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日本に、華になって生きる。〜京都 真宗寺院坊守 中島千晴さん〜

私が感じたあなたの魅力を切り取り綴る shutter

この企画は、あそゆかがご依頼者様と対談、感じた魅力をあそゆか視点で遠慮なく書かせていただくというもの。2021年は100人の人の魅力を切り取る「100人ライティング」にただいま挑戦中です。


日本はどんな国で、その歴史にはどんなstoryがあるのですか?


もし今あなたが、誰かにそれを聞かれたら、あなたはどう答えますか。


私たちは、自分の国を、この命のルーツを、どこまで理解して今を生きているのでしょうか。このいのちの源の、STORYを。そしてその歴史を誇れるでしょうか。


今回のshutterは、日本を出たいと思ったその先で、日本を愛すべく運命に出会った方、中島千晴さんをご紹介します。


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今回、千晴さんとはこの対談が「初めまして」

京都駅のお茶屋さんで、和のおやつとともに、お話をしてきました。


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頼んだパフェが美味しそうで写真に撮ろうと思ったものの、その向こうの千晴さんが素敵でフォーカス移動した一枚。


もう、あの対談の日から、随分と時間は経っているけれど、千晴さんからお聞きしたことは、今でもかなり鮮明に残っています。そしてあれからの日々、時々、思うこと。

「私は日本人なのに、日本を知らないんだよなぁ。」

ということ。

そして日本を、この国を、その文化を知らないまま死んではいけないな、時間をかけてでも、少しずつ日本の文化や伝統を知っていきたいなと思うようになりました。

ずっと私はこの国で、この土地を踏み締め、そしてこの土地に支えられて今日まで生きてきたのに、その素晴らしさのルーツを自分の言葉で語れないのは、情けないかもしれない。そんな気持ちになったのです。

この国は、もっともっと、美しく素晴らしく、季節折々の行事の中にも幾多の物語や由来がある

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そんな風に、千晴さんが予感させてくれたから。


そんな予感を私に与えてくれた、千晴さんについて、ひと時をともにした私が感じたことを今日は書かせていただきます。


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日本を出た先で日本人であることを痛感

子どもの頃読んだ漫画がきっかけで、理学療法士になりたいと願った千晴さんは、その夢を叶えられ、理学療法士に。その後行った海外旅行が転機となり、「日本より海外に出たい、海外に住みたい」という願いが膨らみ、語学留学から海外生活へ。

ところがその海外(カナダ)で思いもよらない体験をすることになります。

ホストファミリーにお世話になる中、信じる宗教は何か、と聞かれて、咄嗟に答えられなかった千晴さん。無宗教だと返事をして返ってきた言葉は

人はいくらでも気持ちが変わり、揺れ動く。自分ほど頼りにならないものはないのに、他に信じ頼るものがなくてあなたはどう生きるの。神様、宗教の教えという揺らぎないものを信じ基準にしているからこそ、それがよりどころとなって私たちは生きていける。信じるものがないあなたを、私は信じることができない。

この言葉に、衝撃を受けたそうです。(この話を聞いた私も衝撃でした。)自分を信じるだけでは、人として信頼されないなんて。宗教、というものに対する、国民的な前提の違いはもちろんですが、それほどまでにルーツとして受け継がれる中で何を信じるかが大事と、躊躇うことなく表現できる海外の人と、信じるものがないとしか言えなかった自分自身。

さらには、日本のことを聞かれても、まともに答えることができないご自身を、嫌というほど痛感したそうです。

自分の意見や思いを表現するのが当たり前の海外で、それができない自分に出会い、日本より海外がいいと思って飛び出した海外で出会ったのは、嫌だと思っていた自分の国のことさえ知らず伝えられない自分、まさにその国民性だった。

だから、思ったそうです。もっと日本を知りたい、と。

そうしたら、びっくりです。帰国後、日本のことをもっと知りたいと思っていたら、なんと、お寺の住職さんと、出会ってしまったという、ミラクル。(それが今のご主人様。)

