこうかしら。教え子が有名な歌手や映画俳優って、ちょっと鼻が高いものなのよ!」
「え、ええっ?大げさすぎますよ、ちょっとそこまでは…」
「何言ってるのよ!このままデビューしちゃえばいいじゃないの!」

 あんまり二人が褒めちぎるもので、ディレルはさすがにちょっとあわて気味である。まああんな甘々ボイス攻撃をしてしまったのだから自業自得としかいいようがない。コージとみぎてはげらげら笑ってディレルをつつく。こんな手品のようなすごい歌を聴かされては(それも今までさんざん勿体をつけて、ここぞというところで出してくるのだから)、同じ男としてはちょっといじめる必要があるわけである。
 と、みぎては大笑いしながらディレルの手品の種明かしをする。

「ディレル、これ呪歌だろ?俺さますぐわかったぜ」
「あーっ、せっかく黙っていたのに~。やっぱりみぎてくんにはわかっちゃいましたか」
「ええっ?呪歌?ってことはこれ呪文の歌ってこと?」

 呪歌というのは、旋律や歌唱法自身が呪文となっている魔法の歌のことである。昔の吟遊詩人はこの呪歌で魔道士に匹敵する強力な魔法を使うものもいた、という話だが、今はあまり使われていない。なにせ誰でも使えるという代物ではないし(歌や楽器がある程度うまくて、さらに魔法の才能がかなり必要なのである)、効率から言っても魔道士の魔法のほうがずっと良いからである。ある意味呪歌そのものがが伝統文化財といってもいい。

「あら完全に引っかかったわよ!初めて本物を聞いたわ!」
「なんだせっかくプロデビューするかと思ったのに。でも素敵だったから許すわ」
「いや、しかしこれはたいしたもんじゃねぇ。珍しいものじゃよ」

 セルティ先生やロスマルク先生、ポリーニも始めて聞いた呪歌にさらに驚きの声を上げた。やはり大学の魔法学の教授である両先生も、トリトン族の呪歌を聞いたのははじめてだったらしい。ディレルはちょっと照れながらいった。

「でもセルティ先生も呪歌聞いたこと無いって言うのはびっくりしましたよ。エルフ族のほうが呪歌は多いんじゃないんですか?」
「まあそうなんだけど、トリトン族の呪歌は初めてよ。エルフ族の呪歌だって最近はあまり聞かないのよねぇ」
「やはり誰でも使えるって言うものじゃないからの。いやはや驚いた驚いた」

 あんまりみんなが褒めちぎるもので、ディレルはもじもじと居心地が悪いような様子になる。まあ誰でもここまで絶賛されれば、うれしいような恥ずかしいような気分になるのが当たり前である。ましてやもともと押しが弱い(というよりまったく無い)このトリトンであるから、顔やらなにやらが痒くなってきそうな状態に違いない。結婚式の新郎新婦紹介のようなものである。
 まあここまで散々ほめ殺したところで、コージはさっきの疑問をディレルに聞いてみることにした。

「で、ディレル。そういえば今の歌だけど、女性の歌詞っていう感じだよな。語尾が女性言葉だったじゃん。」
「あ、コージえらいですね。トリトン語でも結構古語なのに…」

 意外なコージの指摘に、ディレルはちょっと驚いたような表情でうなずく。普通の人間族であるコージが、(現代トリトン語ならともかく)古いトリトン語が多少でもわかるというだけでも充分驚きに値する話である。(コージよりはトリトン語にも多少は詳しい)セルティ先生もうなずく

「あ、そういえばそうね。私も気づいたわ。女性の求愛の歌でしょ?」
「そうですね。だから男の僕が歌っても呪歌としては機能しないんですよ。うちの妹はぜんぜん竪琴とか弾かないし。まあもともと弾ける人あんまりいませんけどね」
「…」

 平然と答えるディレルだが、『女性の求愛の歌』で呪歌と言われるとなんだか意外と危険な歌という気がしてくる。というよりもしこれを女性が歌ったらどういうことになるのか考えると、ちょっとこれはしゃれにならないかもしれない。

「…それ女性が歌ったらどうなるのさ?」
「あ、もてもてですよ。多分。だって歌詞がそうなんだし…」
「…っていうかそれってもしかして…セイレーンの歌じゃん…」
「…そうなるわね…」

