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親から結婚反対され結婚予定から1年が経とうとする今

カップルとして旅をはじめて約3年半。
スモールライフという生き方をテーマに
暮らし方、考え方、物をシンプルにして幸せに生きていく方法を模索しながら、固定されない生き方をしているカップルYouTuberの彼女のもか(@sekatanjp)です。

この「親から結婚反対され〜」というタイトルを見て「私も一緒」と同じ状況に悩み苦しんでいる人もいるのではないか?と思ったので親からの結婚反対を受けて約1年経った今、私が結婚反対する親に対してどう考えこの壁をどう乗り越えていこうと思っているのか、そこに至るまでの経緯と今想っている事を未来の自分の為にもココに書き残そうと思う。

以前にラジオでもお話をしたのですが。今回のnoteはさらに深掘りをしている内容です。

結婚を反対されるまでの経緯

まずは親への結婚の挨拶までの経緯はこんな感じ。

約3年間私たちカップルは世界を約2年間と日本全国をバイクで約1年間の計3年を、休む事なくずっと旅をしていた。そんなふたりの出会いは、私が世界一周を目指して旅に出た1ヶ月後の時だった。偶然にもタイのバンコクで2度目の再会をして、これを機に2人の仲が少しずつ縮まり再会から1ヶ月が経つ頃に次の国カンボジアでお付き合いとふたり旅が同時にスタートした。

あれから3年が経つ頃(2019.12中旬)私たちはマレーシアに居ました。旅先のマレーシアではエアビー(Airbnb)で家を借りながら長期滞在をしながら暮らすような旅をしていた。時間にもゆとりがあって、日本から離れた国マレーシアで私たち2人は今後の人生について、自分自身の在り方について話していた。

そんなある日、ふと昔に友達からプレゼントされたあるノートの事を思い出した。そのノートがこちら。

このノートは、死を題材にした32の質問に自分の答えを書き込んでいくワーク形式のモノ。このワークを通じて自分が本当に大切にしたいモノはナニカを明確にしていくのです。

ふと思い出して久しぶりにやってみたくなったのでパートナーの太ちゃんと一緒にやってみたら、それを機に「お互いそれぞれの家族関係」を見直そうという結論に至った。

2019年12月中旬ということで新年が始まる前に、私たちはこれまでを振り返ってみることにした。海外は15ヶ国、日本は47都道府県を旅して、たくさんの出会い、経験、体験、新しい価値観、トラブルや小さな成功体験を繰り返してきた。

それはもう、この経験はお金には変え難いすごく価値のある時間だったなと今でも思う。そこに後悔という文字は1ミリも浮かばない。

だけど、私はそもそもずっと、自分探しそして、旅を通して自分の居場所を探し続けてここまできた。

−私の居場所はどこにあるんだろう。

誰もが人生を終えるのは今この瞬間かもしれない。もしも私が今この瞬間に人生を終えるとしたら、私は心から大満足して死ねるだろうか。

そんな問いに答えるワークがこの本にあった。

私には昔から大好きな婆ちゃんがいる。海外を旅したり日本を旅したり固定した暮らし方をしていない私はいつも婆ちゃんの側にいる訳ではない。直ぐに婆ちゃんの元まで飛んでいける距離に居た訳でもなかった。婆ちゃんに会うのは年に数回あるか、ないか程度だ。

今のペースで会っていくならば、平均寿命で計算して一生の内で私と婆ちゃんが一緒に桜を見られる回数を数えたら、たったの2回だけという現実をみて怖くなった。ただただ涙が止まらなかった。このままじゃ駄目だ。


これをキッカケに私たちは一旦日本に帰国することにした。

それからはパートナーの太ちゃんと、お互いの家族のことについて話し合う機会も多くなっていった。二人だけではなくお互いの家族と過ごす時間について改めて話し合った。

私たちがこの時決めた2020年の1年間の抱負は
全ての「ヒト・モノ・コト」を整える1年にするというモノだった。

この頃パートナーと私の二人の信頼関係は想像以上に深くなっていて、これからは家族として更に絆を深めていきたいなぁと、そんな想いがお互い、なんとなく心の中にあった。

お互いの結婚決意まで

ふたりの関係性と仲はずいぶん深まり二人がみている未来は同じ方向だった。

これから築いていきたい人生、歩んでいきたい道、もちろんそれぞれに微妙にズレがある事は
あって当たり前だと思う。

これまでも何度も衝突をしたし、思い通りにならずにお互いがお互いを傷付けてしまったコトも山ほどあった。

それでもその度に本当は自分はどうして欲しかったのか、どうしたかったのか?嘘偽りない本当の想いを包み隠さずに伝え続けたし、パートナーの太ちゃんも不器用ながらも伝え続けてくれた。伝わらなくて涙を流しながら気持ちを伝えてくれたことも、伝えたコトも何度もあった。