お寺のこと、仏教のこと、その文化を、教えてもらっているうちに・・・ご結婚♡

そこから坊守(千晴さんのお寺は浄土真宗。浄土真宗では住職の奥様のことを坊守(ぼうもり)と呼びます)としての日々が始まり、京都の地で、仏教の教え、その文化を身をもって感じ体感されながら、まさに「五感全てで日本と仏教、その文化を感じるように、坊守としての日々を重ねてこられました。  


日本に暮らすことの意味

私たちは一年の季節を生きる中で、いろんな行事を迎えます。でもその行事にどんな由来や意味があるのかを、どれだけ知っているでしょうか。

私は、ほとんど知りません。多少は言えても(例えば冬至のゆずの話や、二十四節気の言葉の意味など)いざ娘たちに、どうして端午の節句というの?いつからこの文化は始まったの??なんて聞かれたとして、すぐに由来を話せるか?と聞かれたら、それは話せない。

3月3日がお雛様の日だから、お雛様を飾る。桜が咲いたらお花見の季節。こどもの日だから菖蒲湯に入るし、冬至だから、柚子湯に入る。元旦だから、お節をいただく。そんな風に、小さい頃から「この時はこうするもんだ」と体験してきたから、そうするものとしてやっていることがほとんどで、その由来や意味をどこまで知っているかと聞かれたら、これが案外、知らないのです。

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お仏壇に向かって手を合わせる、親の姿を見てきたから、そうするものだと思っていやっている、でも、そうして手を合わせて拝んでいる、自分のその宗教のことをどこまで知っているのか?と聞かれたなら、自信を持って話せない恥ずかしさに、きっと私は誤魔化すように笑ってしまうでしょう。

そんな自分にうっすら気づいてはいたけれど、「でもそれを知らなくても、生きてはいける」

そう思って今日まで来た私の目の前に、「文化を知らない、自分の言葉で話せない自分を目の当たりにしたからこそ、それを学び知ろうと思った」千晴さんがいて。(それも、住職さんとご結婚までされて、まさにその世界にどっぷり!)

もう、頭が下がる思い、でした。


そうして、千晴さんから教えていただいたのです。

対談したのは、これから桜が咲き誇るという時。桜といえば「お花見」ですよね。このお花見という、日本人の多くが希望と楽しみを寄せる行事の由来を、あなたは知っていますか??

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なんと「予祝」なんだそうです。満開に咲き誇る桜を、秋の実りに見立て、そこで宴を行い先に祝う。いわば古来の「引き寄せ」だと。

日本という国は、そうして古来から「引き寄せ」という言葉が生まれる、もうずっと前から、文化として、祝い楽しみながら未来を信じ、手繰り寄せてきた国なんですよ、と。(この話を聞いてのちに調べてみたら、なんと盆踊りもその「予祝」の一つだそうです。)

お花見といえば、満開の桜を愛でて喜ぶもの(でも世の大人の多くは桜を理由にお酒を飲んでお祭り騒ぎする日)なんてただ思っていたら、違っていた。

そんな意味が、あったんだ。そんな意味があると知って、このお花見をするなら、気持ちもまた違うものに、なってしまう。

なんとなくでしてきたことの一つ一つに、そんな意味が、「日本としての大事な習わし」があることを知れたなら。

四季を生きる、ということへの感受性は、素晴らしく豊かになり、結果それは私たちの日々、暮らし、そして人生の新たなリズムを作り、更なる豊かさへと導くものになるんじゃないか。

そんなことを、感じたのです。

そして今千晴さんは、坊守として、お寺での日々の中、その、日本ならではの四季折々の意味を感受しながら、生きている。

自分の生き方全てが、漫然と生きてるとは思わないけれど、日本という国、その文化とともに生きる、という面では、私はとても漫然と生きてきたんだな。そんな気持ちになったのは、確かです。

千晴さんの日々は、一年は、どれほどに豊かんだろう。

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地域の人とともに育てられた着物時間

そして、坊守としての千晴さんを育ててくれたもう一つが、お着物。お寺の坊守となれば、お着物は必須だし、京都という土地柄、やはり「着物が着れてなんぼ」という世界でもある中、地域の方々が、千晴さんのことを育ててくれたそうです。

「着物警察」という言葉、知っていますか?私は今回初めて出会いました。

「着物を着る」ということにかけては、意識やプライドがある人が多い京都。だからこそ、他の人の着付けが気になる、つい、教えたくなってしまう、そんな人も多いそうです。そしてそういう人を総称する言葉として「着物警察」という言葉が京都にはあるのだとか。(ちなみにこれはどうやら京都だけの言葉ではないようです。)

京都人として、着物姿に誇りがある。だからこそ、他の人にも大切にして欲しいし、直せることがあるなら、教えたい。道ゆく人でも気になったらつい声をかけてしまう。京都にはそんな風潮があるのだとか!

