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炎の魔神みぎてくん 大学案内 ①「甥っ子。姉貴の子供だよ」

1.「甥っ子。姉貴の子供だよ」

 バビロン市の旧市街というのは、旧城壁の内側を指している。まだこの街がここまでの大都会となる前からある地区で、当然街並みも古い。さいころ大通りにせよ、バビロン大学周辺の学生街にせよ、整然としたビル街というには程遠い雑然とした街並みなのである。旧城壁の外側に開けている新市街や、ましてや最近ベッドタウン化が著しい郊外地区と比較すると、よく言えば歴史の風格、悪く言うと生活感に薄汚れた下町の雰囲気が色濃くなってしまう。まあもちろん街の中心街なのだから、当然にぎやかである。

 そういう旧市街にはいまだに銭湯というものが残っている。今の時代、自宅に風呂が無い家というのはそうそうあるものではないのだが(特に新市街の住宅などにはありえない)、旧市街には結構な数の銭湯が生き残っているのである。当然ながら毎日結構な数のお客がいて、それなりに繁盛しているのだから不思議なものである。おそらくは自宅に風呂がある人も、意外と銭湯の広い風呂が好きなのだろう。そうでなければ内風呂が普及したこの時代に銭湯がやっていけるはずがない。

 たしかに普通の下宿の風呂ときたら、さほど巨体というわけでもないコージですらあまりのびのびと入るというわけには行かない、ほとんど五右衛門風呂レベルのサイズでしかない。ましてや相棒の同居人はといえば、これはもともとコージに比べてかなり大柄の…はっきり言えばガチムチの大男なので、こんな小さい風呂でははみ出してしまいそうな悲惨な状況である。実際この相棒が入った後となると、湯船の中にお湯がわずか(少なくとも当初の1/3程度)しか残っていないのであるから、やはり間違いなく風呂が狭いようである。
 もっともコージの下宿というのは、本来彼のような普通のサイズの人間族向けに出来ている建屋で、それも1Kの単身者用である。そんな部屋に二人で住んでいるというのがそもそも無理なのである。さらには相棒が普通の人間ではなく、正真正銘の炎の魔神だとくれば、これはもう部屋が狭くなるのも当然だろう。ましてや小さな浴槽など論外である。

 そう、たしかにこの相棒はでかい。人間ではなく魔神族だということを考えればこの体格は当然なのだが、実際目の前に立ってみると自分がまるで子供になったように感じるほどである。少なくともコージからみて頭一つは高いし、盛り上がった胸板といいごっつい二の腕といい、さすがに魔神らしい。何も知らない子供だったら、この巨体を見るだけで泣き出してしまうかもしれないほどの威圧感である。
 しかししばらく落ち着いて見れば、この魔神はそれほど怪物という感じはしない。まん丸に近い顔はどう見ても童顔だし、赤銅色の肌や深紅の炎で出来た髪の毛だって見慣れてしまうとたいしたことは無い。頭にある小さな角は確かに魔神らしいといえば魔神らしいのだが、口元の牙などはほんの申し訳程度である。要するに子供っぽさを残した大柄の筋肉にーちゃん、といった感じなのである。困ったことに人懐っこい笑顔までついている。

 実際にこの魔神はコージにとっては同居人で、誰よりも仲がいい相棒で、そして大切な兄弟のようなものである。もちろんコージは別に大魔道士でも英雄の息子でもなんでもない。ただの大学生…魔法使いの卵にすぎない。だから「同盟精霊」ではなく「相棒」なのである。なぜコージと魔神が知り合って、同居を始めたのかという話については、前にも何度か出てきた話なので、ここでは触れない。
 とにかくコージがこの魔神と同居を始めて三年になるが、今となってはこいつ抜きの生活なんて考えられない。もちろん人間界で魔神が暮らすというのは、いろいろなトラブル(生活習慣やらなにやら)がつきものなのだが、そんなことは単なるお祭り騒ぎである。ともかくコージはこいつが好きで、一緒にいて楽しくて、そして何よりうれしいのは…こいつもコージのことが大好きだと確信できることなのである。
 だから今日も一緒に近所の「潮の湯」に行くところなのだ。

