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16時15分、電気を点けて

件のハチのツイートを拝見し、キナリ杯の存在を知る。

ジブリもびっくりな生物との戦いを私もいつか書きたいが、今回は私の祖母にまつわる答え探しに、少しだけ付き合っていただきたい。


記念すべきnote処女作。

少しの緊張感を胸に、左手にはチョコモナカジャンボ(めちゃ上手い)を持ち、どのように綴るべきか考えている。

今回締め切り直前にnoteを登録し綴っている理由の一つとして、岸田さんが神戸出身の方とお見受けしたことが大きい。

あわよくば探している答えにご助力いただけるのではないかという邪な考え。もしくはこのnoteを目にしたどなたかがご存知かもしれないと考え、初めての投稿を試みる。


祖母について
 


まず簡単に、祖母の紹介をしたい。祖母は御年82、神戸出身。白髪がとても綺麗だ。著作権がおりなかったので似顔絵をば・・・・・

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いや似てません???(知らんがな)

 


一番古い祖母の記憶は、私が破いてしまった障子を張り直す姿。ダメだといわれるとやってしまう子供の行動は我ながら久遠の真理。

祖母は『HUNTER×HUNTER』ヒソカの伸縮自在の愛(バンジーガム)のごとく綺麗に張り終えると、怒らずに私を見ていたずらっ子のように微笑んだ。

祖母は物知りで沢山の知識を授けてくれた。同時にいつもお茶目で、いたずらっこのような表情を持ち合わせている。


そんな祖母を愛しく思う。


自惚れでもなんでもなく、祖母にとっての私はまさに「目に入れても痛くない」孫であり、祖母の家では何もせずとも大切にされ、穀潰しの道も悪くないな・・・と度々思う。


私も典型的なおばあちゃんっことして育った。



本題:16時15分、「電気を点けて」


はてさて

noteを書く契機になった祖母の言動にたどり着く。


祖母は夕方が嫌いだ。


夕方とは、誰しもが想像するあの夕方。
昔から夕方になる前、まだ明るい16時頃に部屋の電気を点けるよう促す。


某日もまだ明るい16時15分頃、電気を点けるように促された。

21年間この生活スタイルを傍観し、不思議に思わなかったことが一番の不思議ではあるがそれはさておき、

その日はなぜだろうか

「おばあちゃんはなんでいつも明るい時間から電気点けたがるの?」


祖母は答えた。                  「おばあちゃんはね、暗いのがさびしいの。防空壕での日々を思い出しちゃうから。」


何年経っても薄暗い生活を思い出すことがあると。


一瞬喉がヒュっと息詰まり、尋ねたことを後悔しかけた。祖母が幼少期に戦争の惨禍を経験していたことは知っていたが、“聞いてはいけない”暗黙のルールを勝手に作り出していた。



しかし、祖母は話してくれた。


空襲の中、小さな弟の手を握って走ったこと。間一髪で死を免れたこと。床下の防空壕で生活したこと。いつもお腹がすいていたこと。疎開先で美しい川と森があったこと。

そして、今でも神戸が大好きだということ。


祖母は言った。
「神戸を舞台にした戦争の小説があるんだけど、題名が全く思い出せないの。なんだっけあれ。あれよ。あれ、読んでみてほしいわ。」


あ~アレねあれあれ。


アレだよね~(分からん!!!!!!)




私は今まで
祖母が勧めてきたものに目を通してきた。

シェイクスピアの四大悲劇、祖母が憧れた原節子が出演した『晩春』『麦秋』、宮沢賢治の『よだかの星』。その作品にまつわる思い出や、感想を語り合うことが楽しく、私の人生を豊かにした。



「アレ」も!!ぜひ読んでみたいんじゃ!!!!!!


普段なら私は、「アレ」の謎を解明すべくアマゾンへ向か————————
わずに、図書館へ駆け込むところだが、生憎このご時世の為閉館を余儀なくされている。


・・・・・この作品ではないだろうか。

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『少年H』(1997)妹尾河童

まさに不朽の名作。昭和14年の神戸の下町が舞台となっている。


「うーーん、違うと思うんだけどなあ。」
どうやら違うらしい。


私は考える。
この小説のタイトルが分からなくても、今までと何も変わらずに生活するだろう。


そしてふと思うことがある。


あと何回祖母に会うことができるだろうかと。単刀直入に言ってしまうと、祖母が亡くなるまで(無論、私が先の可能性もゼロではない)あと何回会えるのだろうかとゆくりなく思うのだ。

大切な人を亡くした経験がある人は、一度は考えたことがあるのではないだろうか。


私は来年から社会人となる。以前より祖母の家で穀潰しとしての真価を発揮できる回数も少なくなるだろう。


恋する乙女が、想い人の好きなものを知りたいことと同様に、愛しい祖母が嗜んだその本を手に取り、語り合いたいのだ。大仰に聞こえるかもしれない。ところがどっこい大マジである。


ひょっとすると———“そんな小説は存在しない”という可能性も十二分にあり得る。
舞台が神戸ではなかったとか、実は『少年H』だったのかもしれないだとか、そこには沢山の勘違いが潜んでいるのかもしれない。自分で書いておいて、なんと曖昧な話。


それでも私は、いつか答え合わせができたらいいと思う。



今月、祖母は83歳になる。







#キナリ杯

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