見出し画像

楊範・鄭令蔓伝 壮途編 九「子良さんの見張りがやられました!」

九「子良さんの見張りがやられました!」

 一行が会稽に戻ったのは深夜もかなり遅くなっての事だった。当然ながら街の入り口は閉門になっていたので、兵士に頼んで(多少謝礼も握らせて)通用門から通してもらったのである。
 帰りの道々問題となったのは、まずはあの麻薬をどうするかという点だった。もちろんヤンの本音としてはあんな危ないものは焼き捨ててしまいたいのだが、そうしたところで麻薬の取り引きが無くなるわけではない。むしろあれはそのままにしておいて、覆面の男達が荷物を「出庫」しにきたところを見計らってとっつかまえるなりなんなりするほうが随分効果的である。そういうわけで一行はあえてあの木箱をそのままにしてきたのである。まあそういう作戦をする場合、禹王廟には見張りを立てたりする必要もあるだろうから、いずれにせよもうすこし人数が欲しい。

 もっともユウジンの関心は麻薬や「帝国」のことだけではない。彼にしてみれば目の前にいるこの魔法使い「テレマコス」とその連れの少年剣士「リンクス」のことについても随分興味をもたざるを得ない。もちろん根掘り葉掘り尋問するような非礼なことは、この典型的中原人の青年にはとても考えられないのだが、だからといってさっきヤンが思わず問い正したように、ユウジン自身も「こいつら何者だ」という思いはぬぐい去ることはできなかった。
 しかしユウジンはこの二人を「悪い奴」という風には見ていなかった。おそらくヤンもそういう判断だろう。なにせ自分のことを「悪の魔法使いです」と自称するということ自体、「やむにやまれず悪の魔法使いと呼ばれるようになった」ということを雄弁に物語っている。ユウジンの倫理感では「なすべき事をなす」ということは、事の善悪とは別に「立派な男」の条件だったから、この「悪の魔法使い」という自称にはそれなりに好意を感じていた。

*       *       *

 会稽の市内に戻った彼らは関氏の屋敷に戻る道すがら、次の一手について相談を続けていた。あの麻薬をそのままにした以上、いずれにせよ何らかの手を打つ必要があるのは間違いない。ただその「手」が問題だった。

「子邑殿に話したほうがいいのではないか?ヤン…」
「…」

 関氏の当主、子邑にこの話をするということについて、ヤンが躊躇しているのは理由がある。会稽の関氏といえばこの街では一二を争う大豪族である。当然手下の数も多い。協力を取り付ければ随分と話が楽になるのは間違いない。
 しかし問題は「関氏がこの麻薬に関係していないのか」という一点について、まだヤンには確信がないことだった。

「どうでしょうな、関氏といえば大豪族、当然暗黒街にも顔が効くお方ですからな。麻薬関係を扱っていないとは正直思いがたいのですよ…」

 テレマコスは苦笑しながらそう言った。豪族といえばいくら考えても「清廉潔白」とは(少なくともテレマコスには)考えられなかった。いや、そんな潔癖症の豪族ではとてもヤンなどの「大物の人物」を匿うことなどはじめから無理である。麻薬取り引きやら賭博の元締め程度の後暗い商売くらいはしていないと話にならない。
 しかしユウジンは少しむっとしたようにテレマコスを見て言った。

「もちろん俺も子邑殿がそこまできれいな方だとは思っていない。いろいろ後暗い話も知っている。だが、売国奴ではないことは確信できる。」
「そうだな、それは俺も同感だ…」

 中央政権に追われるヤンを数年間匿いつづけているというだけでも随分たいした任侠ぶりである。そういう意味でユウジンは関子邑を高く評価しているのである。まあだからこそこの無骨そのものの戦士が関氏の食客になっているのだろう。そういう感情が判るだけにヤンは迷うのである。
 悩んでいるうちに彼らはいつのまにか関氏の屋敷についてしまった。ここらでそろそろ決断を下さなければならない。ヤンはしかたなくこういった。