「すっかり秋も深くなったな、コージ。」

 魔神はコージの右上四十五度の方向からそう言った。二人並ぶと彼の頭はコージの顔からちょうどそんな方向になる。たしかにもう十一月、晩秋に近い季節である。街路樹のイチョウは見事な金色に色づいている。日差しがあるから寒いというわけではないが、風はひんやりとしている。
 コージはちょっと横を見て、呆れたように魔神に答えた。

「そりゃもう十一月なんだから、みぎて。そんな服じゃ寒々しいって」
「うーん、失敗したかなぁ」

 みぎて、というのはこの魔神の名である。「みぎて大魔神」…もちろんこんな妙な名前が本名のわけは無い。要するにニックネームというか自称である。フレイムベラリオス(精霊語で「灼熱の翼」の意味)という立派で格好いい本名があるのだが、どうしたことかこの魔神は本名で呼ばれることを恥ずかしがる。どうやらこのコミカルな名前に愛着のようなものがあるのだろう。
 まああだ名なんてものは、別に仲間内でわかりやすく呼びやすければいいのだから、コージもよほどのことが無い限り「みぎて」で通している。それどころか学校でも正式な書類とかでもないかぎり、先生方すら「みぎてくん」と呼ぶのだから面白いものである。考えようによれば愛嬌のあるこの魔神にはふさわしい名前なのかもしれない。

 しかしそういう愛嬌はともかく、今日のみぎての姿はお世辞にもまともな格好と呼ぶことは出来そうに無い。なにせもう十一月であるというのにタンクトップ…明らかに真夏の格好だったからである。これは寒々しい…既に気の早い人はカーディガンやら厚手のジャケットを羽織っている季節になって、いまだに真っ黄色のタンクトップでは、なんだか一緒に歩いている方が恥ずかしくなるほどである。いや、たしかにみぎての立派な臥体にはタンクトップが良く似合うし、ちょっと見せびらかしたくなるのもわからないことは無い。実際真冬だろうがなんだろうが、タンクトップ姿の筋肉あんちゃんも(特にビルダー系に)いないわけではないのだが、さすがにコージの美意識では却下である。それになにより…寒い。

 実はコージが指摘するまでもなく、この魔神は寒いのが嫌いである。炎の魔神なのだから当然なのだが、雨の日や真冬が過ごしやすいわけがないのである。もちろん少々の雨や雪で病気になるとかそういうことはないのだが(というより、この魔神が病気という状態そのものが想像つかない)、かといってこんなタンクトップ姿でうろうろして快適なわけが無い。
 それにもかかわらず薄着をしてしまうのは、この魔神の場合…単に故郷の魔界では(常夏なので)あまり人間界のように服を着込む習慣が無いというだけのことである。人間族のように重ね着やらなにやらをするのがとても息苦しいらしい。この辺は結局文化の違いである。
 が、そうはいっても人間界の十一月ともなれば、やはりタンクトップでは寒いのは当たり前である。この手のことにはコージは一切同情しない。

「人間界も三年目だろ?いい加減懲りろよ…」
「うーん、でもさ、この時期って服、難しくないか?冬服着るのもちょっと早すぎるって気がするしさ」
「…まったく急におしゃれぶって…そりゃちょっとわかるけどさぁ、タンクトップは脱ぎすぎ」

 みぎての意見には多少コージもうなずけるものがある。寒暖の差が激しい晩秋は、服装選びも一苦労である。長袖トレーナーやフリースを着てもいいのだが、日差しのある昼間はいささか暑い。しかし薄着をしようものなら、夜の寒さにひどい目に遭うことになる。が、いずれにせよみぎてのようなタンクトップは論外なのだが…

 人間界暮らし三年めのこの魔神は、最近は結構ファッションやらなにやらも多少は興味を示すようになってきた。なにせ最初は前垂れの付いた革のパンツとモンゴル相撲みたいな分厚いブーツ、さらには重そうな金属製の篭手までつけているという、あからさまにエスニックな魔界スタイルだったのであるが、このごろは人間の服もいやがらずに着るし、時々はコージと一緒に靴や服を買いに行く。もっとも貧乏な二人であるから、当然若者向けの量販店ばかりなのは当然である。

