見出し画像

【当たり前】から解放される『歴史思考』

はじめに

最近、多様性についての話題をよく耳にします。

多様性が高まることで、さまざまな新しい発想やイノベーションがうまれて社会の変革につながるといいます。

しかし、私は多様性という言葉を聞いてときどき違和感を感じるときがあります。

というと誤解されそうですが、私は多様性は心の底から大賛成です。

私の感じる違和感とは、おもにビジネスの世界で使われる多様性が『社会にとってプラスになるから、役に立つ範囲にかぎって多様性を認めてやるよ』という少し傲慢さを感じてしまうところです。
(私はひねくれモノなので、すみません…)

多様性って生きている人たちすべて、つまり社会にとってはあまり価値のないとされてしまう人たちも含まれるべきと思うのです。

なぜかというと、『社会に役に立つ』というモノサシは、あくまでも短期的な視点に過ぎないからです。

人間の長い歴史を振り返ってみると、その時代で良いとされていたものが数百年後に悪い影響をおよぼしたり、逆に悪いと思われていたものが良い影響を与えたりします。
そして、無価値だと思われていたものが、数千年後の現代においても世界に大きな影響を与えていたりするのです。

ということで、歴史にまつわる本を紹介したいと思います。

歴史思考を読んで

『コテンラジオ』という歴史を取り扱った有名なpodcast番組でパーソナリティを務められている深井龍之介さんの『歴史思考』という本を読んだので紹介します。

歴史というと小難しくて堅苦しくて埃っぽいような印象がありますが、軽妙な語り口にときどき毒をおりまぜた文章でとても読みやすいです。

イエスの弟子たちも「十二使徒」と言うとなんだか格好いいですが、これは要するに弟子が12人しかいなかったということです。零細団体もいいとこです。

でも、(アマゾン・ドット・コムの創業者の)ジェフ・ベゾスとその辺の引きこもりの青年も、歴史的なスパンで見れば大差ないことが分かるでしょう。どちらも、イエスから見れば小物ですから

いきなりamazon創業者をイエスに比べて小物扱いしはじめたり(もちろん数百年単位の長いモノサシでみると、いう話です)思わずフッとなります。


歴史思考とは?

さて、歴史思考とはなんぞや?ということなんですが本のそでの部分にこう書いてありました。

「歴史思考」とは
【意味】
歴史を通して、自分を取り巻く状況を一歩引いて、客観的にみること。
【効用】
あなたを苦しめている「当たり前」が当たり前ではないことに気づき、目の前の悩みから解放される。

歴史を学ぶことで、現代社会を相対化することができて客観視できるということだと思います。

海外旅行に初めて行った人が知ったような顔で「やっぱり日本が一番だよね」と語るように、自分が当たり前だと思っている世界を深く理解するためには、その外にある世界を知る必要があるのでしょう。

そうやって現代社会を相対化してみると、今まで自分が当たり前だと思っていた世界が、決して当たり前でないことに気づきます。

それに気づくと何がおこるのか。

僕たちが生きる社会には無数の「当たり前」があり、そこから外れる人が悩んでいるのです。

つまり、悩みの原因は僕たちの社会にある常識や価値観なんです。

僕らの「当たり前」が当たり前でないと分かると、皆さんを苦しめる悩みの前提が崩れます。

歴史を知り、「歴史思考」を身につけることは悩みから解放されることにもつながるということです。

私も、ありもしない「普通」という価値観にとらわれ、自分がダメな人間なんだと悩み苦しんだ一人なので、「当たり前」に苦しむ気持ちがとてもよく分かります。

「当たり前」という価値観から解放されれば、もっと自分のことを認めてやりたいことに素直に向き合えるようになるのかもしれませんね。


歴史上の偉人も、苦しみ悩む一人の人間だった

本の中では、たくさんの歴史上の人物が紹介されています。

✅チンギス・カン
✅イエス・キリスト、孔子
✅マハトマ・ガンディー
✅カーネル・サンダース
✅アン・サリヴァン
✅武則天

なんというか、不思議なラインナップです。
もちろんみんな有名な人たちですが、歴史上の偉人を思い浮かべたときに、まず最初に出てくる名前ではない気がします。(特にカーネル・サンダース。フライドチキンを作っただけのオジサンでは…)

