見出し画像

音が鳴ってないところに意識を。

以前からも、このタイトルに近い話はあげていますね。


例えば弾き語りでもドラマーが後ろにいると思って演奏する。あるいは、自身が大きな音符を演奏していても細かい音符も感じる。
自身の弾き語りそのものにそこまで意識を置きすぎないということ。

それは、どこかに向かって歩く時に「歩く」行為自体に意識は置かない、だったり、車を運転する時にハンドル自体を「運転する」意識は持たない、というのと同じくらい自然なことであるという話でした。

ですので、例えば学生時代の全校集会などで前に出なければならない時に、手と脚が一緒に動きそうになったり、歩きにくく感じたりしたのは、自分が変な歩き方になってないかなど、その動きそのものに自身の意識が過剰に働いていたからではないかと推測されます。


逆に見てみると、自身が演奏していない(動かしていない)部分こそが、自然な演奏をする上で重要不可欠な部分である、とも言えてくるのではないかと思うのですが、演奏における最たる例では、休符というものもそのひとつです。

モーツァルトは「音楽の最高の効果は流れる音の合間に現れる無音状態にある。」と言っていたそうですが、音の鳴っていないところでこそ、その曲のムードが一番感じ取れる、と言う解釈でしょうか。


とはいえ、そんな哲学的なことを今回は長々と話したい訳ではなく、単純に休符はただ待ちぼうけする時間ではないよ、ということをお伝えしたいわけです。遠回りになりましたが。
休符なので、その時間は手は当然動かさないので、動かすとすれば、脳(意識、想像力)しかないわけですね。


ボーカルで言うと、分かりやすいのがイントロです。

イントロを自分の番が来るまでのただの待ち時間とするか、そこから音楽のムードを感じて入り込んでいるかでは入った瞬間の感触が絶対に違ってくるはずです。


具体的なイメージの提案で言うと、筆者個人の主観になりますが、いつも自分で良い演奏が出来ている実感を持てる時は、指揮者が見えます。
僕は個人的に小澤征爾さんを大変尊敬しており、当然曲にもよりますが、彼の動きを想像することが多いです。

こういったJazzからPop Musicに至るまでの音楽というのは、指揮者がいないというのが特徴でもありますが、例えばイントロから指揮者がいて、どんな動きをしているか想像し、それに合わせて自分が歌う、演奏する。

そうして自分の力で歌おうとするのでなく、何かそれぞれに見える景色やイメージに力を委託して歌うので、本人自身の脱力にも繋がってくるのです。

もちろん、これは一つのイメージの例にしか過ぎません。


結局は少し難しい話になりましたが、ひとまずは自分が担当していない楽器やリズム。まずはこれを意識しながら歌ってみる。そうした意識の練習から始めてみると良いと思います。

主観ではなかなか上手くいってるのか確認や実感がしづらいので、必ず録音して聴き比べてみてください。

上手くいっていれば、意識前よりも必ずスムーズでなめらかに歌声が聴こえるはずです。
そして、それらがLive等でも上手く集中出来れば、極度の緊張からも解き放たれるはずです。


以上のような、表面的には習えない、本当に大切な部分を一緒にSidewaysのレッスンで模索してみませんか。

ぜひ皆様のお問い合わせをお待ちしております。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



レッスンにご興味ある方は、ぜひ以下のSideways StudioのWeb Siteより、またはsideways6823@gmail.comよりお問い合わせください。

町田と湘南台が主なレッスン場所となります。


■ Sideways Web Site
・料金システムやレッスン場所へのアクセス、講師紹介、生徒たちの声なども載せています。

https://www.sideways-studio.com/


■ Sideways Magazine
・家で出来る練習方法や、音楽上達に向けたメンタルの分野について、ボーカル、弾き語り、作詩作曲、オンラインの4項目に分けて書き綴っており、Sidewaysに関するニュースもこちらからどうぞ。

https://note.com/sideways_studio


■ Sideways Instagram
・洋楽を中心にSidewaysのおすすめする音楽などをこちらに載せています。

https://instagram.com/sideways_studio_6823?igshid=5hf0ktbv85m9

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?