 やはり…あきらかにこの歌は、船を歌声でおびき寄せて難破させるというセイレーンの伝説そのものの効果(もちろん実際には規模がそんなに大きくないのだろうが)という、きわめて危険極まりない歌だったのである。

*     *     *

 さて、「セイレーンの歌」を図らずも(一応安全な男性バージョンだが)聞く羽目になった一同は、再びセルティ先生の一曲でまた一気に盛り上がりはじめた。もちろんこれだけ時間を稼いでくれたディレルのおかげ(いささか疑問の余地はあるが)で、みぎてはその間に歌えそうな曲を選んで入力である。コージもいったいこの魔神が何を歌うのかかなり興味がある。魔界の歌謡曲がカラオケに入っていないのは間違いないので人間界のヒットソングを選んだのだろうが、どんなジャンルが好きなのかというのはかなり謎なのである。
 が、イントロが始まった瞬間、予想外のみぎての選曲に、さすがにコージは頭を抱えた。なんとラップいっぱいのヒップホップミュージックだったからである。

「ええっ!?」
「…コージ、みぎてくん大丈夫なの?かなり難しいんじゃ…」
「…まあ…これも教育…」

 この魔神がヒップホップが好きというのはまあいいのだが(服装もたしかにヒップホップが好きである)、実際ラップというのは歌の中では大変難しいジャンルに入る。なにせ歌詞を単に並べるだけではラップにならない。あれは歌というよりビートのある詩といったほうが正しいのである。高いリズム感、それから韻を踏んでビートを刻む感覚と幅広い知識、とにかくとてもじゃないがコージだって歌えるようなものではない。まあカラオケにはこういう失敗もつき物なので、今回みぎてにはラップミュージックの難しさを味わってもらうしかない。これも人間界の学習である…と、コージは腹をくくったのだが…
 ところが…

 いよいよ曲が始まるという瞬間に、みぎてはすばやく部屋の隅にある「金属製のゴミ箱」をひったくるとそれを逆さにして足に抱えた。円柱状のどこにでもあるようなゴミ箱だが、逆さにしてみるとたしかに小さな太鼓のような感じである。いや、手のひらでリズミカルにぽこぽことたたき始める魔神の様子は、間違いなく太鼓の代わりにしているのである。
 歌詞が始まると、みぎてはなんとなくそれなりに歌いながら、驚くほど器用にぽこぽこゴミ箱をたたく。細かいビートまできちんと刻んでいるのだから、これは結構面白く聞こえる。ラップそのものよりもドラムが主役になっているのはご愛嬌だが、宴会芸としてかなりいけている…というよりもしかするとこの魔神はこういうボンゴのような太鼓の経験があるのかもしれない。ドラマーをやらせても勤まりそうな見事なビートの刻み方である。

「みぎてくんすごいすごい!」
「やるわねっ!みんなちゃんと一芸あるじゃないの!」

 曲の最後をゴミ箱ドラムの連打で締めくくると、観客一同はまたしても拍手喝さい、大歓声(これまたたったの五人だが)である。さっきのディレルの名(?)演奏も見事だったが、みぎてのぽこぽこもすごく面白い。これならバンドでも組めそうな気がしてくるほどである。

