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炎の魔神みぎてくん 熱帯低気圧⑤「おいらにまかしときなっ!」

5.「おいらにまかしときなっ!」

 ポリーニが手元に有るスイッチを入れると、妙な動作音が周囲に響いた。この強風のさなかではっきりと聞こえる音なのであるから、実際かなりの騒音に違いない。しかし箱舟のほうはなんら変化する様子は無い。もっとも研究室で(ヴィスチャのいたずらで)明らかになったとおり、精霊力を吹き込まないと本格始動するわけではないようである。ポリーニは傍らで呆然としている蒼雷そうれいに言った。

「蒼雷君、箱舟に精霊力を流し込んで。」
「あ、ああ。わかったぜ」

 といいながら、蒼雷は恐る恐るブルーシートに手を触れる。別にブルーシートが飛び掛ってくるというわけではないはずなのだが、見るからに不安げなようすである。あまりにおっかなびっくりな様子なので、ポリーニはちょっと不満を顔に浮かべた。

「早くしてよ蒼雷君」
「…ほんとに安全だよな?」
「もちのろんよ。あたしの蒼雷君に危険なことなどさせるわけ無いじゃない」
「…いつ俺、お前のもんになったんだ…」

 さらりと爆弾発言をするポリーニに、蒼雷は別の意味で顔を引きつらせるが、ともかくここは彼女の言うことを信じてみるしかない。ということで、彼は意を決して念をこめた。嵐の魔神にふさわしい強い精霊力が、さらに台風という絶好の条件で増幅されて沸き起こる。と…その力はたちまちのうちにブルーシートに流れ込んでいった。それに呼応してシートは風船状に見る見る膨れ上がり始めた。

「おおっ!」
「さすがですね蒼雷君」

 研究室の中でヴィスチャが膨らましたときとはサイズが違う。あの時は(まあ部屋の中だったということもあって)せいぜい牛くらいの大きさだった風船だが、今回はまるで物置小屋のようなサイズである。これならば人が中に入ることも充分出来そうな立派な大きさだった。たたまれているときには全く気がつかなかったが、ちゃんと扉のようなものもついている。しかし壁面にはやはり予想通り、無意味にさくらんぼの絵が描かれているところがポリーニのデザインセンスだった。
 不思議なことだが、この強風の中でも巨大風船(箱舟)はほとんどゆれる様子は無い。たしかに彼女の説明どおり「固定しなくても平気」らしい。何らかの魔法力で周囲の強風から防御されているのかもしれない。おそらく蒼雷が流し込んだ精霊力が周囲の強風を無効化するために使われているのだろう。
 もちろん防御システムまるごと風に吹き上げられてしまった場合は無駄なのだろうが、すくなくとも今の大きさではそんな様子は無い。まあもっとも風船の膨らみ具合は「ぱんぱんに張っている」というわけではなく、とりあえず小屋の形を成している程度であるから、ブルーシート自身の重さのほうが大きいのかもしれない。

「じゃあともかくあたしは中に入ってみるわ。みんなも入る?」
「…ちょっと様子を見てからにしますよ僕は」
「…俺さまもそうする」

 自信満々のポリーニは、早速扉を開けて内部の様子を確認したいらしい。もちろん中ならば雨や風もしのげる(はず)であるから、出来ることならコージたちも逃げ込みたい気がするのだが、一抹の不安がよぎる。特に彼女の発明品には散々ひどい目に遭っているみぎてなどは、(一番雨がつらいはずであるにもかかわらず)可能な限り近づきたくないという意図が丸わかりである。
 ポリーニはあからさまに不満な表情を見せるが、しかし当然一番乗りを他人に譲るという考えもさらさら無いのは当たり前である。まず自ら出来栄えを堪能して、それから他人に見せびらかすのが発明の醍醐味なのである。ということで、彼女は早速扉を開け、中に記念すべき第一歩を記そうとした(もちろん風船のように膨らんだからといって、扉を開けると空気が抜けてしぼんでしまうわけではない。精霊力が充填されていれば膨らんでいるという仕組みのようである)。が、その時横からつむじ風のようにヴィスチャが部屋に飛び込む。子供にありがちの一番争いである。

「いっちばーん!」
「あっ!あたしを差し置いて!」

 きわめて低レベルな争いなのだが、ポリーニはぶうぶう文句を言う。が、考えてみればコージたちの冷ややかな反応に比べて、ヴィスチャの喜びようには悪い気はしないものである。本気になって怒ってはいないことは明らかだった。
 二人が無事に箱舟に入ったのを見ていたコージたちは、おそるおそる扉のほうに近づく。二人が中でいきなり(無言で)ぶっ倒れていたりすると危険である。まさかとは思うが、世の中には酸欠とか中毒という事故も有る。