「そういえばコージ、今度港のほうになんかアウトレモールとかいうのが出来るんだって?服とか売ってるって聞いたぜ?」
「アウトレットモール。もう来週くらいにオープンじゃなかったかな」

 魔界生まれの魔界育ちであるみぎては、時々(いやしょっちゅう)人間の言葉を間違える。もっとも容易に想像はつくと思うが、この筋肉たっぷりの魔神はかなり単細胞で、お世辞にも学があるとはいえない。(だから人間界の大学に勉強しにきたのである。)「アウトレット」という単語の意味を考えずにいい加減に噂を聞いたということがまるわかりである。コージは一応この魔神の(自認)教育係ということになっているので、こういうときはきちんと突っ込みを入れる。
 が、それはともかく、実はみぎてが言い出したこのネタは、コージ自身も非常に興味がある話題だった。最近いくつかの大都市…たとえばイックスやバギリアスポリスに登場して評判のアウトレットモールが、ついにここバビロンにもできるというのである。若者向けの服、特にスポーツウェアーなどがかなり安いという噂なのだから、コージだって興味が無いはずは無い。ただ、オープン当日に突入するとか、前夜から並ぶとか、そういう根性は無いだけである。そしてなにより…最初の数日はバーゲンに群がるおばさん軍団が殺到していそうで、いささか不安(というより身の危険)を感じてしまう。
 ところがこの魔神はそういう危険を全く理解していないようである。

「コージ、じゃあ来週行ってみようぜ。安売り」
「…ううっ、危険の予感が…」
「危険って?なんで服屋が危険なんだよ。あ、ついついたくさん買い込んじまうとか、そういうやつだろ?あはは」
「…それもあるけどさぁ…」

 やはりみぎては「バーゲンの恐怖」というのは全く想像していないらしい。まあ実際「バーゲンに群がるおばさん軍団」というのは、コージ自身噂にしか聞いたことが無い。そもそも恐ろしくて行く気にならないからである。それにみぎての言うとおり「安売りの誘惑」に買い込みすぎるというリスクも無いではない。
 が、それよりもなによりもコージは早く風呂に入りたいのである。タンクトップ姿の魔神を見ていると秋の冷気が身にこたえてくる気がする。なんとなくトイレまで行きたくなってきたのだから、本当に冷え込んできたのかもしれない。

「ま、ともかく風呂屋で相談しようって。いい加減見ているほうが寒くなってきた」
「あ、そうだな。ディレルも行きたいって言うかもしれないしさ」
「はいはい、それも後でっ」

 ともかく風呂屋へ行ってから…急ぎ始めたコージに、魔神はちょっと不思議そうに首をかしげて、しかし後を追ったのだった。

*       *       *

 二人がずんずんと通りを歩いて行くと、向こうのほうに細長い煙突が見えてくる。もちろんもうすっかり夜なので、それほど目立つわけではない…が、あきらかに周囲の家から抜きん出た高さである。正面には「湯」とかかれたのれんがぶら下がっている玄関口も見える。目的地「銭湯潮の湯」である。
 彼らが銭湯「潮の湯」にわざわざ行くというのは、もちろんさっき述べた「広い風呂に入りたいから」という理由だけではない。それだけならば少し郊外に出れば、今はやりの「スーパー銭湯」がいくつもある。「銭湯潮の湯」は残念なことに、昔風の下町の銭湯で、ジャグジーやら豪華露天風呂やら、はたまた食事コーナーなどは無い。せいぜいちょっとハーブの入ったお風呂と、それからよくある電気風呂、申し訳程度の小さなサウナルーム、飲み物といえば牛乳程度が売っているだけである。(さすがにこの程度は設置していないと、いまどきの銭湯はやっていかれないのである。)
 それにもかかわらず彼らが「潮の湯」を選ぶ理由はひとつだった。つまりそこは彼らの親友、ディレルの自宅でもあったからである。

