論破ブームが続いた方がマシなのかと、ほんの少しだけ思う自分がいる
前々から恐れてたことが少しづつ起こり始めてるんじゃないか
そんなことを思ったので、ここにしたためておき、皆さんと問題共有が出来たらなと思います
なお今から話す点は以前に少しだけ触れておりますので良ければそちらもどうぞ
https://note.com/sibaken1999/n/n2a6656cdca88
事の発端は、Threads(インスタのXバージョンのようなもの)を見てて、偶然発見した議論についてです
そこでの議論の内容は割愛しますが、とりあえずAさんの主張に対してBさんが異論を挟み、俗に言う論破したというものです
最後にAさんは、鬱憤を晴らすかのように、「ほんとマウント取ってくるやつとか、論破厨とかウザイ、頭おかしい」という呟きをされていました
確かに、マウント厨&論破厨は、非常に厄介な存在ですし、私も大嫌いです
しかし今回の件に関して、何が問題だったかというと、私の目には少なくともBさんは、論破をしているものも、論破厨やマウント厨には全く見えなかったという点です
なんなら内容に対しては、私もBさんの主張が的を得ているように見えました
(言葉遣いも至って冷静でしたし)
にも関わらず、AさんはBさんを論破厨と見なし、鬱憤を晴らす呟きをし、周りがそれに同調する
いま-少なくとも少し前まで-は、やはり論破応酬の嫌な時代です
しかし、もしこれに反動が来るかのような事態、つまり、「論破するやつは良くない、時代遅れのひろゆき信者だ」と言われるような事態になった場合
私は時代の深刻さが一段進むと思います
ここで一旦「批判」という言葉の意味を説明させて下さい
簡潔に言って、「批判」は、「非難」や「論破」とは異なります
「批判」の語源を辿ると「区別する」「裁判する」という意味があります
つまり、「批判」というのは、別角度から考えて見ましょう、異なった意見もありますよ、この点を吟味してみませんか、といった意味合いの言葉です
その結果として、論破という行為には繋がりますが(相手の主張を吟味するわけですから)、これは思索を深める行為、純粋な相手の誤解の指摘であって、私利私欲的な論破とは大きく異なります
話を戻して、論破時代の反動として、もし「批判」(≒反論)することを良くない、それは論破厨のすることだと言われるようになれば、本当に思考停止の時代になると思います
これは言うなれば、自分と異なる意見がくると、「論破厨」と一括りにし、「聞く耳を持たない」ということです
論破厨は、好戦的で、目的(論破そのものと)は不純ものですが、ほんの少しぐらいは聞く耳は持っていました
(じゃなきゃ論破できないでしょうからね)
聞く耳をもたない
こうなって来ると、本当に大変なことになってしまいかねません
おかしいと思うことに対して発言すると「黙れ、論破厨が!」の一言で終わらせられてしまうわけですから
こうならない為には、論破目的でも非難でも、まして同調するのでもなく、健全な「批判」による会話・批評空間が重要になってくると思います
「論破」は、やり過ぎかつ、これを目的に据えるから良くないわけです
「論破」そのもの自体は、(時に)むしろ必要なものですし、それが理解の解像度を上げるのに役立つものです
その点をお伝えし、本稿を閉じます
ありがとうございました
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