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奇跡のいのちが慶びとともに連鎖する社会を。 〜医療法人れんげ会理事 室谷維里さん〜

世界で最も偉大な職業は何か。

あなたはもしこんな仕事があったら、応募しますか?

これは簡単な仕事ではありません。
そして非常に重要なポジションです。
役職は現場総監督。
この仕事は作業範囲が広く、多くの責任が伴い
非常に高い能力が求められます。

まず最初に必要とされるのは機動性です。
仕事中は基本的に立ち仕事で、時には屈みっぱなし
常に全力で職務にあたり
高レベルのスタミナが要求されます。

勤務時間は週に135時間かそれ以上、上限はありません。
基本的に週7日、24時間勤務です。
ランチは他のものたちが食べ終わった後から
食べることができます。

この仕事には非常に高い交渉能力と
コミュニケーションスキルが求められます。
さらに必要とされるのは
医学・財務管理・調理の高い能力で
複数の職務を兼務することが求められます。
常に周囲に気を配り、
時には徹夜ということもあります。
常に混沌とした環境で作業が続くことも。

もちろん休暇はありません。
正月や感謝祭・クリスマスは
さらに仕事量が増えるでしょう。

楽しんで仕事に従事していただきたい。
仲間を助けれることで得られる幸福感は
何事にも代えられないでしょう。

それでは給与についてです。
この役職に給与はありません。
今現在、この役職に従事している人がいます。
何億人もね。
あなたも、どうですか?

こんな激務の現場総監督とは一体誰か。


それが「お母さん」

これは海外のポストカード会社が母の日に向けて発信した動画です。


今大人である私たちも、母親の役割を引き受けてくれた人が、この現場監督をしてくれた時間があったからこそ、このいのちが育まれ、今ここにいますし、

今、毎日我が子と関わっている私やあなたも、家庭の現場監督として、365日24時間体制で任務にあたったからこそ、子どもたちの今があります。

そして、母親となる誰もが、この過酷な現場監督業を・・・・子どもを授かった時から、「一発本番勝負」で任されるのです。事前の練習も実習もなく。

私たちは、義務教育でたくさんの勉強をしますが、生きていのちを繋ぐための、「人間としての、最も根源的かつ基本的であまりに多様すぎる日常の営みや子育て」というものを教わる機会はありません。

だからこそ、生活も子育ても、生まれ育った環境で得たきたもの、その知識や知恵、感覚を頼りにするしかない、という実情があります。

いのちというものは、実に多彩で多様で、体つきから体質、バイオリズム、物の好き嫌い趣向、考え方や価値観まで、例え親子であっても誰一人として同じではないからこそ、「子育てに正解はない」「子どもの個性と年齢によって変化し続けるのが子どもとの関わりである」ということは、もうすぐ成人式を迎える私は、自らの子育て体験によって痛いほどに知っていますが、

そういったことさえ分からずに、命を産み落とした途端に始まる子育てに直面し、あるはずのない「子育ての正解」を探し求めては尽きない心配や不安の中で日々を送る人はいったいどれほどいるのでしょうか。

たったひとつの「絶対正解」はなかったとしても、
せめて・・・・

子育てを通して、私たち養育者が大切にすべきことや、いのちとの関わり方、そもそもいのちとはなんなのか、見える体と見えざる心、その実態と本質を、少しでも知ることができたなら。

そして、一人でも多くの人に、支え助けてもらうことができたなら。

一発本番勝負のプレッシャーの中で、孤独と不安を感じながらお母さんがもがき苦しむことは、もっともっと少なくなるのかもしれません。

誰もが、いのちを育むことの大切さを知り、支え助け合う社会の中で、親も子どもも幸せに生まれ育つことができたなら・・・一体どんな世界ができるのか。

少なくとも、自殺者が年に2万人以上も出ることはなくなるのではないかと、想像してしまいます。

今回ご紹介するのは、
限られた経験値の中で一発勝負で子育てが始まる、この日本の現状をご自分の場所から変えて行きたいと、あらゆる立場を経験されながら進まれている、室谷維里さんです。

私が維里さんに初めて会ったのは、昨年(2022年)11月。
維里さんが参加された、とあるリトリート企画に、私が撮影者として同行したのがきっかけでした。

ピンクのワンピースに身を包んで、何か話しかけると笑顔がぱーっとひらいて、嬉しそうにハキハキと返事をしてくれる。

その時、大学卒業後、一般企業に就職されてから、看護師と助産師資格を取得し、現在は産婦人科医のご主人と結婚されて、医療法人れんげ会 小川産婦人科を経営されている、ということを教えてくれました。

