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旅行と古本屋さん

今年の夏は台風に翻弄されて、予定を何度も変更し最終的に晴れているという理由で、金沢に行くことになった。
たまたま、泊ってみたかった、ドーミーイン系列のホテルが空いていて、2日前くらいに予約。新幹線もギリギリに抑えたので、家族ばらばらに2人掛けの席の通路側にならんで座ることになった。
子供が小さい時は考えられなかったけれど、大きくなったので1人でも大人しく座っていられる。子供が大きくなったからこそできる旅行になった。

初めて乗る新幹線かがやきで、9時になった瞬間に金沢21世紀美術館で人気の《スイミング・プール》という作品の地下部のWEB予約を実施。何とか予約ができてほっとした。
前日昼くらいに確認したら、空きがなくなっていて、時間とともに予約した方がいいという判断が功を奏した。
準備が終わると、眠くなり、少し目をつぶった。

金沢は十年以上前に、夫と2人で行って以来だ。
その時はまだ北陸新幹線はなく、飛行機で小松空港経由で行った。
2月だったのでとにかく寒くて、おいしいお寿司を食べて、寒い中、兼六園に行ってという内容だった。
今回は、金沢21世紀美術館以外は決まっていない、行き当たりばったりな旅となった。

到着すると、晴れていて暑かった。
バスでまずはホテルに行ってチェックインして荷物を預けてそこからバスで美術館へ向かった。
お城跡の公園脇を歩いて、何とか美術館にたどり着いた。
美術館の中には人がたくさんいたけれど、前日にオンラインチケットを買っていたので、すぐに入れた。
まずは上から《スイミング・プール》を眺める。
プールの底で写真を撮っている人たちのシルエットが見える。
上から眺めてもプールの底に人が沈んでいるようで不思議だった。
その後、常設展示を先に眺めつつ、プールの地下部の時間を待った。
様々な大き目の現代アートがあり、写真がOKな作品も多くて、楽しい。
時間が来てプールの下に入ってみた。
みんなならんで写真を撮っていてじっくりは楽しめないけれど、この作品の床で寝っ転がって空を眺めたらどんな気分だろうかと想像した。
ほかにも美の巨人たちでみた、「空を測る男」や「カラー・アクティビティ・ハウス」など、写真に収めたくなるようなかっこいい現代アートがたくさんあった。

息子と夫は金沢市出身という、池田晃将さん工芸作品が気に入って熱心に眺めていた。昔からある技法での現代の表現が確かにかっこいい。理系の2人の心を鷲掴みしたよう。朝いちばんで来たので、お昼も併設のカフェで食べて、アートを満喫した。

その後、ホテルへもどったけれど、2人は暑いし部屋でのんびりするという。私は旅先に来ると、とにかく歩き回りたいタイプなのだけれど、子供が小さい時はそれができず、部屋で、もっといろいろ行ってみたいと消化不良だった。子供が大きくなり、小さいころのようにママと、とにかく一緒にいたいと言ってくれないさみしさもあるけれど、一人でふらふら歩いてみることにした。

チェックを入れていた古本屋さん。ことりっぷに掲載されていて、一期一会の古本との出会いがあるかもと思い、行ってみることにした。

その古本屋さんは、昔ながらという感じで、外から見るととにかく乱雑に本が並んでいた。ちょっと入るのに勇気がいる感じだったけれど、エイや!とドアを開けると奥は広い部屋があり、若いお客さんも数名いた。少し安心して、入口から本を見ていく。
たくさんの本の背表紙を眺めるのがとにかく好きで、それは子供のころからずっとそうで、本を読むのが好きというより、本が並んでいるのが好きなんだと思う。
この場所は、本が過多な状況だけれど、宝探しの様でワクワクした。
人の家の片付いてない書庫を見させてもらうかんじだった。横に積んである本を崩さないように背表紙だけ見たり本の下に置いてある本をそっとかき分けて見たり、題名だけでどんな内容なんだろうと想像したりした。
旅先なので、あまり大きい本は持って帰れない。購入するなら文庫かなと思いながらレジ横まで見ていくと、前にも見たことがある薄い本が並んでいた。それは、大竹昭子さんの随想録で、前に一度美術館脇のアート系が並ぶ本屋さんで1冊購入したことがあったシリーズだった。大竹昭子さんは、「須賀敦子の旅路」という本で、感銘を受けて、それからほかの本も読むようになっていて、これはこれを買うべきと「奴ら」が言っている!