「あはは、ディレルが飛び道具だしさ、俺さまもちょっと楽器使わないと」
「飛び道具っていわれると…でもすごいですね。みぎてくんドラムスとかの経験あるんですか?」

 見事な太鼓の連打に驚いたディレルはみぎてに言った。たしかにあれほどの連打は経験がないと出来ないような気がする。が、みぎては笑って答える。

「炎の魔界ってみんな太鼓好きなんだよ。宴会とかになるとすぐぽこぽこやるしさ」
「あ、そういえばそうだ…俺も前見たことある」

 一度みぎてにつれられて魔界の正月を迎えたことのあるコージは、いまさらのようにうなずいた。たしかに魔界の宴会は、どこから持ってきたのか鼓のようなものや、うちわ太鼓の仲間のようなものを敲きながら歌を歌ったりする。そのときは単に驚くばかりでよく意識していなかったのだが、こうしてみぎてが見事なドラムの演奏を見せると、いまさらながらあれが炎の魔界の民俗音楽だったのだということがわかる。こうしてみるとコージの『魔界の社会文化研究』は、まだまだ始まったばかり、先は長いということだろう。
 とにかくこの魔神が素敵な歌…というより演奏を披露したので、コージはほっと一安心である。向かいのディレルも同感らしい。せっかくのカラオケパーティー(それもみぎてが発案)なのに、肝心のみぎてがうまく参加できないのではあまりにもつまらない。(セルティ先生の乗りすぎ状態には、コージもディレルもどうしようかと思っていたのである。)それが無事に全員楽しい歌を披露できたのだから、これはもう今までで一番といっていいほど大成功の宴会である。あとはまたみんなで飲んで食って歌って、時間が終わるまで騒げばいい…はずである。ところが…

*     *     *

 ところが…このメンバーの宴会がこんな単なるハッピーエンドに終わることなど絶対にありえないのはいつものことだった。というよりやっぱりポリーニがここで騒ぎを一気に拡大させる、恒例の爆弾企画を持ち出したのである。

「じゃあみんな合格。土曜日大丈夫ね」
「え?何のこと?」
「???」

 まるで決定事項のように「合格」の宣告するポリーニに、一瞬ディレルもコージも凍りついた。世の中大体は不合格よりは合格のほうがいいに決まっているのだが、ポリーニの合格はちょっと話が違う。たいていは発明品…そうでなくてもろくでもない企画に決まっているからである。それに今週の土曜日といえば、ありそうなものはひとつしかない。
 時が止まったようなコージたちに、ポリーニはあきれ返った顔をして答える。

「大学祭よ!決まってるじゃない!出れるから心配しないで」
「…出るってなにに…」
「当然『アマチュアバンドバトル』よ。出演バンドが足りないんだって。」

 もはや当然といわんばかりのポリーニだが、対するコージもディレルももはや卒倒寸前である。大学祭まで一週間も無いこんな段階で、いきなりバンド演奏をしろというのは狂気の沙汰である。
 『アマチュアバンドバトル』というのは、ここバビロン大学の大学祭では毎年恒例の行事になっているのだが、大学のいろいろな音楽サークルが体育館で繰り広げる演奏会のことである。だいたいが土曜日の午後から翌日曜日の昼までというスケジュールで、日曜夜のプロコン(本物の歌手とかがやってきて大学祭コンサートをやる)の前座みたいな位置づけになる。もちろん名前は「アマチュアバンドバトル」だが、バンドばかりではなく、コーラスグループやら落語・漫才、手品、寸劇までまったく自由である。どちらかといえば「大学祭かくし芸大会」という感じに近いのはいいのだが…こんな直前になって申し込むようなものではない。

「こんなぎりぎりになってですか?!ちょっと無理ですよ普通…」
「…っていうか普通は院生出るもんじゃないって」

 悲鳴としか言いようが無いディレルの抗議に対して、コージのほうは冷静に突っ込みを入れるかまえである。いや、単にあまりのとんでもない企画のせいで、脳内が真っ白になっているだけかもしれない。人間こういう時には本能に基づいて一番の地がでるものなのである(つまりコージは突っ込みが地なのであろう)。
 が、ディレルにせよコージにせよ「この段階で学園祭参加は却下」という意見では一致している。いくら「かくし芸大会」レベル(もちろん「アマチュアバンドバトル」であるが)とはいえ、まったく練習無しのぶっつけ本番というわけにはいかない。第一誰が何を演奏するという問題もある。

「ディレルはいいよ、亀の竪琴だけで充分いけるから。みぎてや俺はどうすんだよ?」
「そうですねぇ…バンドっていうことはやっぱりみんな楽器を演奏しないといけないんですよ。まあみぎてくんのゴミ箱ドラムは結構いけると思うけど…」
「あ、でもそういうの出るならちょっと俺さまもあのままじゃなぁ…せめて革くらい張らないとだめだぜ」
「問題を勘違いしてるぞ、みぎて」

 どうやら単細胞魔神は問題点を完全に誤解しているような様相だが、ともかくとても学園祭になど飛び込み参加できるはずがないという点は共通している。
 ところがポリーニはコージたちの抵抗を封じる秘密を握っていた。