一般企業の会社員から、看護師と助産師資格を取得して、30代にして医療法人の経営者へ。
どれほどのパワーを持ち合わせた努力家なのだろうと、恐れ入ったのを覚えています。

維里さんは、どんな道を歩まれ今に至るのかを、ここからご紹介いたします。

室谷 維里さん

看護師・助産師
医療法人れんげ会 理事 
小川産婦人科 
助産院はぐくみ 
サロンこころ設立運営

1989年生まれ 三重県出身

関西大学政策創造学部卒業
在学中に小児科の院内学級のボランティアを通じて、お母さんのマインド・知識が子どもの発育・発達に影響することを学ぶ。

株式会社明治(現 明治ホールディングス)でMRとして医療機関に医薬品の情報提供に携わったのち退職、聖バルナバ助産師学院に入学、助産師となる。

2019年に夫の室谷 毅と医療法人れんげ会・株式会社2社を設立、助産院はぐくみ・サロンこころの設立・運営に携わる。
医療の枠を超え、心身を健やかに育む世界をつくりたいと株式会社を設立。
小学校〜大学まで、あらゆる教育機関でいのちの授業やキャリアデザイン授業を展開するほか、企業や個人に対し、ワークライフバランスの講座も提供。起業支援も行っている。


この対談以前にも共通の友人を介してお話を聞かせていただいたことがある維里さん。

出産と子育ての話になると、それはそれは熱心に、「赤ちゃんは全てをわかってるんです。」と真っ直ぐな眼差しで思いの丈を伝えてくださる様子から、助産師というお仕事とクリニックの経営者であることに、確かな使命と誇りを感じてらっしゃることがありありと伝わってきて。

その情熱と行動力はどこから出てくるのか、お話を聞いてみたいと思っていたのですが、この道を目指すことになった原点は、意外なものでした。

そもそもは、記者の道を選んでいた

意外なことに、もともと維里さんが目指していたのは、記者の道。
政治や国際情勢に興味を持ち、大学で選んだのは政策創造学部。学生時代から共同通信の記者のバイトをされていたそうです。

ところが、報道の実情、その世界を体験するほどに、行きたい道はこの道ではない・・・ということに、気づいてしまう。

「将来、どうしよう。」

進路に行き詰まった時にたまたま教授に紹介されたのが、1型糖尿病を患ったプロ野球選手が開催していた、子どもの1型糖尿病患者さんのためのクリスマス会のお手伝いでした。

偶然参加することになったものの、1型糖尿病については詳しくなく、ならばその世界のことを知って関わりたいと、教授に申し出たそうです。

すると、小児科の院内学級のボランティアを紹介され、小児医療の現場を体験することに。(大学の授業の講義や単位とは全く無関係に!)

この時の体験が、大きなきっかけになった、と教えてくれた、維里さん。

小児病棟には重病のお子さんもいて、中には余命わずかな子もいる。当初は、幼くして闘病生活を強いられ、時にはいのちを終えてゆくその様子に「かわいそう」という感情を持っていた維里さんの心情は、子どもたちの姿を見ていくうちに変化したそうです。

こんなこと言うのはおかしいかもしれませんけど、
子どもたちを見ていると、どう見ても「この(短くしていのちを終える)運命をわかって、受け入れて生まれてきている」としか思えない瞬間がたくさんあって。それを「かわいそう」なんて目で見ている私の方が烏滸がましいと思ったんです。

この運命を分かって、この世に来ている・・・・

入院していた子がくれたお手紙や、日々の様子から、
どう見てもそうだとしか思えない瞬間に、何度も直面したそうです。

まだ、小学校にも行かないような幼い子が、闘病生活を送りながら、こんな言葉をしたためてしまう。
自分の定めを分かっているとしか思えない。

それでもその子達は、目の前の今を、ただただ、悲観なく一生懸命生きている。時に親御さんの視座を超えて、周りに癒しや救いを起こすことさえも、ある。

むしろ、大人の方が、大事なことに気づけていないんじゃないか。


私たち人間の理解と想像の範疇を超えた、「大いなる何か」の影響は、あるのかもしれないという、想像なのに確信が生まれてしまう。

一方で、養育者が子どもに与える影響の大きさにも、この時の体験を通して維里さんは気付かされます。

病院に緊急搬送されてくるお子さんの中には、家庭の経済的事情から適切な治療を受けることができずに、ギリギリの状態になってから病院に搬送される子どもも、いる。

経済的環境が不十分だったせいで、栄養状態が満たされず、心身の発育に不調が出てしまう理由の一つに、「養育者自身が生まれ育った環境の中で得たパターンでしか自身の生活や子育てを営めない」という背景が事実としてある。