 ディレルというのは、もう毎度レギュラー出演なのでご存知だとはおもうが、コージたちにとっては大学の同級生で、講座仲間である。背丈はコージとさほど変わらない。やや色白の穏やかな顔つきをしたトリトン族の青年である。耳が隠れるくらいのきれいなブロンドの髪と、優しそうなグリーンの瞳はなかなか格好いいといえないことも無い。それに大学では優等生だし、海洋種族らしく泳ぎは大の得意だし、かなりしっかりとしたいい体をしている。こうしてみるといいこと尽くめ、さぞもてそうな好青年ということになる。
 が、問題は彼の性格にある。とにかくこのディレルという青年は…こまったことに人がよすぎるのである。頼まれたらいやといえないというか、ついつい周囲の面倒を見てしまうというか、ともかく「いい人」過ぎる。もう少し「押し」ということをちゃんと覚えないと、「いい人だけで終わってしまう」という最悪のパターンのままになってしまいそうである。当然講座でも面倒見のよさが災いして「万年幹事」というありがたくない称号までついているのを見ればすべてがわかるだろう。
 もっともそういう人のよさがディレルのさらにいいところなのだし、コージもみぎても(お互いのことは別にして)一番の親友だと思っているのも事実なのである。どこにでもいる学生であるコージはともかく、正真正銘の大魔神であるみぎてのことを、怖がらずに親身になって面倒を見るというのは、単なるお人よしとかそういう言葉で済ますのはひどすぎる。やはりディレルもコージとみぎてのことを親友だと思っているからこその、暖かい友情だというべきだろう。
 そういうわけで二人はしょっちゅう「友達ディレルのところに遊びに行くついでに」銭湯潮の湯へと行くというわけだった。

 さて、早速二人はのれんをくぐり、下駄箱で靴を脱ぐと早速「男」と書かれた入り口に入った。当然入ってすぐ左には番台があり、そこで入浴料金を支払うのである。郊外にあるスーパー銭湯ともなれば自動券売機で料金を支払うのだが、こんな街中の銭湯では、こういう部分も昔のままなのである。番台にはディレルのお袋さんか、それともディレル本人が座っていて、そこで入浴料を払いつつバカ話をする、というのがいつものパターンである。ところが…
 「男湯」ののれんをくぐったコージは、ひょいと番台を見上げて思わずぎょっとした。後ろにいるみぎては突然コージが凍りついたものだから、思わず彼の背中にぶち当たる。(身長差がかなりある二人だから、コージの背中はみぎての腹くらいである。)が、そんなことに反応する前に、みぎてのほうも同じく目を丸くしてそのまま凝固する。
 なんと番台に座っていたのは女性…それもコージよりも若いくらいの女の子だったのである。

「ええっ!セレーニアちゃん!」
「きゃーっ!魔神くんとコージさんじゃん!うっれしーっ!」

 実はこの女の子は、ここ潮の湯の娘さん、つまりはディレルの妹である。ショートのすこしウェーブがかかった金髪で、きれいに焼けた肌のボーイッシュな女子高生だった。イマドキの女子高生らしくしっかりメイクも決めている。どうみても番台には似つかわしくないのだが、家族経営の銭湯ではいたしかたない。

「セレーニアちゃんも番台やるんだ…ここ」
「あったりまえじゃ~ん。だってここ家だもん。それにお小遣いもらえるし」
「…やっぱりそれね」

 女子高生が家の仕事を手伝うといえば、やはり第一の動機がお小遣いというのは非常に自然である。コージもみぎても思わずうなずくしかない。が、こんな若いおねーちゃんが番台にドンと座って、男の脱衣所を見張るというのも平気なものなのだろうか。そこのところはどうも今ひとつわからない話である。
 ところがセレーニアはゲラゲラ笑って首を振る。

「だってあたし、子供のころからお風呂屋さんなんだから、全然平気に決まってるジャン。あ、490円です。はい、石鹸、いつもありがとねっ!」
「…そういうものなんだ…」

 セレーニアは二人とバカ話しながら、次々にやってくるお客をてきぱきと裁いている。たしかに前に同じことをディレルにも聞いたことがあるのだが、やはり同じ回答だった。(子供のころからお風呂屋さんだからなんてこともない、というのである。)そう考えると彼女のようにボーイッシュで元気な女の子(今風メイクはちょっと気になるが)なら、少々のことでは物怖じしないだろうし、お客裁きもお手の物だろう。ある意味番台にも向いてるのかもしれない…が、うら若い乙女(と思う)に脱衣シーンを見られるコージたちのほうは、微妙に恥ずかしい気もする。
 もっともいつまでもこんな番台のところで立ち話をしているわけには行かない。後ろからやってくる他のお客さんに(みぎてのような巨体では特に)迷惑になってしまう。ともかく用件だけは済ませて、さっさとお風呂に入るしかない。