「警察」なんて言ってしまうとなんだかとても厳しい取り締まりを受けるようだけれど、そこにある思いはきっと、着物とその文化を愛するものから、なのでしょう。

坊守としてお着物を着ていた千晴さんの着付けを育ててくれたのは、まさにそんな、檀家さんや地域の着物の先達、だったそうです。

ちょっと着付けが気になると、通りすがりの人でもどこがおかしいのか教えてくれる。檀家さんの中には、法要の時の千晴さんの着付けが気になったと、後日お寺に来て丁寧に着付けを教えてくれる人や、着なくなったお着物をくれる人がいたり。そんなことが幾度となくあって、千晴さんはお着物の着付けをどんどん、身につけて行ったそうです。

なんか、すごいですよね。

着物、という一つを通して、地域の中で人と人がつながり合い、育てられていく。

京都がそんな街だったとは全く知らなかった私は、このお話を聞いて、京都がとても好きになりました。(てっきり、「箒を立てておいたら、帰れな証拠」なんて一部分で京都の人は気難しそう、なんて思っていました。苦笑)

家族だから、とか、友達だから、とか、先生だから、ではなく。同じ土地で、同じように着物を着ているなら、大切なものを差し出し合う。時にそれはもしかしたら、小さな(大きな?)お節介と言われるかも知れないけれど、それでも、そうして自分の持てるものや知っていることを、知らない誰かのために差し出せる、伝えあえる、それは「着物を美しく着て欲しいから」そんな、ボーダーレスな人柄土地柄の京都に、私は大きな魅力を感じてしまいました。

それほどまでに、誰かのそれについ言葉を添えたくなるほどに、「ソウルフルなもの」を持っていることが、素晴らしい。

本来、着物って、日本人にとっての、まさに「ソウルフルなもの」だったはず、なのにね。

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坊守としての千晴の、その先へ

日本の文化やしきたり、仏教の教えを体感しながら坊守としての日々を重ねてこられた、千晴さん。

寺を守り、毎日お花をたて、四季折々を感じ、お寺にきてくださる方と時を重ね、言葉をかわす。日本で、日本の文化や宗教とともに生きてる毎日は充実していて、家族も元気にすくすく。十分に満たされている、はず。

なのに、何かがもやもやとしている。そんな気持ちになり始めたそうです。

お寺の日々も好きだけれど、私はずっと、お寺にしかいないままなのだろうか

きっとこれは、十分やってきたからこそ感じたものだったのではないかと。

ずっと、お寺にだけいるのがいいのか。そう、ご自身に問うて出てきた答えは

「もっと、好きなところに行って、好きな人に会って、やりたいこともして生きていきたい」

だったそう。

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となれば。もっと自立をしていきたいし、仲間も欲しい。そのために動いていきたい。

そんな気持ちになり始めたのが、この1年ほどだそうです。

きっかけは、メイクアップコンサル。

それまで、これでも幸せで充実な日々と言いながらも、どこか犠牲的で、「自分を美しくすること」からは縁遠かったという千晴さん。それはよく言えば「ありのままで生きていたい」ということだったけれど、裏を返せば「そのままの自分」でいいと、どこか我慢や諦め、妥協をしていた、のかもしれません。

メイクコンサルを受け、さらにはその後にご自身の姿を撮影してもらい、「綺麗だね!」と褒めてもらったことがきっかけとなり、もっともっと、自分の内なる声に耳を傾け「こうなりたい」に許可を出せるように。

「ありのままに生きるということは、自分の本望そのままを聞き入れ叶えること」

だとしたら、私の本望はどこにある・・・?

