楊範・鄭令蔓伝 壮途編 七「あの怪獣が竜ですか?」
七「あの怪獣が竜ですか?」
「帝国」…その名前はテレマコスやリンクスにとっては既にあまりに聞き慣れたものになっていた。カナン世界に君臨する最大の国家…そしてテレマコス達の故郷サクロニア世界を踏みにじり、戦火へと叩きこんだ最強の敵である。いや、テレマコスだけではない。この中原地方においても「帝国」のエージェントが活動し、植民地化を計っているのである。帝国の侵略に対抗しようとした中央政府、共工氏の王朝はクーデターで倒され、その後の混乱の末、帝国軍の支援を受けた現王家である祝融氏劉衛の政権となったことで、既にこの中原地方は半ば帝国の植民地となったといってもおかしくない状況だった。
だから帝国と闘いつづけてきたテレマコス達にとっては、この会稽山の山頂で帝国軍と遭遇することは、意外感こそあれなんら驚く話ではなかったのである。
* * *
テレマコスの知るかぎり、帝国が世界の表舞台に登場したのは百年ほど前のことだった。歴史を綬解けば帝国自身が誕生したのは数百年前であるが、今のように強大な国家となる前はたかだかカナンの一地方政権に過ぎない。しかし帝国はいったん力を得ると、周囲の国々を次々と併呑して膨張を続けた。サクロニアの辺境シリーン大島に現れ、その地を征服したのもちょうどそのころである。その後も帝国は次第に拡張を続け、今や世界で並ぶものの無い最強の国家であった。
帝国が何故にそれほど周辺の国々を征服することができたのかというと、理由はいくつもある。まずその軍事戦術が非常に洗練されていたこと。機動力に優れた軍団、軍団を守る強力な集団魔術、魔道士や魔法兵器の集中投入という斬新なドクトリンに支えられた帝国軍は世界でも最高に近い強力な軍団だった。
しかしなにより帝国が異様なのはその魔法だった。帝国を率いていたのは「女神」と呼ばれる本物の神だったのである。
サクロニアにも、そして中原や他のカナン世界にも地上に本物の神が現れたという話はない。神話の時代ならともかく、人間やその他の「普通の種族」の時代になってからというものは、神々はそのあまりの偉大さゆえに地上に直接姿を現すということはあり得ない話だった。もちろん人間ばなれした強大な力をもつ魔道士や戦士はしばしば現れる。英雄なんて大抵はそうであろう。時には強力な魔神や精霊が地上で生活したり冒険したりする事だってある。いや、テレマコスだって十分「人間ばなれした大魔道士」なのである。
しかしいくら彼らとて「神」そのものではなかった。「半神」ならばいくらでもいる。しかし「本物の神」が地上に現れ、地上に君臨して自分の国家を作るということなど、歴史上かつて無いことだったのである。
だからこそ「女神」を擁する帝国の出現は世界の国々を恐慌に陥れたのである。そして彼らの軍団には「女神の強力なしもべ」である「神将」、司祭にして超常的な力をもつ戦士達が多数存在していた。半神並みの力をもつ神将と、強力な軍団によって帝国はその領土を次々と広げ、ついにはここ中原やテレマコス達の故郷サクロニアまで彼らの植民地になろうとしていたのである。
* * *
しかしともかくテレマコスにはそこまで詳しい話をこの場で説明するゆとりはなかった。ましてやテレマコスやリンクスと帝国との今までの戦いを語ろうとすれば一晩や二晩では済まない。
それになにより彼らの目の前には帝国の誇る巨大な銀の竜がいるのである。この巨大な怪獣の前ではそれこそ息すら止めて気配を隠す以外に選択肢があろうはずはなかった。
怪獣はまったく音も立てずにゆっくりと山頂に迫ってきた。翼は動かしているのに羽ばたきの音もなにもしない。おそらくは魔法で音を消しているのだろう。あきらかに隠密行動というわけである。
覆面の男達は怪獣の着地場所をあけるために立ちあがり、山頂の広場から立ち退いた。ドラゴンは無音のまま開いた場所に豪快に着地する。星明かりしか無いのだが、ヤン達のところからもドラゴンの上に十名ほどの兵士らしき男の姿が見える。
兵士達はドラゴンの背中から縄ばしごを降ろすと、慣れた身のこなしで山頂に降りたった。覆面の男達もまた山頂の広場へともどり、兵士達に挨拶をしている。
ヤンは小声で隣のリンクスに言った。
