地方格差と読書の話

北海道の地方の高校生だったとき、初めて片道2時間もかかる江別の蔦屋書店につれていってもらって感動したんだ。下から天井まで溢れるように本があって、哲学の本もなんだか見たことがないものばかり。お金はないから、秋元康隆先生の『意志の倫理学』と『若きウェルテルの悩み』あとは参考書だけ買ったと思う。

学術系の本なんて、地元じゃいいとこ数冊で、岩波文庫すら青なんて10冊程度しか置いてなかった。良い本も悪い本も、なんだかまだつかめていない、そんな中でこの二冊を選んだ自分を褒めたい。時々もっといろんな本を買っておけば…なんて思ったりするけど、お小遣いも全然もらえてなかったし、親につれてってもらったわけでもなかったから仕方ないね。親はそういうのを知らなかった。

実際店舗に行ってみると地域によってぜんっぜん品揃えも違うから仕方ないかと思うんだけど、蔦屋書店ゴミ!みたいなツイートを見るたびに、感動したあのときの自分が少し悲しくなっているのを感じる。

まあ、江別の蔦屋書店は大きいし、種類も豊富だし、カフェ併設…はどうだったかな、あんまり覚えてないけど。ともかく、あそこにアクセスできた環境っていうのはむしろ恵まれていたのかもしれない。知人に感謝である。

ちなみに古本屋という概念、ブックオフしかしらなかったし、なんなら古本って漫画しかないもんだと思ってた。漫画はいっぱいあった!地方に住んでると漫画の方がむしろメインカルチャーまであるね。

ちなみに地方格差とは関係ない超個人的な話でいうと、定期内の図書館も高校時代は建て替えの関係で全く行けなかった。他の図書館に行こうとすると定期の範囲外で、毎回往復500円は高校生には痛かった。

高校の図書館は先生の趣味なのか、小説が異様に多くて学術系はそんなに種類がなかった。高校の時は先生たちと仲が良くて、放課後勉強を聞きに行ったり、話してたんだけど、「哲学やりたいっていう高校生は受け持った生徒でほかに見たことない」ってよく言われてたし、仕方ないのかもね。自称進に入ったのがだめだったかも。(でも私の通ってた高校も先生も大好き!)

そのかわり、中学に上がる時におじいちゃんが買ってくれた電子辞書の中の日本文学1000選を沢山読んだのは覚えてる。授業中に。

なんでこんな話をしてるかって言うと、今日、地方格差の話をしていて、後輩が「例え地方であっても高校生になって読書しないのは意欲の問題」って言っていて、もちろんその場では反論したんだけどやりきれない気持ちが強かったんだけなんだ、ごめんね。




怠慢と言われたらそうなのかなーとも思ってしまう。地方でも頑張ってる人はいっぱいいるわけだし、実際私は知識があるわけでも頭の回転が早いわけでもない。今ですら、本や哲学といった知へのアクセスも自分から積極的にしていったかというと微妙なところもある。ほとんどが人との縁あってのことでしかないかもしれないなと思う。

とはいえ、普段から触れてるものにはすぐにアクセスできるんだけど、思いつくアクセス方法がだめだと(本屋にめぼしいものはないし、図書館はいけないし…ってなると)それ以外があるって想定できなくて、そこで思考が止まっちゃってたなあと思う。本読みたい!ってなって「本 読むには」とかで検索しないもんなあ。ツイッターで哲学垢を作るなんて発想なかったし!すごい!成長やね。






ついったーらんどで流れ弾くらった人たちごめんね………

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