写真整理を通じて過去・未来・そして今をあじわう
なぜ写真整理と向き合おうと思ったのか・・・
そのお話をしようと思います。
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昨年、友人のご主人がなくなった。
突然の出来事だった。
連絡をもらった時、プチパニックになった。
私は途方に暮れたのだ
突然やってくる喪失に
そして突きつけられる。
明日自分の命があるとは限らない
明日大切な人の命があるとは限らない
当たり前のようだけど
自分のなかならするりと抜け落ちる
今日も明日もずっと未来も
生きている前提で私たちは今日を生きている。
その友人から後日フォトブックを作ってほしいと依頼があった。
小さな娘さんが
自分の写真がなくて、自分はどこにも連れて行ってもらってない!
そういい出したそう。
そんなわけはなく、
その子がどれだけ心を込めて愛されていることか
そして実際にはいろんなところに連れて行ってもらっていて
たくさんの思い出がある。
それでも、兄の写真だけがあって自分の写真がないことで
自分だけ連れて行ってもらえていない
そう思ってしまったようだ
忙しくて整理ができず、スマホにしまわれた写真たち
ご依頼を受けたので写真の整理を始めた。
はじめは
ご主人はもうこの世いない
という事実に写真を見ながら涙が止まらなかった
でも整理しているうちに
その事実よりも
写真の中の活き活きとした思い出たちが浮かび上がってきた
家族の笑顔はもちろんだけど
真っ暗闇で寝顔が確認できないくらいのシーンや
ブレて顔なんて確認できない写真
集合写真はみんな見切れてたり
撮った瞬間皆があらぬ方向に向いている・・・
一見失敗写真というとらえ方のできる写真たちにすら
躍動感を感じる
家族のスピード感や温度
ファインダーを通じて見守っている母の視線の温かさや
残したいと思ったシアワセの瞬間の必死さみたいなもの
スマホの中には
一つの家族の軌跡が詰め込められていた
1冊作り終えた時にとても心が温まった
一つの物語をみているようなそんな気持ちになった
そして同時に
「わたし、こんなことしている場合じゃないのでは・・・?」
という想いにかられた
自慢じゃないけど、全然整理されていない写真たちがわんさかいる
自分のSDカードに取り残された思い出たちが
本当は形にされたがって待っているように思った
自分の家族が歩んだ軌跡を
家族全員で見れる形で残したい
そう強く思った
写真が記憶の断片を運んできてくれる
過去に体験したことを
安心できる空間で
味わい直すことができる
その時必死で感じる間もなく過ぎてしまったワンシーンを
客観的な視点で見直すことができる
その時、その時の感覚を想い出して
嫌な気持ちになるかもしれない
でも、多くは
その時のその体験すべてが
なんだか懐かしくいとおしめるものになっている
私は確認したいと思った
未来ばかり見つめる自分に
何かを追い求める自分に
立ち止まって
過去の軌跡を味わって
自分がこんなにも幸せだったことを
その感覚を
いま・ここ
で味わいたい
写真ってそういうことができるツールだよなぁって
とはいえ
思い出は増えれば増えるほど
整理が大変で
あればいいというものではない
おそらく、その人その人の適量がある。
そして、過去の出来事なので
優先順位が低く
なかなか手がつけれらない
データとして残っている安心感から見返されることもなく
埋もれていく
だから、あえて時間をゆったりとって
楽しみながら整理できたらいいなって
そう思って
自分のためのような
もしかしたら
それが誰かのためにもなって
一緒に楽しめたらいいなと思って
写真整理をする会を開催しよう。
そう思ったのでした。