「覆面の連中は俺達中原の人間のようだな…」
「そうですね。兵士のほうは間違いなく帝国の正規軍です。」
聞こえてくる兵士と覆面の連中の会話から判断されることはそういうことだった。兵士のほうは片言の中原語であるのに対して、黒覆面の男はネイティブらしいみごとな、しかしすこし汚い中原の言葉を話している。もともと中原でも北部の生まれであるヤンと比較しても、覆面の男の言葉のほうが(南方方言だが)流暢なくらいである。これは間違いなく地元の人間だろう。
わずかな挨拶が終わると、兵士と覆面の男達はドラゴンに近づき、背中から木箱を降ろし始めた。箱はかなりしっかりしたもので、ちょうど貿易用の小型のものである。彼らはそれを二人一組になって手早く積み降ろす。黒覆面の男達はもってきたロープでそれを上手に括るとそれぞれが二つずつ背中に背負った。手際のよさは見事なものである。
覆面の男のリーダーは兵士のほうに一礼すると、帝国軍の将校になにかを渡す。どうやら代金というやつだろう。箱を背負った男達はそのまま足早に山を降り始めた。兵士のほうも長居は無用とばかりドラゴンに次々とよじのぼったかと思うと、すぐさま空中に舞いあがった。着地のときと同じくまったくの無音である。そしてドラゴンはそのまま見る見るうちに一路西へと飛んでいってしまったのである。
あっという間に山頂は元の、誰もいない静かな場所に戻った。たださっきと違うのは夕日がすっかり沈み、既に空は満点の星空となっていることだった。
* * *
「こんな所で奴等に出会うとは…」
「あの怪獣が竜ですか?俺も見るのは始めてです…」
覆面の男達がもう完全に視界から消えてしまったのを見計らって、ヤン達はほっとしたように草むらから飛び出した。山の上といってもハイキングコース程度の山である。草むらに入れば蚊の一匹や二匹におそわれる。事実テレマコスなどはかわいそうに随分蚊の襲来を受けて手や足が真っ赤に張れあがっていた。
しかしとにかくヤンもユウジンもあの巨大な怪獣に度肝を抜かれたのか、しきりと驚くばかりである。まあ実際リンクスやテレマコスにしても帝国の使うドラゴン以外に本物の竜を見たことはない。あれだけの怪獣を見れば誰でもびっくりしてしまうのはあたりまえである。
とはいうものの、実はドラゴンのほうは今となっては彼らにたいした関係はない。もう向こうに行ってしまった怪獣なのであるから食べられる心配もないわけである。
「ところでテレマコスさん…あの覆面の人たち、何を運んでいたんでしょうか?」
「そうじゃな、ろくなもんではなさそうな気がするが…」
テレマコスは渋い表情でそう答える。実際ああいう「黒覆面」ということそのものが既に「ダメ」である。ろくでもない連中としか思えない。さらに箱を運んできたのが帝国軍というだけで、どうしてもテレマコスには(感情的に)「戦争の道具」とか「テロの武器」とか、そういうものしか浮かんでこない。もちろん一切証拠はないのだが、今までの帝国との戦いを思い出してみるとどうしてもそういう発想になってしまう。
テレマコスの危惧はヤン達にもなんとなく判った。この二人が言っている「帝国」とやらがなんであるかは、ヤンには良く判っているとは言えない。(中原の人々は「帝国」のことを「伽難国」と呼んでいるのである。意味が通じなかったとしても無理はない。)しかし、黒覆面の男達はみるからに怪しいし、竜に乗った外国の兵士となればどう考えてもきな臭い話である。
「たしかに気になるな。ヤン殿は?」
「ああ。少なくとも人に知られたくないものだろうな。追いかけてみよう。」
ヤンは事もなげにそう答えた。万一あの連中に気づかれたら危険に巻きこまれるということなどまるで苦にしていないような気軽さだった。いや、これが英雄というものなのかもしれない。少なくとも目の前のヤン…楊範将軍はこの中原では並ぶもの無き拳法の達人なのである。
「いつものこと」と判っているユウジンだけでなく、テレマコスやリンクスもヤンの無鉄砲さに苦笑した。そして手早く荷物をまとめると一行は彼らを追って山を下り始めたのである。
(8へつづく)
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