「大丈夫…みたいですね」

 ディレルはおそるおそる風船の中を覗き込んで安全を確認した。続いてコージも首を突っ込んでみる。みぎてはコージの後ろにいるのだが、それでもよほど不安らしい。かなり距離を置いたままである。

「意外と広いじゃん…」
「でもこの装飾…」

 中を覗き込んだコージはディレルと思わず顔を見合した。中はコージの考えていたよりもかなり広く、四人くらいなら寝泊りできそうである。ちょうどコージたちの下宿くらいだった。もちろん天井は決して高くは無く、みぎてのように背の高い人だと、頭が多少つかえてしまうかもしれないが、非常用テントだと考えれば全く問題はない。
 が、気になるのは室内装飾である。何を考えているのかさっぱりわからないのだが、まだ試作品であるこの風船ハウスだというのに、中にはどうしたことかエスニックな柄のタベストリーやら、良くわからない造花やら、妙な金属の女神像やら、はたまた不思議な香りのインセンスやらが配置されている。どうみても民族衣装系のお店の世界だった。こんなものを装備して一体何になるのか、コージにもディレルにもさっぱりわからない。が、こんな疑問を口にすると何を言われるかわからないのは当然である(もちろんこの装飾が単なる彼女の趣味であるのは明白である)。こういう時に自爆ポイントを良く踏む魔神二人は幸いにして中の様子をまだ見ていない。蒼雷は精霊力の供給に忙しいし、みぎてはといえばさっきよりさらに五十センチばかり後ろに引っ込んで、必死に墓穴の回避を図っている。(危険なことははじめから首を突っ込まないのが最もよいのである。)

 ともかくあきれ返ったコージとディレルはそそくさと風船ハウスから外へ出た。もちろん外は強風なので、中の方が快適であるのは間違いないのだが、さすがに四人でこもるにはいささか狭い。それにみぎてほどではないが、コージたちだってポリーニの発明品を警戒していないわけは無い。結局のところこの妙な発明品に酔いしれているのは、当の発明者のポリーニと、過去の経緯を全く知らないヴィスチャだけなのである。
 しばらく内装や機能のチェックをしていたポリーニは、不気味な(少なくともみぎてや蒼雷にとってはとても不気味な)笑みを浮かべて扉から顔を出した。ヴィスチャも一緒にそろって、である。

「立ち上げはいまんところ上々よ。さすがあたしの発明品だわ」
「ヴィスチャ、危ないから出てきなさいって」
「えーっ、全然平気だって。アニキなんかおびえてるんじゃないの?へへっ!」
「そうよ、あたしの実験は安全第一に決まってるじゃないの!」
「…台風の日に安全第一って…」

 蒼雷は出来ればヴィスチャを(危険極まりない)実験から遠ざけたいらしい。ヴィスチャは一応蒼雷の甥ということなので、血筋から言えばそれなりに強力な魔神なのだろうが、それでも子供である。万一実験でトラブルが起きて、怪我でもしようものなら大変である。が、この年代の子供(魔神だから人間と同じ年のとり方をするわけではないだろうが)にそんなことを言っても無駄である。

「せめてヘルメットだけでもかぶった方がいいんじゃないですか?現場作業の基本ですよ」
「…それはそうねぇ、わかったわよ」

 見るに見かねてディレルは、講座から持ってきた工事用ヘルメット(良くある黄色い、緑の十字が描いてあるやつである)を渡した。結構色あせた古いものなので充分な効果があるかどうかはわからないのだが(ヘルメットは有効期限というのがあるのである)、何もつけないよりはましだろう。ポリーニはしぶしぶ(彼女は論戦でディレルに一本とられるのがかなり悔しいらしい)、こういうものははじめてらしいヴィスチャは嬉々としてヘルメットをかぶる。

「みんなもつけるのよ。現場なのは一緒なんだから」
「そのほうがいいですねぇ。安全のためですよ」
「…俺さま角があるからこういうの苦手なんだよなぁ」
「妙に似合うのがすごいぞ、みぎて」

 みぎてやコージもしかたなくディレルの配るヘルメットをかぶる。ポリーニやヴィスチャ、ディレルなどがヘルメットをつけても「学生の研究や見学です」という感じになるが、コージやみぎてになるとちょっと雰囲気が違う。特にみぎてなどはもともと筋肉ダルマなので、ヘルメットなどかぶろうものならどうみても土方のアルバイトにしか見えない。ニッカーボッカをはかせればもう完璧に違いない。