育てる側の親自身に、十分な愛着関係が培われておらず、本来ならサポートが必要なのに、その手が行き届いていない。
愛しているはずなのに、育て方、関わり方がわからないまま、子育てと社会生活の現実の中を、生きるしかない世界が、ある。

誰にも教わらない子育てだからこそ、自分が親から受けた関わり方でしか、我が子と関われない。自分で体験した以上の世界を望めないからこそ、経済的に苦しかった人ほど、大人になっても同じような状況に陥りやすくなってしまう。

子育ても人生も、決して良き連鎖になるとは限らず、期せずして負の連鎖が生まれ、望まない苦しさに、親子でのまれてしまうこともある・・・

養育者の子育てが悪い、なんて一言では語り尽くせない、さまざまな背景がそこにはあり、サポートやケアの手が及んでいない。

その現実が、今の日本社会を、作っている。

子育てにも格差がある。
それが、日本の子育ての現状でもあり、医療の世界にも影響を及ぼしている。

お母さんが元気で笑顔で幸せなら
子どもも家庭も元気で幸せに生きれる。

そして
社会も元気に幸せになるんです。

女性から、お母さんから
幸せは連鎖するんです。

だから私は、お母さんから、
もっというと、女性そのものが
幸せに生きていのちを繋ぐ社会をつくりたい

院内ボランティアを通して体感した医療現場の実際の厳しさと、子どもたちが教えてくれたいのちの尊さや奇跡。
人には、運命というものがあるのかもしれない、という予感であり確信。
母子の影響の大きさ、子育ては世代を超えた「生き方の連鎖」であること、だからこそ、良き連鎖となる関わりやサポートが必要なこと、格差があると言わざるを得ない、さまざまなケース、日本の現状・・・・

ここから、医療の道・・・助産師となり、「お母さんのご機嫌から始まる子育て、そこから生まれる幸せな世界を創ってゆく人になること」を確信したそうです。


実はこの時に、のちに旦那様になる毅さんとも出会っている維里さん。

当時の毅さんは、医学部に在学しながらも進むべき道に悩み、医療の道を諦めて事業を起こすことも考えていたそう。
幾多の時間を重ね、お互いが「人を育み関わっていくこと、そんな社会ができていくこと」をどれほど大切にしているかを確かめ合い、
ともに医療の道・・・産婦人科医療の道を進んで行こうと約束を交わしたそうです。

私たち夫婦は、産婦人科から国を変えていくという夢で繋がって結婚した夫婦です。

そう教えてくれた維里さん。
維里さんのSNSには、出会った当時から、お互いを大切に思い、そして目指したい医療の未来を共に抱き、進み続けた歴史が刻まれています。

2014年にお二人は結婚。あの時から変わることなく、ご夫婦でともに医療の道を作り進み、今に至っています。

小川産婦人科HPより


一歩先の未来を見据えて選んだ就職

院内学級のボランティアを経験して、いずれは産婦人科に関わる道を選びたいと思うようになったものの、当時は就職間近。維里さんは、一度就職する道を選択します。

いずれ医療の道に行くことを踏まえて選んだ就職先は、株式会社明治。

明治は、お菓子のメーカーとしてのみならず、医薬品を提供する企業(現 Meiji Seika ファルマ)として、抗生剤や抗うつ剤を販売しています。

当時の明治は、糖尿病を罹患した人でも食べれる、砂糖を使わず代替甘味料を使用した低GIのチョコレートを製造販売していたため、維里さんはここで働けば小児科や耳鼻科など、小児医療に関する知識が得られると思い、入社。

この時に、決意されるのです。
約3年間必死に働いたら、助産師になるために看護学校に行く、と。


MRとして約3年間ひたすらに働き、授業資金と在学中の生活資金を確保したのちに退職、看護学校に入学。
看護師と助産師になるため、勉強と実習を重ねる日々がスタートします。

日本では助産師資格はとても狭き門。

助産師の国家試験を受けるために、在学中に生徒は分娩介助を10例行う必要があり、助産師学校では生徒数✖️10例の分娩介助の機会を作ることが学校側に課せられる義務の一つ。
(生徒数が20人なら、分娩の機会が半年間で200回必要。)