しかし、彼らには共通点があります。
それは、私たちが思い浮かべる典型的な歴史上の偉人像とはまったく違っていることです(チンギス・カンは除きます)

歴史上の偉人というと、子供のころから才能を発揮したり、戦いで大活躍したり、偉大な発明をした人などをつい想像してしまいます。

しかし、本の中で紹介されている人物の中にはそういった人たちはいません。

生きているときにはまったく評価されなかったり、犯罪者として処刑されてしまったり、若いころはダメ人間だったり、老人になるまで挫折続きだったり、聖人扱いされているけど家族からは疎まれていたり、残虐な人間として恐れられたりしています。

しかし本を読むと、彼らがたとえ周りからバカにされようとも自分の信念にしたがって必死に生きた一人の人間であること、そして彼らの存在が彼ら自身にも想像できない形で歴史に大きな影響を与えていることが分かります。

彼らは私たちと同じように傷つき、悩みながらも生きていたのであり、中には誰にも評価されないで死んでいった人もいるのです。
生きる意味について、そして成功とはなにか、失敗とはなにかを改めて考えされられます。


現代に生きる私たちが歴史を学ぶ意味とは

歴史を学ぶと悩みから解放される、と上の方で描きましたが本の最後に現代にいきる私たちだからこそ、歴史を学ぶ大きな意味はもう2点あると記されています。

一つは、人々が過去のあらゆる時代よりも自由だということです。

選ぶ自由があることはいいことに思えますが、別の表現をすると、「生き方を自分で決めなければいけない」ということでもあります。だからこそ、現代人は過去を生きた人間より大変であるのです。

自分で生き方を決めなければいけない私たち現代人は、なにを信じたらいいのかわからず不安なることも多いです。

歴史を学ぶと、歴史の中に答えそのものはもちろんありませんが、大きなヒントになるものがいくつも存在していることに気づきます。

そして、それは私たちが生きていくうえで大きな助けになるのです。


そしてもう1つの歴史を学ぶ意味です。

現代人にとって、教養が大切な理由はもう一つあります。
現代は価値観が多様で、しかもコロコロとすばやく変化します。

価値観や物の考え方、さまざまな前提が次々に変わっていくのが現代です。
そう考えると、現代をいきる僕たちは特定の価値観に依存しないほうが楽なのではないでしょうか。

大切なのは、その価値観が唯一絶対だと思い込まず、ほかの価値観も認めておくこと。

価値観の変化の早さを感じている人も多いのではないでしょうか。

例えば、『エコ』という言葉は私が子供のころからありました。しかし、定着するには10年以上の時間がかかったように感じます。

ところが、数年前から頻繁に耳にするようになったLGBTや、SDG'sなどの新しい言葉は感覚的にはあっという間に定着してしまいました。

一方、概念が廃れるのもとても早いです。
私が大学生時代にしきりに騒がれていた「ユビキタスネットワーク」という言葉も、死語になりもう5年以上耳にしていません。


価値観の変化の早さは情報伝達技術の発達と関係しています。

私が子供のころはテレビや新聞などマスコミよる一 対 多の情報伝達手段が主でした。
それが、SNSの発達などにより一人一人が情報発信ができることで、情報伝達の速度が爆発的に増加し、それが価値観の変化の早さにつながっているのです。

このように変化の早い現代社会では、一つの価値観だけにしがみつくとあっという間に時代遅れになり取り残されてしまうかもしれません。

そんな現代において、歴史を学ぶことは色々な価値観に目を向けて自分の中で複数の価値観を持つことにつながるのかもしれません。

まさに温故知新、故きを温ねて新しきを知る、ですね。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?