【架鉄メモ】 安房急行 〜車両編②〜
こんにちは。安房急行3つ目の記事です。前回は気動車のアワ20系について紹介しましたが、今回は電車のお話です
1972年、安房急行は南房州本線(地図の水色の路線)を電化させました。この少し前に国鉄房総西線も電化され、路線名を内房線へと改称しています。電化したのにも関わらず気動車を運用させるのはもちろん非効率なので、安房急行も電車を導入することにしました!
……と、ここまでは頭の中でぼんやり考えていたのですが、どんな車両を導入させるかは全く決めていません。さてどうしましょう
まず思い浮かぶのは国鉄車両を払い下げてもらうという案。今日では地方私鉄への車両譲渡はよく見られますが、当時は旧性能電車がまだまだ活躍していた時代。70系の廃車が本格的に始まったのも1976年で、南房州本線電化には間に合いません
そもそも間に合う間に合わないの話以前に、電化もしたしこれから勢いつけていくぞ〜!という路線が中古車両を導入するというのもあまり喜ばしいことではありませんね
となると、やはり新型車両を製造して導入するというのが良いのでしょう。当時は113系などが勢力を拡大させていた頃ですし、内房線に直通することも考えると国鉄の近郊形電車をベースとした車両を新造するのが良さそうです
ここで、とある車両を思い出しました。この頃国鉄の近郊形がベースとなっている電車……。もしやこの車両もそうなのでは?
それがこちら、富士急行5000形。あまりメジャーな車両ではありませんでしたが、個人的に乗ってみたかった車両。結局2019年に廃車されてしまい、乗車は叶いませんでした
で、外見からもわかるようにこの車両は国鉄の近郊形電車をベースとして製造されています。独自の設計として、2両編成になっていること、2ドアになっていることが挙げられます。富士急行の輸送量を考えるとこのようになったのでしょう
内房線と直通するため国鉄車両に類似した車両が望ましい。安房急行の輸送量を考えると113系ほどの設備(≠サービス面)は必要としていない。富士急行5000形は、これらの点を満たす、安房急行にとって理想的な車両だったのです
5000形のデビューは1975年。安房急行が1972年にほぼ同じ車体の車両を登場させていたという設定にでもしておきましょう。形式名は先代から位を1個上げてアワ100系とかかな?
今回は安房急行初の電車であるアワ100系の構想についてご紹介しました。次回はまだ別の架空鉄道についてお話できればいいなーと思っています。それでは
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