分娩介助の機会を多く獲得することがそもそも課題であるが故に、学校側が確約できる生徒数自体が少なく、狭き門となっている実情があります。

維里さんは、その狭き門を無事くぐられて、猛勉強と実習を重ねられ、2019年3月に無事国家試験に合格し、念願の助産師に。

継承開業(閉院を考えている既存のクリニックを譲り受け、新たなクリニックとして開業すること)されたご主人と共に、医療法人れんげ会小川産婦人科で助産師としての歩みをスタートされます。


助産師として、経営者として 全力を尽くして見えた世界


助産師となり、ご夫婦で産婦人科の経営に携われてからのことをそう教えてくれた、維里さん。

とにかく必死でした。

自分で自信を持ってその一言を言える日々はどれほどのものだったのか。

2019年4月にご夫婦で現医療法人れんげ会小川産婦人科を継承開業し、翌年7月には、妊娠前から出産を経た子育て全般をサポートする施設、助産院はぐくみを開院。
お産のみならず、母乳育児相談・産後ケアをメインとした「お母さんが帰って来れる場所」としての運営をスタート。


お産の現場は昼夜関係なく、いつでも万全の体制を整え、その時を迎える仕事だからこそ、いつもいつでも、仕事のことが頭から離れない時間をずっと過ごしてきた維里さん。

ご主人の毅さんも、「お母さんの安心感を大切に」と、心が満足して安心できる環境づくりと、できる限り自然なお産に全力を尽くされる方。

お産をコントロールしない、お母さんの心が満足するお産を、という理念を大切にされ、一人一人を尊重した医院の運営だからこそ、「いつでも対応できるように」と維里さんもまた、常に心の琴線を張っていたのでしょう。

がむしゃらに働く中で直面するのは、いのちの誕生の瞬間に出会う、その喜びと奇跡。

赤ちゃんが自然のリズムと調和しながら、どれほどにお母さんのことを思いながらお産の瞬間を迎えるか、その神秘と奇跡を現場でまざまざと感じずにはいられない。

逆子になるのも、お母さんのお腹が張るのも、さまざまな症状がお母さんに出るのも、出産の時に思いがけない出来事が起きるのも・・・出産に携わる時に見せてくれるそのすべてが、もっと言うと、お腹の中にいる時から、一見お母さんにとっては想定外なことだとしても「赤ちゃんがお母さんを助けようとしている」としか思えないことばかり。

その一方で、我が子との関わり方がわからず、子育てに悩み、不安にくれるお母さんたちが絶えない現実も、目の当たりにする。

本来は、愛情と思いやりに満ちた関係でしかないはずの親子の、悩みや不安で遮られてしまったその間を埋め直し、あたたかな繋がりにしてゆきたい。

赤ちゃんの力はすごいんです。
いのちはすべてを知って、ちゃんとわかって、
生まれる時も自分で決めてこの世界にやってくるんです。
お母さんが、知らないだけ、気づけないだけなんです。
ほんまに、奇跡なんです。


お母さんと赤ちゃんに出逢うほどにその確信は強くなり、
もっと多くの人にお産やこどもという存在の素晴らしさ、いのちを育てることの奇跡と素晴らしさを伝えたいと思いながら、助産師としての責任を果たしたいと、仕事にただただ没頭していく・・・・