とことん話し合って最後はいつも納得のいく仲直りができた。喧嘩中エネルギーを120%で出し切っていたので、赤ちゃんが泣いて寝るように私はいつも大喧嘩の後は眠っていた。笑

喧嘩も含め旅と2人で向き合ってきた時間の中で私は「太ちゃんと2人一緒ならどんな困難があっても大丈夫この人と居れば未来は絶対明るいな」と確信的に思えるようになった。

−そして日本へ帰国

2019.12.22
私たちは日本に帰国し発信活動を目的に江ノ島のシェアハウスへアンバサダーという形で1ヶ月間限定で暮らすことになった。

ここ江ノ島でパートナー太ちゃんから人生はじめてのプロポーズを受けました。 

〈プロポーズの言葉は前回の記事で書いたのでよければ、読んで頂けたら嬉しいです。〉


ちょっと複雑な家庭環境

私の家族構成は父、母、兄、私の4人兄妹。幼少期の家族関係はあまり記憶に無いけど父とキャッチボールをして遊んでもらった事や、一人部屋が寂しかったコトもあって、
夜な夜な父の部屋に行ってビールを飲みながらストーブでスルメを炙りマヨネーズとしょうゆと一味唐辛子を混ぜたモノを付けて食べる父の隣に座り、幼いながらにスルメをムシャムシャと食べていた事を覚えていたりもする。

母は厳しい人で私はいつも怒られてばかりだったけど母のつくる料理はいつも本当に美味しくて、家に友人が集まれば料理のレパートリーは更に増えて8人掛けのテーブルいっぱいに豪華な料理がずらりと並んで父や母と友人で料理をつつきながらお酒を飲んで賑やかな夜もよくあった。

3つ上の兄とは幼い頃些細なことでよく喧嘩をしてひどい時には殴り合いになって最後は力で兄に泣かされたりした事もよくあったけど、兄はいつも私を放ったらかしにせず、なんだかんだ気にかけていてくれている頼れる兄。

世の中のことはもちろん家族の関係性さえも、よく理解できていない頃、突然私にとってすごく大きな決断を迫られた。

それが当時小学3年生の時に言われた
母と父の離婚の話だった。

「お父さんとお母さんは、これから別々に暮らす事になったんや。もか達はお母さんとお父さん、どっちについていきたい?」

決めたくなかった。お父さんとお母さんとお兄ちゃんと私の4人みんな揃って家族だと思っていたし、みんなが大好きやったから。
大人の事情なんて分かりゃしなかったはずだけど、私は自分の気持ちを抑えて母を選んだ。

それから大好きな父とは別々で暮らすようになり、離婚後以降の私の記憶は母と母の再婚相手によって塗り替えられていった。

再婚後の母との生活は地獄のような日々で
思い出すと今でも感情が溢れ出てくる。

(このように自分の気持ちを文字に書くことで感情を自分の外側に出して、いつか自分の中で消化できる日がくるのではないだろうかと期待しながらも自分の正直な気持ちを赤裸々に書いている) 

世界一周の挨拶と父の再婚

離婚後は父と会う機会もずいぶん減って、父の誕生日や父の日くらいにしか連絡することもなく、逆に父から連絡がくることも、誕生日くらいのものだった。なんでもないことで気持ちを伝えたり、なんでもない話をできる親子関係というものは、わたしにとって、あまりにも遠い存在のものだった。でも心の奥底では、なんでもないことこそ共有し合いたかった。家族がバラバラになるとそれが、私にとってはどうしても難しかった。
私も寂しかったように父は一人で、もっともっと寂しかったんだろうなと今は思う。