「何言ってるのよ。ディレルはセイレーンの竪琴でいいじゃない。呪歌で乙女心をもてあそんだんだから当然でしょ?」
「…うっ…」
「まずいぞ、ディレル…」

 さっきの呪歌を「乙女心をもてあそんだ」といわれると、このトリトンには反論の余地は無い。事実ポリーニやセルティ先生が見事に引っかかってしまったというのであるから、これは罪である。まあそれ以前にあれが呪歌でなかったとしても、あんな甘い美声で素敵な歌を歌ってしまっては、それだけで世間では『罪な男』というのである。

「みぎてくんは、じゃあドラム…かなぁ」
「いいじゃないのそれで。スチールドラムよ。レゲエみたいで格好いいじゃないの」
「…ゴミ箱ドラムも言い様だな…」

 たしかにゴミ箱の底だって、スチールドラムといえないことは無い。というかもともとスチールドラムはドラム缶の廃品利用で作られたものが始まりなのだそうだから、この場合は外見はともかくルーツは同じである。(他にもカンカラ三線などこういう例はいくつかある。)みぎては喜んでいいのか困るべきなのかわからないといった表情で、じっと黙って頭をかくしかない。こういう場合はこいつが何か口を出すと、この魔神の場合まず一〇〇%墓穴を掘ってしまうからである。

「でもコージはどうするんですか?楽器今から覚えるって言うのもちょっと無理ですよ…」

 ディレルは最後の抵抗とばかり、コージを盾にとって踏ん張る。たしかにディレルとみぎてが竪琴とスチールドラム(これで合奏ができるのかどうかは大幅に疑問だが)をやるとしても、コージだけ外れるというのもなんだか不公平であるといいたいのである。
 ところが…ポリーニは冷酷無残にも恐ろしい秘密をすっぱ抜いた。

「何言ってんのよ!コージ、あんたがリュートが弾けるのあたし知ってるんだからね」
「げげっ!やっぱり知ってた!」
「ええっ?リュートって…あのリュート?」
「琵琶みたいなやつだろ?コージそんなの弾いてるの見たことねぇぜっ」

 突然の暴露発言にコージは悶死状態である。それに対してディレルもみぎてものけぞらんばかりに驚いて、目を白黒させている。特にコージと同居しているみぎては、今の今まで一度も彼がリュートを触っているところなど見たこと無いのだから、驚くのも無理は無い。こういう隠れた秘密は、ポリーニのような幼馴染だけが知っているというのはよくある話だろうが、それでもやはりショックである。
 リュートというのはこれも古い楽器のひとつで、見かけ上は琵琶に良く似ている。ギターの原型となったものだそうである。が、最近はそんなものを弾ける人がそうそういるわけではない。街の楽器店でもギターならエレキからフォークからクラシックまでいくらでも売っているだろうが、リュートなど売っているという話は聞いたことが無い。せいぜいマンドリンどまりである。そんなものが弾けるというのだから、ある意味ディレルの亀の竪琴(トリトン族に伝わる秘伝?)に匹敵するすごい話だろう。

「コージ、いったいそんなものどこで習ったんですか?」

 驚きを隠せないディレルは、コージに思わず問い詰めてしまう。コージは観念したように頭をかくと、ディレルの質問に答える。

「うちのばあちゃんに習った」
「…ばあちゃんって、おばあさん?」
「そりゃばあちゃんって他にいないって。祖母」

 ちょっとこまったような声になって答えるコージに、ディレルは半信半疑である。リュートという楽器はもともとバクファなどの南の国から、ボヘミアンのような移動民族が持ってきたらしいもので、一時(といっても数百年昔)はかなり流行った楽器らしいが、今となってはまさしく古楽器である。もちろん伝統音楽の保存グループとかの方が今でも奏法を残しているのは間違いないのだし、地方のド田舎(離島とか、不便な山奥とか)にゆけば、意外とそういう古代の楽器がそのままで生き残っているという話もあるのだろう。事実食文化などはそういう話も少なくない。
 が、コージのおばあちゃんが伝統楽器奏者ですといきなり言われるとなんだかあまりにとっぴ過ぎて、ディレルやみぎてがびっくりしてしまうのも無理は無い。まあもちろん、当のディレル自身がついさっきまで、立派な「トリトン族の伝統楽器」をみごとにかき鳴らしていたという事実を完全に棚に上げているのだが…
 まあいずれにせよ、今の今までコージがそんな秘密を黙っていたということは(ディレルが最初に楽器の話をした時だって、自分が弾けるなんて一言も漏らさなかった)、あまり積極的に広めたいと思っているわけではないのかもしれない。同居しているみぎてすら今まで知らなかったというところから考えても、あまり細かいところにこだわらないほうがいい話かもしれない。少なくとも相棒の魔神は明らかにそう思っているようである。

