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季節の文学―6月のブックリスト―

―地図には載っていないけれど、行きたいと心から願えばたどり着くブック 
 カフェ『栞』。
 ドアを開けばいつも、やわらかなお菓子と珈琲の香りに包まれる。優しい 
 オーナーはいつも、あなたにぴったりのメニューを紹介してくれます。
 大丈夫、文学は心の故郷だから。どんなあなたも受け止めてそっと癒やし
 てくれるから。
 さあ、ブックカフェ『栞』本日も開店です。―
 
 いらっしゃい。雨、大変だったんじゃない? 今、いつものをお出しするか  
 ら、少し待っていてね。
 今月もとっておきのメニューを用意しておいたよ。雨が好きになる本をた 
 くさん揃えておいたからゆっくりしていきなよ。


―紫陽花を見た時、口をついて出る詩
◇萩原朔太郎「こころ」 『純情小曲集』

 雨の重みを感じつつ街を歩いていると、色鮮やかな宝石が目に入る。雨の雫を着飾った紫陽花。この詩を思いだす度に、胸の中に咲いている紫陽花の煌めきが静かに光る。
『純情小曲集』の詩はどれもはかなげな寂しさを帯びていて、読んでいるとどこからか雨の匂いがする。
<あらすじ>
「やさしい純情にみちた過去の日を記念するために、このうすい葉つぱのやうな詩集を出すことにした。」『純情小曲集』の序文に記されたこの言葉。精選された言葉に、繊細な孤独感をどことなく感じる詩集だなと感じています。『月に吠える』や『青猫』とは、また異なる、萩原朔太郎の鋭い感受性を味わうことの出来る一冊です。
 

―雨はみんなに等しく降り注ぐものだからこそ、誰かを救うきっかけにもなるんだと思う。
◇新海誠『言の葉の庭』

 こんなにも雨が愛おしいものだなんて、梅雨が明けてしまうのが切なく感じてしまうなんて、この本を読むまで、私は考えたこともなかった。雨をきっかけに縮まる2人の仲は、もどかしくも切ない。
 梅雨に2人があの場所で出会い、仲を深めることが出来たからこそ、互いに前に進む選択をとることが出来たのだろう、そう考えると、雨のしっとりと体を冷やす感触が、どことなく愛しく感じられる。
<あらすじ>
靴職人を目指す高校生秋月孝雄は、雨の日の日本庭園で謎めいた雰囲気の女性と出会う。去り際に女性は、万葉集の和歌「鳴神の少し響みてさし曇り」という和歌を孝雄に残して去ります。以来、雨の日になると日本庭園で仲を深める2人……。映画ではあまり描写されることのなかった人物にもスポットライトが当てられているため、読後はより映画の方の解釈も深まる一冊です。
 

―苦難を乗り越えた恋に胸が高鳴る、日本版シンデレラ
◇『落窪物語』

『落窪物語』と言われるとなぜか雨が思い浮かぶ。
おそらく高校時代に古典の課題テキストで読んだ、少将3日目の訪問場面が印象的だったからだろう。昔のことなので詳しくは覚えていないが、なんとか姫の元にたどり着いた少将が「かくばかりあはれにて来たりとて、ふと抱きたまはばこそあらめ」(このようなお姿になってまでいらっしゃったなんてと、抱きしめてくださるといいのに)」と言ったところが特に心に残った。こんなにも大胆かつまっすぐに自分の恋心を伝える場面を古典では初めて読んだような気がしたからだ。
今よりも交通の便が悪く、女性は男性の訪問を待つことしか出来ない時代。容易にやりとりを行う手段もなく、訪問が途絶えると男女の仲は解消する、そんな不安定な恋の存在した時代。待つことしか出来ない姫君はどうにも出来ない心細さでいっぱいだっただろう。そんなことを考えていると、豪雨の中での3日目の訪問が、かけがえなく、愛おしい時間のように思える。
<あらすじ>
 養女として引き取られて継母よりいじめを受けていた姫君が、少将との恋を通して、救い出されるお話。後半の継母に対する少将仕返しの場面は、胸が痛くなるものもありますが、物語全体のテンポがよく、発表から随分時が経ったはずの今でも読むのが楽しい作品です。姫君と少将の恋模様はもちろん、その他の登場人物にも生き生きとした個性があって、すらすらと読めてしまいます。個人的には、姫君の数少ない味方で、姫君のためにいつも一生懸命で、時には姫君のために少将を突き動かす力もある、姫君の女房あこぎが好きです。
 

―桜桃忌が来れば、6月、梅雨の気配を色濃く感じる
◇檀一雄『小説 太宰治』

 檀一雄が太宰治と過ごした日々の描かれた小説。
初めて『小説 太宰治』を読んだ際に、太宰治という一人の人物に関するエピソードを、こんなにも詳しい、一冊の本にした人物がいたことに驚きました。読んでいる際に、太宰治の生きている様子が、映画を見ているように色鮮やかに思い浮かんでくることが印象深かったです。
 檀一雄にとって太宰治は、「友人」という言葉では表わすことの出来ない、深い感情を抱いている部分も大きかったように思えます。青い時代に共に過ごした日々があったからこそ、二人の友情は深いものとなったのかもしれないなと感じています。
<あらすじ>
 檀一雄が、太宰治と過ごした日々を振り返る回想録。太宰治とのエピソードの中でも、檀一雄にとって印象深いエピソードが断片的に綴られています。太宰治についてのエピソードや太宰治の人柄について詳しく知りたい方必見の一冊です。
 

―川端康成の美しくも不思議な迷界を彷徨う短編集
◇川端康成『掌の小説』

 川端康成の描く、美しくも謎めいた世界に引きずり込まれる短編集。『掌の小説』という題名なだけあって、短編小説、もしくはそれ以上の短さの作品が多く掲載されているのに、物語の世界の濃厚さに取り込まれていく。川端康成の生み出した物語の迷宮を彷徨いつつ、色鮮やかな情景や心理描写に心を惹きつけられる。
<あらすじ> 
川端康成が20代の頃から40年あまりに渡って書き続けた掌編小説が122編収められている1冊。とても短い作品が多く掲載されていますが、おどろおどろしさを秘めた作品や自身の経験を題材としたように思われる作品、恋愛小説まで、ヴァリエーションが豊富で、濃い読書体験をすることの出来る一冊です。どの物語も内容が濃く、短さを感じさせない深みのある作品集です。

―雨が降るとつい気持ちが俯きがちになるよね。
 大丈夫、止まない雨はないから。
 それに案外雨っていいものだよ。じっと雨の気配を味わっているうちに、
 見えてくるものは、雨粒の煌めきを抱きしめているから。
 それではごゆっくり。素敵な読書の旅を。
(文責:深川文)
      

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