それから何年もの月日が流れ25歳になる頃、私は死に物狂いで貯めた貯金200万円を持って世界一周の旅に出る決意をした。母へ報告したら否定されるだろうと分かっていたので、まずは父へ世界一周の旅に出ることを話そうと思い、出発数日前に父を誘ってご飯屋さんへ行った。
実はその連絡を取り合う前に父から私へ連絡があった。それは父の再婚の件で一度その人に会ってもらえないかと言う話だった。

私は父と会うといつもこう言っていた。「お父さん良い人おらんの〜?お父さんが幸せなら私も幸せやで幸せになってな」
年頃になるとませて大人びたことを言う娘だったなぁと思うけど父に幸せであって欲しいという気持ちに嘘はなかった。

しかし、いざ結婚したい人がいると言われた時は何故だか涙が止まらなくて友人の家でわんわん泣いていた。大切な家族をまた失ってしまう...というような切ない気持ちだった。

それから私は自分の中で気持ちの整理をしていた。父の再婚はなぜか切ないけど、でも父が決めた一生一緒に生きていきたいと思う人なら、それが父の幸せなら、私は祝福してあげたいとも思った。100%そう思えたかというと嘘になるけど、少なくともどっちもの気持ちが入り混ざっていてすごく複雑な気持ちだった。

そしてご飯屋さんで待ち合わせて久しぶりに会う父と隣には結婚を決めている女性が座って待っていた。
私は涙をグッと堪えて結婚おめでとうございます。父をよろしくお願いします。と伝えた。

そして世界一周の話へと話が切り替わり、私は
私なりの世界一周に行きたい理由を父へ話した。私の考えることを聞いて父は「もかの言ってる事は本間にやっぱりよく分からんわ。なんかあったらどうするの?」と世界一周に行くことを考え直せと言ってきた。

考え直すも何も1年間世界一周のためだけに死に物狂いでバイトを3つ掛け持ちしたり夜勤したりで決意しての事なので、今更考え直すことなど何もなく、とりあえず時間を置いてから、「私の気持ちは変わらないし行かないと分からないし、やってみないと分からないから、行くことにする。またこまめに連絡はするから!!」そう言って私はほぼ無理やり父の反対を無視して世界一周の旅に出た。

世界一周に出て得たもの

今では世界一周を果たすことは目的ではなくなったけど、私は旅に出てタイでパートナー太ちゃんとの運命の出会いをして、2人で11カ国を旅してきた。その後はタンデムバイクで野宿をしながら日本一周をしたり、その後も2回目の海外旅で台湾や中国、香港やラオス、マレーシアとまだ行ってなかった国や、また行きたい国を再度巡る旅もした。

そしてここでようやく気づいた。自分にとっての本当に大切なモノは世界ではなく、すぐそばにあるのだと。

大切な家族との時間をこれまで全然作ってこれてなかったなぁと。このままじゃ駄目だと。もっとすぐそばを大切にしなきゃと。やっと気付いて大切な人との関係性を整える1年にしようと2020年はそんな想いを軸に11ヶ月過ごしてきた。自由にどこへでも飛んでいけるように、すぐに家族に会いにいけるように、大切な人のところへ飛んでいけるように、拠点を軽自動車1台のバンにすることにした。

結婚の挨拶

2019年の年末に江ノ島で太ちゃんからプロポーズを受けて2020年の新年に私の両親にふたりで挨拶をしに行った。
前文でも書いてる通り父と母は別々なので、まずは母へそして父のところへ挨拶しに行った。

母「ふたりの生き方は100%理解できるかって言ったら出来やんし、それはお父さんもそうやと思う。けど、幸せって親であったり他人が測るものじゃなくて、本人が測るものやから、子供できたから結婚とかじゃなく二人が結婚したいって思うんなら、それで良いんじゃないかなって思う。」

父「太ちゃんとは今日会うのが初めてやし、なんも分からんから、今結婚させて下さいって言われて、はい、お願いしますとは言えへんよな。そもそも、もかは家族の事を放ったらかしにして世界中ふらふらしてきてたんやろ?信頼関係から作り直さなあかんのとちゃう?子供が出来た訳でもないのにそんなに急いで結婚したいのは何で?」