「とりあえず今日のことは他言無用だ。俺からまず子良殿に話してみる。」
「嫡男殿に?」
「ふむ…悪くないですな。」

 関子邑の嫡男、子良にこの一件を話し、彼を通じて子邑の方へ探りを入れてもらうというのである。テレマコスはうなずき賛意を示した。それならば万一あの麻薬が「関氏関係のもの」であったとしても、直接子邑に突っ込むよりはトラブルも穏やかになる可能性が高い。そして何より先日の夕食会で見た子良の好青年ぶりが、今回の相談相手として望ましいように感じられたからである。

*       *       *

 翌朝、ヤンから事情を聞かされた子良はさすがに驚きを隠さなかった。さすがは関氏の嫡男とあって、暗黒街関係についてもまったくの素人というわけではない。いや、実際「新種の麻薬が出まわっている」くらいのことは既にちゃんと聞いていた。しかしそれがまさか中央政府とつながりが深いと噂の『伽難かなん国』の連中がもちこんでいるということまでは予想もしていなかったのである。

「私に言わせればそれは売国行為と同じようなものですよ!楊範将軍!」
「私もそう思いますが…」

 いつまで経っても慣れない「将軍」という称号にヤンは苦笑する。が、ともかくたしかに子良のいうとおりである。麻薬だけならまだいい。暗黒街に片足を突っ込んで生活している関氏であるから、麻薬売買とて否定することはできない。しかし、その出所が中央政府と結び付いている『伽難国』の連中となると事情は異なる。政府が新型麻薬を売りさばくような話といってもいい。

「子良殿、それはそれとして、まずはその流通ルートをなんとかつかまないと話が始まらないんです。誰が裏切り者で、どういうルートで売りさばかれているのか…」
「それはそうですね。将軍、わたくしに出来ることならおっしゃってください。なんなら父に私から話しましょう。」
「いや、ちょっと待ってください。子邑殿が動き始めると目立つ。ここは子良殿と私たちで調査しましょう。子邑殿を巻きこむのは最後の山場です。」

 この辺はテレマコスに言い含められているとおりである。子良の手勢を借りてあの禹王廟にこっそり見張りを立てるというのがテレマコスの献策だった。テレマコスはまだ子邑のことについては信用しきってはいなかったし、それに関氏の当主として彼が動くとやはり人々の注目を集めやすい。息子の子良のほうがいろいろな点で都合が良いというわけである。
 子良はヤンの(いつになく)整然とした説得に納得せざるを得なかった。ヤンの計画に従うことにしたのである。

「わかりました。そのほうがいいかもしれませんね。それでは内々で私の部下を差し向けましょう。で、動きがあればすぐヤン殿にお伝えしますよ。」
「よろしくお願いします。」
「すぐに手配しますので御安心ください。」

 ヤンが一礼すると、子良はにっこりと笑って慌ただしく席をたったのである。

*       *       *

 それからすぐに子良の部下は禹王廟での張りこみを始めた。覆面の男達の登場…つまり麻薬をいつ引き取りにくるか、じっと見張ることになったのである。当然動きがあればすぐに子良を通じてヤン達の元へと情報が入るようになっていた。既にあれから二日がたつが、まだ目立った動きはないようである。
 その間ヤン達はヤン達で街中の「新型麻薬の噂」を探そうと考えていた。もっとも直接街中で聞きこみが出来るのはユウジンやテレマコス、そして身軽なリンクスである。ヤンは関氏の屋敷にこもって知らせがくるのを待っているしかない。ヤンはこの街ではあまりに名が売れすぎていて、こういう聞きこみ調査には向いていないからである。