私は

「もっと」綺麗になりたいし

「もっと」楽に生きたいし

「もっと」笑っていたいし

「もっと」豊かになっていきたい。

それが、私のありのままの思い。

だったら、私が私を、もっと楽しませたり、美しくなろうと磨いたり、いろんなことに一歩を踏み出していい。

そのために、やりたいことをするために、経済的にも自立していたい。だから、どんどん、挑戦していこう、と。


妻として、母として、お寺の坊守として。それは自分で引き受けてきた役割だけれど、役割を生きながら「もっと私が生きたいように生きる時間も増やしていい」

そんな許可が、降りた時に出会ったのが、来月開催される京都着物ランウェイのイベントお知らせ。

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京都平安神宮で、自分で着付けた着物を歩く、京都着物ランウェイ。

21名の女性が、この日のために、より美しい着付け姿でその日を歩けるように、着付けから歩き方、メイクまで、さまざまなレッスンを受け、「絹の衣をふわりと纏い 私たちは日本の華になる」そのコンセプトを体現するイベント。

着物は素敵だけれど、着るのは難しい

そんな女性が、着物を着られるように、もう着物を着れる人は、さらに美しく振る舞えるように。そして着物を纏うことの美しさや喜び、ひいては、そうしてランウェイを歩けるようになった自分自身に、自信を持って、華々しく人生を生きて欲しい、その応援を着付けの講師陣が全力サポートするイベントに、千晴さんもエントリー。

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現在、着々と準備を進めてらっしゃいます。

私は日本の華になります!そう私にも話してくれました。


自分の本望を聞き入れ叶える


何か世の中に貢献すると言えるような、誰かや何かのための大義名分や理由に対しては、人は(たとえそれが建前であったとしても)そこにエネルギーを注げるけれど

いざ、「ただただ自分のために」となると、日本の女性は、わがままじゃんじゃないか、高慢なんじゃないか、なんてつい、引け目を感じて、その願いをそっと引き下げてしまいがち。

でも、もう、そうじゃなくていい。

この世界の中で、誰よりも自分の願いの声を聞けるのは、自分

だったら、その自分の願いがあるなら、聞き届け、叶えるために、今日より、今より、一歩でもいいから踏み出していいし、叶えたい未来を、誰に遠慮することなく、堂々と描いしていいし、手にしていい。

そのために、生きていい。

それは、決してわがままなんかじゃないし、高慢でもない。

私が私を幸せにする

綺麗に、美しく、楽しく、喜びとともにもっと生きていい。

そんな風に、華のように生きていい。

だから、その道に進む。

したいと思ったなら、していい。しよう。

千晴さんからは、そんな気持ちが伝わってきたし

私はそれを、千晴さんに今お伝えしたい気持ちでいっぱいです。

(そしてこれを読んでいる、あなたにも。)


この地で、この町で、日本の文化を知りたくて、それを自分で伝えられる人になりたくて、だからこそ、お寺の坊守としての生きた時間を、精いっぱい生きてこられ、その中で、「着物」とともに育ってきた千晴さんが

今度は

着物とともに、自分を華開かせるために、ランウェイを歩く。

とってもね、かっこいいじゃないかと、私は思うのです。

それは、

自分のためでありながら、日本の文化を、京都の歴史を、京都での暮らし、そこで繋がってきたもの、助けてくれた人の優しさ、

千晴さんが今日まで生きた日々

そう言ったものを、全部全部、纏って、歩くわけですから。

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堂々と、どうかどうか、臆することなく堂々と、ランウェイ当日の花道を歩いてほしい、いや、きっと、千晴さんは、歩くでしょう。

私はその姿を見届けたい。そう思っています。


そして・・・

千晴さんから、これからいろんな「日本の文化、それを暮らしに根ざしていく生き方」を教えてもらいたいな、なんて。


美味しい日本茶を、いただきながら。

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ランウェイを歩き切った後の千晴さんの日々が

どんな風に華開いて行かれるのか、それも、楽しみにしながら。


千晴さん、この度はありがとうございました!

ランウェイ、見に行きますね。^^


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