母は結婚を大賛成ではないけど賛成してくれた。しかし父からは結婚を反対されている。
信頼関係とは何か?何度も何度も自分に問いかけたし、何度も何度も二人で話し合った。
結婚ってなんだろう?そんな疑問が浮かんだし、その事で何度も太ちゃんとぶつかった。

−結婚の挨拶から10ヶ月が経った今。

見返りを求めてしまう自分に嫌気がさしたり、
でも見返りを求めてしまう自分もいるのも事実としてあって、過去の苦しかったけど抑え込んできた事や我慢してきたことが、一気に自分の外側に涙や鼻水や声にならない叫びとして、どんどん出されていった。情けない姿のぐちゃぐちゃな私を太ちゃんは強く抱きしめてくれた。
何も言わずにただ背中をさすってくれた。
そして私の目をまっすぐ見て「愛してるよ」と伝えてくれた。

幸せを祝福してもらえない現実に苦しくて苦しくて親が憎くて憎くて仕方がなかった。
でも最近少し理解できた気がする。
理解できたというよりは、自分が納得できる捉え方を見つけられた気がする。

それは
「言葉が全て真実ではないという事」

父の言う信頼関係の意味とは?

私は父が何度も言ってきた"信頼関係がないからまずは信頼関係を築きなさい"という言葉の意味がいまいちスーッと入ってこなくて。

Googleで信頼という意味を検索かけてみると「信じて頼るということ」信頼関係というと、「お互いに信じて頼り合っている相互関係」という風に書かれていた。

 「信頼関係」そのものは、目にみえることでもなく、触れることもできないモノで、感覚的に感じるモノだから定量的に測ることも、“100点満点でいうと何点”というように点数にすることもできないから、かなり抽象的だよなぁという風に今は捉えてて、じゃあ本質的に父が私の結婚を賛成できない理由は何なのか?私なりに過去の記憶を紙に書き出しながら振り返って考えてみた。

「信頼関係」と言われるとズンっとくるような重たくて複雑で考え込んでしまうようなワードだけど、本当は父は私の生き方そのものが、父の中にある普通とか当たり前の枠から大きく外れすぎて、その生き方を理解し難いし、理解したいとも到底思えないのではないかと思った。

私は今までいろいろな選択肢がある中で自分自身の意思でたくさん決断をしてきたけど、その決断したことに1つとして後悔をした事はないし、全ての選択があって今の幸せに繋がっているから、過去に葛藤しながらもとにかく一歩また一歩と足を前に踏み出していた過去の自分には拍手を送れるくらい今は自分の生き方に納得ができている。だからそれでいいのだ。

それが理解できただけで私は悲しみとか苦しみから少し解放されて、あとは自分達が自分達自身のタイミングで納得のいく形で結婚をしようと思えるようになれて、今は前向きに自分達の今後つくっていきたい未来やライフスタイルに少しでも近づけるように日々出来ることを全力でやっている。

結婚することが目的でもないし、ゴールでもないということは頭ではわかっていたものの、捻くれてそう思おうとしてしまっていた自分もいたので、ずっとモヤモヤが取れずに苦しんでいたけど、今は前向きに二人で日々を幸せに生きられている。

これだけ結婚までの道のりが長いと、夫婦になれた瞬間はきっと、すんなり結婚できた人の何十倍も喜び合えるのではないだろうか。そんなことを想像すると思わず頬がゆるんでしまう。

私なりの考え

人生において起こる出来事は全て必要なタイミングで必要だから起こっている。

「大丈夫。全てうまくいく。」

自分の明るい未来を信じて今を大切に生きていれさえすれば、必ず人は幸せで在ることが出来ると私は思う。幸せは未来ではなく、今ここ自分の内側にすでにあるモノ。それに気づけることが幸せそのものなのではないだろうか。

長い文章になりましたが最後まで読んで下さった方がもし居たら本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

私自身も、まだまだ模索しながら歩いている最中です。もし、同じ悩みを抱えている人で、誰にも言えずに悩んでいたり、苦しんでいる方がこの記事に出会い、少しでも心が軽くなったり、何かを感じ取ってもらえたら、私も嬉しいです。

必要な人のこの記事、この想いが届くことを願って。 

せかたん もか


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