「でもこれでなんとかみんな楽器弾けそうだよな!いけるぜ」
「!ちょっと、みぎてくん…じゃあやっぱり出演するつもりじゃ…」
「えっ…あっ!」
「うふふ、決定。スケジュールとか詳しいこと決まったら連絡するから練習しておくのよ」
「…またみぎて、墓穴掘った…」

 とりあえず三人とも楽器が何とかいけそうだということで、気を良くしたみぎてはついつい口を滑らせる。「いけるぜ」なんて言ってしまうと、ポリーニの無茶な提案を快諾したということになってしまう。当然にやりと笑うポリーニに、ディレルもコージも蒼白になるが、もはや手遅れである。二人はいっせいに分厚い歌本を手に取ると、思いっきり魔神の頭をはたくしかなかったのは言うまでも無い。
 しかしいくら三人が楽器を弾けるといっても、今この時期に突然大学祭に参加するとかそういうことを言い出す理由にはならない。第一、当の企画者のポリーニがちゃんと何かをするとかいう話すら出ていないのである。本人が努力しないでコージたちだけがひどい目にあうというのはいくらなんでもむちゃくちゃである。

「でもポリーニ、いったいなぜ急にそんなことを言い出したんですか?第一、僕達みたいな院生は普通学園祭には参加しないものですよ」
「そうだな。それにポリーニ自身はどうするんだよ。まさか俺達だけに恥をかかせて、ハイありがとうってつもりじゃないだろうな?」

 コージもディレルもあからさまに不満の意を呈しながらポリーニに食って掛かる。ところが彼女の返事はこれまた予想通りのとんでもないものだった。

「もちろんあたしも出るわよ。だって発明品を披露する晴れの舞台じゃない!キーボードなら任せといて」
「…やっぱり…」
「まさかとおもってたんですけど…学位論文からんでません?」
「当然よ。今回の発明品はあたしの論文にも載せてるんだから、みんなにばっちり使ってもらわないと困るわよ。実績よ実績!」
「…実績って…実績ねぇ…」

 実績を稼ぐために率先して参加します、とキッパリいわれてしまうと、コージもディレルもぐうの音も出ない。ディレルはあきらめたようにため息をつくと、最後にひとつだけ質問をした。

「ポリーニ、最後に聞くけど…もしかして今日、ここにくるの遅れたの、その件だったとか?」
「もちろんよ!論文提出終わってから急いで実行委員に掛け合ったのよ!喜んでOKしてくれたわ」
「…道理で今日は発明品が出てこないって思ったぜ、俺さま…」

 今日に限って、彼女の発明品が出てこないのをひそかにいぶかしがっていた一同は、納得したようにため息をついた。当然であろう…今週末にもっと重要な「発明品発表会」(もちろん「バビロン大学大学祭・アマチュアバンドバトル」である)の企画が控えているのであれば、わざわざこんな少人数に作品を見せびらかす必要など無い。が、いずれにせよコージたちは今週末、体育館の特設舞台で全校に赤っ恥をさらすはめになる…という点だけは、まったく疑う余地はなさそうだった。
 ディレルは深くため息をつくと、ポリーニに聞こえないように小さな声でコージに言った。

「…どうもさっきからおかしいと思ったんですよ。彼女、妙にやさしすぎるし…」
「…メールを見落とした時点で負けてたってこと。」

 彼女のメールを見落として、玄関口でしばらく待ちぼうけさせた時点で、コージたちは既に今回の企画を断れない状態に陥っていたのだろう。

(④へつづく)


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