 本来ならヤン自身はこの事件に目をつぶってもよかった。なにせ彼に直接関係のある話ではない。結局のところ彼らは所詮目撃者に過ぎないのである。そのままだんまりを決めこんでしまえば、何事もなく終わってしまうはずだった。
 それに彼は…まだテレマコスらは知らないことかもしれないが、今は中央政府に追われる身である。彼が「将軍」だったのは前政権の末期、帝陵のころだったのであるから、前政権の高官として極めて動きにくい状況である。ヤン…「楊範将軍」という名を隠そうにもあまりに目立つその金髪と逞しい身体は弱冠十六歳で武礼撫となった伝説とともにとっくの昔にこの会稽郡の評判である(その彼を食客にしている関氏の名声が上がるのも当然だろう)。その彼が「麻薬の噂」を探しているとなれば、どう考えても「密かに」ということにはならない。いろいろな意味でヤンはやりにくい立場と言えた。
 しかしだからといってヤンにはこの話からさっさと手をひく考えは毛頭無かった。乗りかかった舟とかそういう程度の話ではない。相手が「伽難国」だからである。

「ヤン殿 …『伽難国』、ついに出てきたな。」
「ああ。」

 ユウジンに声をかけられ、ヤンはうめくようにそう答えた。関家の屋敷の庭でのことである。庭の桃や梅の木が鮮やかな緑色の葉をつけて、涼しげな木陰を作っている。木陰にあるベンチで二人は軽い昼食を取っていた。
 ヤンの瞳はいつものひょうひょうとした感じでない。中原人にはめずらしいそのブルーの瞳には普段と違う暗い光が宿っている。それはヤンの胸のうちにある暗い過去をそのまま映し出していることをユウジンは知っていた。
 ユウジンは肩をすくめてなだめるように言った。

「慌てるな、ヤン。敵は大きい。じっくり取りかからないと始まらん。」
「判っている…判っているさ。」

 ヤンはうなずいたが、その表情にはもどかしさが現れていた。敵のことを自分で探り出せないもどかしさ…すべてはこの呪わしいほど目立つ姿のせいである。そう、それほどまでに今ヤンはこの敵を自分の手で探し出したいという衝動に駆られていたのである。竜門山の、龍法戦士の仲間達のために…
 ヤンが幼少のときから拳法を学んだ故郷、彼ら龍法戦士達の総本山である竜門山…それを襲撃した『伽難国』の連中…ヤンはその数少ない生きのこりだった。なぜ『伽難国』の連中が龍法戦士を恐れたのかは判らない。しかし中央政府軍と伽難国の軍勢の攻撃で竜門山は真っ先に焼かれ、伝統ある龍法戦士の一門はほぼ根絶やしになってしまった。

 だからこそヤンは、たとえ相手が竜に乗る恐るべき組織であったとしても、この件から手をひくつもりはなかったのである。

「大丈夫だ、ユウジン。俺はそんなに無謀じゃないよ。」
「それならいい。冷静さは失っていないようだな。敵もでかいが味方もたくさんいるんだ。吉報を待っていればいい。」

 ユウジンは力強くヤンの肩を叩いて笑う。それにつられてヤンもわずかに笑いを浮かべてうなずいた。

「そうだな、あのテレマコスとかいう道士は伽難国について詳しそうだし、それにリンクス少年はかなりの剣士だ。二人とも相当の修羅場をくぐりぬけた面がまえだな。」
「気にいったみたいだな。俺もだ。」

 ヤンはユウジンがテレマコス達のことを気にいるかどうかについて多少の不安があったのだろう。ユウジンの様子を見て安心したように、今度ははっきりと笑う。そして悩んでも仕方がないというようにベンチの上にごろんと寝転がった。果報は寝て待てという言葉どおりにするつもりなのである。ユウジンはそんなヤンの様子を見て苦笑せざるを得なかった。

 ところが…
 しばらくして庭に飛びこんできたリンクスがもたらした知らせは、ヤンやユウジンが期待していた吉報ではなかったのである。

「ヤンさん!ユウジンさん!子良さんの見張りがやられました!」
「なにっ⁉」
「やられたかっ…」

 見張りについていた子良の手下は覆面の男達に気づかれ、襲われてしまったのである。予想される最悪の知らせであった。そして当然の事ながら禹王の墳墓に置かれていた麻薬は全て持ち去られてしまったのだった。

(10へ続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?