なぜフェミニズムが気になるか
フェミニズムに少し興味がある。"知りたい"し"知らなきゃ"と感じている。
その気持ちはなぜだろうかと少し考えてみた。
"知らなきゃ"の理由
なぜ、"知りたい"し"知らなきゃ"と思うんだろうか。
そんなことを考えている時、この本を手に取った。
恋バナ収集ユニット桃山商事としても活躍している筆者は多くの女性の相談を受ける中で、男性の幼稚さ、加害者としての姿に気づく。そして自分の中にも共通点があることに気づく。過去の経験を振り返って解釈し、これからどう生きていくかを考えていく。そんな自伝エッセイだ。
ーーー
男性として、読んでいてギクッとなり、読むのが辛くなったところもある。自分の幼さや無知さを突き付けられる。
女性であるということで被っている不利益、女性の体のこと、成長するなかで内面化されていく性役割などなど何も知らなかった。
そして、無知であることで多くの人を傷つけてしまったと思う。
無知は言い訳にはならないから、これからはそんなことを起こさないように…。
それがフェミニズムを知ろうとしている理由の一つである。
だけど、利他的で少し偽善っぽくも感じられる。
この理由はどちらかというと"知らなきゃ"という側面の理由だ。
自己中心的な自分だ。もっと利己的な理由があって、それによって学びたいと思っているに違いない。
想像力の範囲を広げるため
自分に当てはめながら上述の本を読んでいた時に自覚されたのは、ずっとマジョリティだった。ということだ。
男性であるというだけでなく、ストレートであること、貧困には苦しんでいなかったこと、障害をもってはいないこと…。
自分の属性はほとんどがマジョリティであった。自分は利益を受ける側だった。
そして、マイノリティの存在やマイノリティが被っている不利益に気づかなかった(というか気づこうとしなかった)。目を背けるか、みんな同じというふつう幻想の下で生活していた。
だけど、一度気づいたらもう元には戻れない。
そしてこれからどうすればいいかというと、まずは本質的には分かりあえないという前提に立って、分かりあおうと想像力を働かせることだろう。
フェミニズムをはじめとしたアイデンティティポリティクスを学ぶことは、当事者を理解するだけでなく、"もっと想像力の範囲を広げられるようになること"も大きな意味だと思う。
ロールモデル不在を生きないといけない
話は少し変わるが、今の仕事に違和感を感じたり、普通の人と同じように働けていないんじゃないかと感じたり、この歳で初めて自分がマイノリティなのかもしれないと感じるようになった。
ここまで書いてきたようなことに気づいたのもこのきっかけがあったからだ。
そして、マジョリティとの間に感じた違和感から抜け出すため、生き方を修正していかないといけないと感じるようになった。
それはこれまでとは違いロールモデル不在の世界を生きていくことを意味する。とても不安で心細くつらい。
”知りたい”の理由
立場が違う自分ではあるが、フェミニズムを始めとするアイデンティティポリティクスが生き方について示唆を与えてくれたり、支えになってくれるんじゃないかという気がしている。
それが"知りたい"の理由であると思う。
ロールモデル不在で生きるなら、ロールモデル不在で生きてきた人たちの生き方に学ぶしかない。
違和感を表明して権利を勝ち取ったり、世間の価値観を変えてきた。その力強さや方法論には、これからを生きる様々な立場の人に共通することが必ずあると思う。
利他的ですみません。でもこれから理解していきたいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?