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ジャポニズム手帖が生まれるまで

日本にいると、自分が日本人であるということを僕はたいてい忘れてしまう。日本という国にどんな伝統や遺産がのこされていて、それらがどのくらい素晴らしいのかということも──。
『Un petit carnet Japonisme』より

本づくりは初夏にはじまる


 2021年の暮れに一冊の本をつくった。タイトルは『Un petit carnet Japonisme』。

フランス語で、小さなジャポニズムの手帖という意味だ。本のテーマは、「日本の文化的なスポットをフランス人に紹介すること」。

 どうしてフランスなの? という質問を何人かにされそうなのだけれど、これはとても簡単で、元々僕自身がフランスの文化や風土が好きなことからはじまっている。10歳くらいの時に、ピーター・メイル著『南仏プロヴァンスの12か月』(河出文庫)という本に出会って、フランス南部の農村地帯の穏やかな暮らしと文化に興味を持った。いつかはフランスに住んでみたいと真剣に考えたこともあったし、フランスに友人がいたらどんなにか素敵だろうと想像したこともある。その友人には日本のことを教えてやりたいなと考えたりもした。しかし、僕にはどうやって彼(もしくは彼女)に日本のことを教えたらよいかがわからなかった。僕にできるのはほんの少し絵を描くこと、本をつくることくらいだったのだ。

オリーヴが繁り、ラヴェンダーが薫る豊かな自然。多彩な料理、個性的な人々。至福の体験を綴った珠玉のエッセイ。英国紀行文学賞受賞の大ベストセラー。初版発行:1989年

 僕は本をつくることが好きだったし、つくった本を誰かに手渡すことが好きだったことを思い出した。ほどなくして、それならばフランスの友人に贈る本をつくればいいのかもしれないな、と思った。本をつくることが決まると、いろいろなアイデアが水のように湧いてきて、こんな大きさにしたいとか、こんな絵のタッチでこんな風に持ち歩けたら素敵だろうとか、イメージが膨らんでいく。そうなると僕は、喫茶店に行って手帖を開き、ページ割りとざっくりとした完成図のようなものを書くことにした。それから取材のためのスケジュールを組んだ。それがちょうど、夏がはじまる前のことだった。

 その年の夏からは各地の文化遺産を巡り、行く先々でスケッチをした。スケッチはけっこうな枚数になったし、描いていて楽しかった。そして、各地の庭園や建造物の歴史の解説や、気になった装飾品、見所などを日本語で文章にしたあと、家に持ちかえってそれらをせっせとフランス語に訳した。フランス語は大学の講義を取っていたものの、いかんせんまだ易しいところしか学んでいないからうまく翻訳できなかったけれど、多少カタコトでもなんとか言葉をつなげて本文用のテキストを用意してみた。言葉が不器用でも絵や本を見開いた時のビジュアルで何か日本の味わい深いところが伝わるといいなと思いながら、細かな本のディティールを決めていった。

築地本願寺で会えるインド象
一条恵観山荘の調度品たち
江之浦測候所、明月門
東京都庭園美術館にて
取材場所の一つ、六義園


 秋が深まる頃、おおよその取材とスケッチたち、翻訳されたテキストが揃い、編集作業がはじまった。MacBookを立ち上げて、全てのページのデザインを整えていく。どこにどの絵を配置するか、全体の流れをどうするかを決めていくのだけれど、小さな本とはいえ100ページ近くあるからけっこう時間がかかる。焦ってはいけない。この作業をひたすら、瞑想するように丁寧に進めていく。編集作業と並行して、紙の種類を選んだり、表紙のデザインを決めたりする。すべての作業を終えてあとは印刷するだけ、という頃には、青々としていた野山の木々は赤や黄に変わっていた。初版は12月1日に発行されることになった。

 完成したものをみると、イラストと文字があちこちに書き込まれたスケッチブックをそのまま本にしたような可愛らしい本になったと思う。あたたかみのある画用紙のような紙は、ページをめくるたびに指先にざらざらとした手触りを伝えてくる。

旧岩崎邸庭園の見開きページ

はじめにも書いたとおり、この本のテーマは「日本の文化的なスポットをフランス人に紹介すること」だった。しかし、こうしてみると日本各地の文化遺産の雰囲気や佇まいを、言語の縛りを超えて柔らかいイラストのタッチとページ全体のビジュアルで伝えてくれているようにも思えてくる。だからフランス人でなくても、日本人や、その他の国の人が読んでも楽しめる本になっていたら嬉しい。

 この本が生まれるまでの長い時間を通して、何か、本というものをつくることで、世界の誰かに贈り物を用意するような特別な気持ちが生まれたり、その過程でいろいろな発見があったりすることを知ることになった。何かテーマを決めて、企画を立て、絵や文章を書いて、編集をして、一冊の本をかたちづくることは、これからも続けていこうと思っている。

 個人で出版をするとなると、当然一度に発行できる部数も限られるから、多くて50冊刷れるかどうか、というところだけれど、そのぐらいの数のほうが本を届けた先の相手の声や気配が、つくり手の自分にもわかるのでちょうど良い量なのかもしれないと思う。なかには実際に僕の本を手に取ってくれる人、興味を示してくれる人もいて、それはなによりも温かみのある喜びだと感じている。誰かに自分のつくった本が届いているというのは、本当に確かな喜びの実感があって、それからというもの、僕は本をつくるたびに知らず知らず、そういう人たちの顔を思い浮かべながら手を動かしているのだ。だからこうして本ができるまでの物語をもう少し広く発信していけたら、とは考えてはいるものの、実際なかなか忙しく手が回らなかった。今後は完成した本の姿だけではなく、本が生まれるまでの道すじも楽しんでもらえるようにできたらいいな、と思う。

冊子『Un petit carnet Japonisme』はこちらより出版・販売をしております。個人出版のため在庫は少数ですが、ご興味がありましたら合わせてご覧ください。最新の出版状況や本づくりの様子はTwitter、Instagramからもご覧いただけます。


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