「みぎて、お前似合いすぎ。そのバイトしたことあるだろ?」
「うーん、一応魔界でときどきさ。結構いい金になるんだぜ」
「魔界にも土木作業あるんですねぇ…」

 またしても意外な民俗学上の発見が、こんな嵐の中で行われたとは口が裂けても言えない秘密だろう。

*       *       *

 さて、全員がヘルメットをかぶったところで、ポリーニは蒼雷に言った。

「じゃあそろそろ全力試験をするわ。蒼雷君頑張ってね」
「ぜ、全力試験?」
「…なんか不吉な言葉ですね…」

 蒼雷だけでなくディレルやコージもぎょっとした顔になる。どうやら今までの試験は序盤だったらしい。まあたしかに蒼雷にしてみても、風船を膨らますだけでは精霊力のほんのひとかけらをつかうだけの話だし、この程度ならわざわざ魔神を(電話一本で呼びつけたとはいえ)引っ張り出すほどのものでもない。が、ではこの妙な発明品に蒼雷の本気の精霊力を注ぎ込んだらどういうことになるのかと言われると、同じ院生のディレルやコージにも全くもって想像が付かない。が、全員の(内心の)見解として、「絶対ろくなことにはならない」という一点だけは共通しているのだが…
 しぶしぶ蒼雷は再び風船の壁に手を当てて、少しづつ精霊力を流し込み始めた。風船に触れている手が淡く白い光を放ちはじめる。にやりと満足そうに笑ったポリーニは、再び実験の続きをするために風船の中に入った。彼女の姿が外から見えなくなったのを確認して、ディレルはこっそり蒼雷の傍に近づく。

「蒼雷君、わかると思いますけどちょっと手加減お願いしますよ。」
「ああ、昨日言ってたとおりだよな。わかってるって」

 どうやら蒼雷は昨夜(ディレルの家に泊まったとき)、ディレルにさんざん言い含められたらしい。「全力」といいながら、二十%くらいの力しか出さないようにというのだろう。蒼雷の力の強さは、大魔神級であるみぎてといい勝負だということは既に周知の事実である。その気になれば学校のプールをクレーターにしてしまえるくらいのパワーはあるのは間違いない。そんなエネルギーをポリーニの未完成(だろう)の発明品に注ぎ込んでは、確実になにか問題が起きるに決まっている。
 ということで蒼雷はかなり力をセーブして、おっとり刀で精霊力を注ぎ込み始めた。が、すぐに風船の中から罵声が飛んでくる。

「蒼雷君!もっと頑張ってよ。全然パワー上がらないわよ!」
「えっ?ええっ!」

 思わず蒼雷はどうしようかと困惑の表情を浮かべ、ディレルやコージのほうを見た。が、ディレルは苦笑いを浮かべて首を横に振る。

「そっとでいいですって。安全を確認しながらじゃないとダメですよ」
「でも発明女、相当いらついてる声だぜ…」
「かまいませんよ。暴走とかするよりましですから」
「それにパワー不足で諦めてくれたらそのほうがいいって」

 正直なところコージにせよディレルにせよ、こんな台風の中、実験を続けるのは勘弁してほしいというのが本音である。みぎてにいたっては、かわいそうにさっきから隅のほうで雨合羽にくるまって、空と風船を交互に見ながらしゅうしゅう湯気を上げているありさまである。(この魔神の場合、怒って湯気をあげているわけではない。雨水がみぎての熱で蒸発しているだけなのである。)まだ風に比べて雨はたいしたことないこの時点でこのありさまであるから、時間二十mm以上の本降りになったら悲惨なのは間違いない。
 が、そんなことでは絶対に諦めないのがポリーニの恐ろしいところである。風船箱舟の窓から顔を出して盛大に文句を言い始める。

「なによそのへっぴり腰は!根性全然入れてないじゃないの!」
「えっ?っていってもなぁ。急に力入れたら危ないかも知れれねぇよ?」
「そんなわけないじゃない。まだまだ全然精霊力入ってないわよ。みぎてくんも手伝ってあげなさいよ」
「むりむり。みぎてが力入れたら風船溶けるじゃん。炎の精霊力なんだから」

 蒼雷もコージも弁解というかその場の繕いに必死である。ここはなんとかディレルの作戦通りに「パワー不足でうまくいかないから中止」と持って行きたいのである。ディレル本人が口を開けばポリーニは明らかに疑うので(このトリトン族の青年がポリーニの実験にはじめから反対していることは彼女にばればれである)、その分コージや蒼雷がつくろわなければならない。
 が、そこで彼らの計略を見事にひっくり返す一言が部屋の中から聞こえてきた。ヴィスチャの「かわいい」(ここでかわいいとは当然憎たらしいと同義語である)声である。

「おねーちゃん、おいらにまかしときなっ!ほらっ!」

 突然風船ハウスは全体がぼんやりと発光を始める。と、同時に周囲の風がいきなり強くなる。ただでさえも大雨洪水暴風波浪高潮警報、風速十五mなのであるから、さらに強くなると突風状態に近い。