「えっと、ところでディレルは?」

 コージは財布から二人分のお金をセレーニアに渡しながら聞いた。すると彼女はくすくす笑いながら答える。

「アニキね、今、港に行ってるよ。マルスちゃんが遊びにくるから迎えに行ってんのよ」
「マルス?」
「あ、えっとね、甥っ子。姉貴の子供だよ。あたし『おばちゃん』って言われるとショックなんだけどね」
「えっ?甥っ子って…じゃあセレーニアちゃん他にも兄弟がいるんだ」
「へぇ~っ!俺さま初耳だっ!あいつ今まで一度もいわなかったよな」

 これは初耳である。ディレルとセレーニアには他に…どうやら結婚している姉がいるというのであろう。まあもうディレルも大学院生だし、もし姉がいるとすれば結婚していてもおかしい話ではない。それも「甥っ子」が生まれていて、さらに遊びに来る年齢なのである。つまり結構年が離れているのかもしれない。
 もっともディレルやセレーニアは、コージのような人間族ではない。海洋種族である「トリトン族」…つまりは海の妖精族である。エルフ族やトリトン族は人間より多少寿命が長い。人間なら百歳ともなれば大変なお年寄りだが、トリトン族だとまあそこそこ見かける(定年過ぎの)おじいさん程度である。この辺、種族違いの年齢換算はけっこうややこしいのである。そう考えると、実際ディレル姉がどれくらいの歳なのかは、もうわけがわからないというしかない。

「おう、じゃあまあ俺さま達、風呂入ってくるからさ。後でもうちょっと話し聞かせろよ。」
「そうだな。そろそろ入るか」
「あ、じゃあまた後でね。アニキもすぐ帰ってくると思うし。」

 あまり番台の邪魔をするのも何…ということもあって、コージたちはとりあえずまず入浴タイムである。二人はそそくさと脱衣かごの前で服を脱ぐと、これまた意味無くこそこそしながら(当然前を隠して)浴室に直行である。この魔神の逞しく見あげるような体格からいうと、こんなこそこそした入浴シーンは非常に情けないのだが…
 今日ばかりは人間(魔神も含めて)、どうしても気恥ずかしくなってしまうのは致し方ないことだろう。

*       *       *

 体を洗って、のんびりと風呂に入って…銭湯の至福のときを過ごした二人は、ややゆでだこに近い状態で浴室を出た。といっても炎の魔神みぎてが熱い風呂で湯あたりなどするはずは無い。が、さすがにあまりに長時間お風呂に入ると、多少体がひりひりしてくるらしい。(熱い風呂といっても水気は水気である。)こういうところはさすがに炎の魔神族である。一方のコージは、これまたサウナにがんばったもので、ちょっとばかりくらくらきそうな状態である。人間の場合はこういうとき、まず水分補給である。
 二人はしかし急いで体を拭くと、トランクスをはいて番台のところに向かった。当然牛乳を買いに行くのである。まずはぐびっとなにかを飲まないと調子が悪くなってしまいそうである。

「いい湯だった~。俺さま缶コーヒー。ホットだぜ」
「コーヒー牛乳くれる?」
「魔神君ホットなの?風呂上りなのに…」
「俺さま炎の魔神だから冷たい飲み物だめなんだよ」

 セレーニアは番台の隅にある「缶コーヒー保温ケース」からホットコーヒーを取り出す。ほとんど誰も(おそらくみぎて以外は)買わないのだろう、最初から二、三本しか入っていない。まあ熱い風呂上りにホットドリンクを飲む人はあまり多いとは思えない。当然ながらコージは冷たいコーヒー牛乳である。
 二人そろって腰に手を当てて(この辺はお約束である)ぐびぐびとドリンクを飲み干すと、あとは湯冷めしないように身づくろいである。コージはドライヤーを(当然二〇円三分という良くある値段)鏡の前で当てる。これは炎の魔神には出来ない芸当である。みぎての髪の毛は炎の精霊力で出来ているので、ドライヤーなど当てても意味が無い。そもそも目には見えるが実体はないのだから当然である。しかたがないのでみぎてのほうは、部屋の隅においてあるテレビの時代劇を、これまた不思議そうに眺めている。コージにとってはちょっと古臭くて面白くない時代劇だが、同じ歴史を共有していない外国の(魔界も外国のうちである)人にとっては、非常に興味深く不思議に見えるものらしい。こういう細かい生活習慣や感覚の違いはコージにとっても面白い。