ぐうぜん目にはいった事柄について、それまでは考えてもみなかった疑問をおぼえたり、興味をそそられたり、感動を喚び覚まされたりすることがある。(省略)その瞬間には、あ、そうか、ぐらいで済むのだが、どういうものか、それからまもなく、例えば数日とか数時間、ときには数週間をおいてから、こちらの意思とはまったく関わりなく、ふたたびおなじ事柄に別の本のなかでばったり出会ったり、それが人との会話に出てきたりして、自分で自分ではほとんど忘れかけていた興味なり感動なりが、再度、呼び覚まされるのだ。(省略)まるで物事の背後に目に見えないネットワークとか電線がひそかに敷かれていて、こちらが興味のおもむく方向を本人である私の知らない間に把握し、支配しているのではないかと疑ってしまうほど、なんとも言えない奇異の感に打たれるから、「知識は連なってやってくる」言いたくなるほどだ。どこかで陰謀を練っている奴らがいるに違いない。

須賀敦子「地図のない道」より

地図のない道的状況に陥ることはよくあるのだけれど、今回は、自ら無理やり拾いにいった形でその古本ではない本を2冊購入した。そのうちの1冊が『スナップショットは日記か?森山大道の写真と日本の日記文学の伝統』大竹昭子随想集だった。
森山大道という名前はどこかで見たことがあった。
私は、フライヤーとか美術展などの紙の販促グッズを取っておくのが好きで
その中にお名前があったような・・・
金沢から帰って、そのファイルを漁ってみると「あゝ、荒野」展(2005年ロゴスギャラリー)のハガキが見つかった。寺山修司だったので、大事にしまってあったのだけれど、表には「寺山修司 森山大道」を大きく書いてある。また、つながった気がした。

まだ暑さが残る9月に私は1人で逗子に向っていた。今年行きたいと書いた美術館のひとつ「神奈川県立近代美術館 葉山」で「挑発関係=中平卓馬×森山大道」やっている知って、これはもう行けと言われているような気持ちになった。
運転していない私がドキドキするような、細い細い海沿いの道をバスは小さく縮こまった一般車両とすれ違いながら、進んでいく。キラキラ光る海が見えるたびにうれしい気持ちと夏が終わるさみしい気持ちが混ざったような複雑な気持ちで心がざわついた。

展示は、大竹昭子さんの本でもあった、胎児の写真や中平卓馬・森山大道のお二人がキレキレの時の写真など、飾られていた。昔の写真と思って眺めるけれど、90年代の新宿とか、私写りこんでてもおかしくないじゃん!19歳~27歳くらいは新宿は庭だった・・・と自分の年齢を改めて感じたりした。

中平卓馬さんの方はまったく知識がなかったのだけれど、文章が何しろかっこよかった。

写真を見た感想としては、私はどちらかというと現実を切り取った写真より、作品として意図的に作りこんだ写真の方が好きという、身も蓋もないことに気がついたわけだけれど、それでも、お二人の生きざまそのままのような写真をのぞき見できたような気がして好きということとは別に、心は動かされた。まさに人の日記をのぞき見したような気持ちだ。

この美術館のショップでまた、大竹昭子随想集『私、写真を放棄することは、全く不可能です。中平卓馬の写真家覚悟』を購入した。読むと、中平という1人の人間が、写真以上に迫ってくるような気分になった。
2024年は国立近代美術館で回顧展があるようなので、行ってみようと思った。

美術館自体も、海が見えてすてきな場所だった。
海とは縁遠い人生だった私だけれど、夏に海を眺めるというのはとても特別な時間を持てているとうれしくなった。

帰りもあのドキドキするバスに乗りながら、まだ時間があるし、逗子の古本屋にも行ってみようと思った。

逗子の古本屋さんは普通のおうちの玄関から入るような形で、こちらはたくさんの本がきれいに並べてあって、昭和の小説家の書庫をのぞき見するようで見ごたえがあった。買おうかなと思う本も何冊もあり、また来たいと思う古本屋さんだった。その中で、購入した本は『KWADE夢ムック 武田百合子 天衣無縫の文章家』神保町本屋巡り以来、KWADE夢ムックばかり買っているような感じですが、出会い!と思って購入した。

武田百合子さんの本は、富士日記の(上)から入って、犬が星みたを読んで劇的な富士日記(中)を読み富士日記(下)の途中くらいで、ちょっとずつ暗い予感を感じるようになり、読み終わったら終わってしまう!みたいな気になって、読み進めることをやめていた状態だった。このムックを読むと、読んだことのないその後の百合子さんがいて、ちょっと安心して、今年無事に富士日記(下)を読み終えることができた。

ひとりで知らない町に行ったときに、古本屋さんに寄るのが定番になりそう。読み途中の本がたくさんあって、これ以上増やすのか・・・と葛藤もあるのだけれど、旅の途中で寄ると、もう二度と出合えないかもしれないと思って、踏ん切りがつく。

自己満足だけど、来年も本との出会い、本がたくさんある場所への出会いを楽しみたい。





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