「すごいわっ!パワーぐんぐん上がってるわよ!蒼雷君の比じゃないわ!」
「あっ!ヴィスチャっ!だめっ!」

 蒼雷はあわてて大声を上げたが既に遅い。どうやらヴィスチャが不足分のパワーを一気に入れ始めたに違いなかった。もちろん子供の魔神であるヴィスチャの力は蒼雷に比べれば格段に落ちるのは当然だが、それでもこの風船箱舟のエネルギーを補給して、さらにおつりで周囲に突風を起こすほどの力が発揮されている。おそらく台風という風の魔神にとっては最強の環境であるせいで、普段に比べてヴィスチャの精霊力が格段にパワーアップしているのだろう。当然ながらポリーニはうれしい悲鳴を上げてこのくそガキを絶賛する。逆に蒼雷もディレルも引き付けを起こさんばかりに真っ青になるがもはや遅い。

「携帯用箱舟『スイートラベンダー丸』、発進よ!」
「…またべたべたなネーミングを…」

 高らかなポリーニの宣言と同時に風船は、驚いたことにわずかに地上から浮き上がる。どうやらこの「空中浮揚状態」が完全な状態らしい。さっきからそうだったのだが、こんな風に空中に浮き上がった今になっても、風船ハウスは相変わらず周囲の暴風に一切吹き飛ばされたりするようすがない。多少は横揺れのようなものはあるのだが、見事に防災グッズ、仮設住宅としての機能を発揮しているようである。

「意外ですねぇ。ちゃんと機能してますよ…心配するほどじゃなかったかな」

 ディレルはあまりに素直に機能している携帯箱舟「スイートラベンダー丸」に、安心ともがっかりともつかない声を出す。あまりに毎度大騒ぎになってばかりなので、今回のように普通に成功してしまうと拍子抜けしてしまうというのはコージも同感である。もっとも成功して無事故でさっさと終わるというのが当然で、トラブルが起きるというのは大いに困るのだから、ちょっと不謹慎な発言なのかもしれないが…
 しかし…非常に残念なことに、ディレルやコージのぬか喜びはたちまちのうちに恐慌へと転落することになってしまうのは、これはもういつものことだった。ずぶぬれながらほっとした表情をしていたこのトリトン族は、そのままの姿勢でまたしても石像のように凍り付いてしまったのである。

「…ちょっ、ちょっとコージ!どんどん浮き上がってますよ!」
「えっ?あれで正常じゃないんか?あ…」

 コージもみぎてもぎょっとした。さっきはわずか十五センチ程度の高さにふわふわと浮いていた箱舟ハウスは、突然あれよあれよというまに高度を上げ始めたからである。そして同時に箱舟の中から悲鳴のような声が聞こえてくる。

「やだっ!浮力が強すぎるわっ!」
「ええっ!やべえっ!」

 既に箱舟は人の背丈より上にまで浮き上がっている。このままのペースで行けばたちまちのうちに空飛ぶ家と化してしまうのは明らかだった。が、もちろん飛行なんて本来の設計には入っていないのだから、方向やらなにやらを制御することができるわけもない。おそらく(いくら周囲の強風を遮断するスタビライザーがついているといっても)風に吹かれてふわふわとただよってどこかへ行ってしまうのは明らかだった。
 今までじっと(早く終わらないかなと思いつつ)この騒ぎを見ていたみぎては、大慌てで固定用のロープをつかんだ。

「みぎてっ!」
「おりゃぁっ!」

絵 武器鍛冶帽子

 強風のなかドンドン浮き上がる凧と化した箱舟を、みぎては全力で引き止める。が、炎の魔神みぎての人間離れした(魔神なので当然だが)力でも、浮上してゆく家を引き戻すことはできないようだった。風船とはいえ二人も人が乗っている家を浮上させる力である。みぎての体重よりも浮力がつよいのはあたりまえである。みぎては片手でフェンスをつかみ、もう片手でロープをつかんでなんとか踏ん張ろうとする。必死になっている炎の魔神の全身から、汗のような火の粉が飛び散る(実は炎の魔神は火の粉が汗のようなものらしい)。しかし…

「うわっ!だめだっ!ロープがもたねぇ!」
「あーっ!煙でててる!」
「熔けちゃったんだ!」

 「火の粉の汗」でわかるように、この炎の魔神が全力を出すと、さすがに発火する水準にまで体温が上がる。と、必然的にロープが危ないわけである。合成樹脂のロープなので、すぐに炎を出して燃えると言うわけではないが、代わりに煙を吐きながらやわらかくなってしまうのである。魔神が必死につかんでいるにもかかわらず、ロープは水あめのようにどんどん細く伸びてゆく。
 そしてついに、ポリーニ特製の携帯用箱舟「スイートラベンダー丸」は地上の(ロープという名の)束縛を離れ、嵐の空高く飛翔したのである。

(⑥につづく)

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