 さて、二人がテレビの前でバカな話を(上半身裸のままで)していると、番台のほうから聞きなれた声が飛んできた。

「あっ!みぎてくん!コージ!きてたんだ」
「よぉっ!おかえり~っ!…?」

 絵 武器鍛冶帽子

 二人が振り向くと、向こうに金髪の穏やかな表情をした青年が笑っている。当然予定通りディレルである。どうやら妹に番台を任せるのが不安だったらしく、急いで戻ってきたのである。そしてその傍らには、ちょうど年恰好は中学かそこらだろうか、同じように金髪でくりっとしたかわいらしい目をした少年が立っていた。短めの髪の毛だが、後ろ側だけ首筋にかかる長さに伸ばしている。こういう今風の髪型をしているところは、ディレルなんかよりもずっとおしゃれである。(ディレルは優等生過ぎて、服装とかもどこかおとなしい。)が、目つきの優しい感じとかは、やはりディレルに良く似ている。

「あ、その子がディレルの…」
「うん、まあ僕の甥っ子なんだよ。結婚した姉のね」
「ディレル、姉さんいたんだ、しらなかったな」
「結構歳離れてるしね。正月とかに会うだけだもの」

 コージはしげしげとディレルと甥(たしか先ほどのセレーニアの話では、マルスという名だったはず)を面白そうに見比べる。コージ自身はあまり歳の近い兄弟や親戚がいないので、こういう状態はとても興味深い。自分が紹介されたことがわかった少年は思わずちょっと気恥ずかしそうに、しかし礼儀正しくぺこりと頭を下げる。その笑顔はまだ子供らしさ一杯で、コージにとってはすこしばかりまぶしくもある。

「へぇ~っ!ほんとに親戚って良くわかるなっ!似せるぜやっぱり」
「あはは、そうですかみぎてくん。あんまり言われたこと無いんですけどね」

 魔神は感心したようにうなずき、不思議そうに二人を見比べる。魔神族の兄弟というのがどういう感じなのかは、魔神と同居しているコージにしたところでわかるわけではない…が、少なくとも人間族やトリトン族ほどは似ていない可能性が高い。実はコージはみぎての父親と会ったことがあるのだが、人間族の水準から見ると赤の他人とも思えるくらい違っている。ましてやコージから見ても「あ、親戚だな」とわかるほどのディレルと甥っ子であるから、みぎてから見ればびっくりするほど似ていると思えてもおかしくは無いだろう。

「おうっ、俺さま『みぎて大魔神』さま。ディレルの友達で炎の魔神族なんだ。よろしくな。それからこいつは俺さまの相棒のコージ」
「みぎてぇ、自称で『さま』は相手びびるって~。あ、俺、コージ。人間族」
「えっと、マルスです。ザイオス島から来ました」
「ええっ!ザイオス島!いいなぁ~」

 ザイオス島というのはバビロンの南にある火山島である。バビロンから一泊二日程度でゆくこともできるので、夏は海水浴やサーフィン、冬は温泉地という最高のリゾートだった。もちろん遊びに行くのと住むのとは大違いだろうが、ちょっと憧れの島ではある。
 思わず彼らはそのまま一気に雑談モードに入りそうになる…が、さすがに番台前を占拠するのはまずい。セレーニアはげらげら笑いながら彼らに言った。

「アニキぃ。みんなでファミレスいっといでよ。脱衣所で裸でおしゃべりもいいけどさ」
「あっ、そうだった」
「あはは、じゃあそうしましょう。外で待ってますよ」

 女子高生の呆れたような視線にさらされているという事実に気がついたコージと魔神は、思わず赤面するとあわてて上着をはおりはじめたのである。

(②へつづく)

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