そんな状態が続いた先で、気づいたのが

医院事業は成長する一方で、視野が狭くなり摘んでしまっていたスタッフの成長の芽がある、ということでした。

責任感と義務感が強いあまりに、自分が全てを引き受けてしまう。誰かに任せられない。

自分に課した厳しさは、そのまま周りに向ける厳しさとなり、スタッフとの関係がギクシャクしてしまう。

そして何より、「経営者マインド」になっておらず、重責だけを抱えてしまっていた。

立場としては、医療法人の経営者になってはいたものの、経営者としてあるべき姿や心の持ちようについては、学びも経験も浅かった当時。

どこかで「雇われて働く感覚」が抜けないまま、法人経営の舵を握りきれず、責任を引き受ける覚悟も、実は足りてなかった。

リーダーでありながらも、リーダーシップは発揮できていない現状。

まず、ここを変える必要があることに気づいた維里さん。

ここからは、まず関わるスタッフが「生まれてきて良かった。」と思うことができ、一人一人が長所や得意を活かして輝けるようにしていこうと決意。

経営者としてスタッフを活かす経営にしたいという思いに変わり、そのための試行錯誤が始まります。


私は、助産師になりたかっただけなの?
違う、そうじゃない。
叶えたい世界を創るために、助産師になったんだ

お母さんが元気で笑顔で幸せなら
子どもも家庭も、
そして
社会も元気に幸せになるんです。

女性から、お母さんから
幸せは連鎖するんです。

だから私は、お母さんから、
もっというと、女性そのものが
幸せに生きれる社会をつくりたい

これこそが、維里さんが作りたい世界であり、
この夢を叶えるためになったのが、助産師。



助産師としての成長にとどまることなく、組織として成長してゆくこと、「産婦人科から日本を変え、お母さんの笑顔から始まる幸せな社会を創ること」が目指すものであり、それをまっとうすることが、自分の役割であると改めて理解した維里さんが下した判断は

自分の叶えたい世界をもっともっと広げ育てるために、助産師という1プレイヤーとしての立場から、経営者としての立場になること、そのための組織改革を行うこと

でした。


視座を上げて「目指す世界を創る人」へ


今回、維里さんのお話を聞かせていただいて、私が素晴らしいなと感じたのは、目の前のことに全力を尽くしながらも、目指す目的地を見失うことなく、逸れたと思ったらすぐに軌道修正する、その判断力と行動力。

お産から、産婦人科から国を変えていきたい、
いのちが生まれ育まれていくことの奇跡と素晴らしさを誰もが知って、
心豊かに幸せに、いのちの、生きる喜びが連鎖する社会を創りたい。
周産期からのサポートだけでは、遅すぎるんです。
そのために、お母さんが笑顔で生きることを、産婦人科から広め伝えたい。
いのちを授かり育むことの奇跡と大切さ、素晴らしさを、妊娠してから知るのではなく、
妊娠出産や子育てのことは、女性なら誰もが、大人になる時にはもう十分知っているような、それが当たり前の社会にしたい。

※周産期:妊娠22週から出生後7日未満までの期間


目指す世界を忘れずに、いつでもそこに立ち戻ることができるからこそ、叶えるためにその時ご自身の取るべき行動、「ここから一歩先の世界に進むために必要なこと」に気づくことができる。

加えてこの時期の維里さんにとって大きな影響力となったのが、佐伯あこさん。

佐伯あこさんは重度脳性麻痺のお子さんの子育てをされる中で、「本当にしたい生き方は何か?」とご自分に問われ、「どんな環境の中であってもやりたいことをやる人生にしよう!」と、手帳を使ったタイムマネジメントで自分も家庭も仕事も自然体で幸せになる、「人生謳歌塾」を主宰される方。

人生謳歌塾に参加されたことで、あこさんのあり方に感銘を受け、「自分の人生にとって何が大切で叶えたいことなのか、そのために何を選択するか」を真ん中に置くことができるようになったそうです。


写真左が佐伯あこさん。右はあこさんの妹さん

この頃世界はコロナ禍真っ只中。
若くして医療法人の経営者となった維里さんにのしかかっていたものは

経験したことのない感染症が世界を圧巻するという、未曾有の不安と恐怖の中で、仲間であるスタッフと患者さん、大切な人を、どうやって守り抜いていくかということ。

その中で浮き彫りになった、組織の課題。

右も左も分からない、医療法人経営者という立場を、とにかく必死で走り抜けてきた中で迎えたこの事態は、目の前の数字や利益だけではなく「何を大切にして、誰のために生きるのか、そのためにどうするのか」ということを切実なまでに突きつけてくれた。

自分で選んだ道を苦渋のように背負うのではなく、大切なものを大切にするために、どうしたいのか、何をすべきか。

来る日も来る日も、あこさんの音声を聞きながら、自らが選ぶべき道はどこかと、問い続けたそうです。
 
その問いの答えの一つが「経営者として生きることに腹を括ること」だったのでしょう。雇われているスタッフの一人のような心持ちでいることを捨て去り、経営者として大切なものを丸ごと自ら抱え込む、勇気。


組織の課題に気付いた維里さんは、ここからご自身を「経営者としての室谷維里」に向かわせるために、さまざまな選択をされます。

自分がなんとかしなくては、という思いを手放すこと。
スタッフを信じ任せること。

経営者としてのブランディングをしたり、研修や学びの機会に、積極的に出ることなど、
「私は私にしかできないことに集中しよう」と決意。

プレイヤーではなく、リーダーであろうとし続けること。

一助産師としての役割を果たす自分ではなく、
目指す世界を叶えるために、経営者として自らを磨きながら理念に沿って先を歩き、人材を育成して産科事業を広げ、描いた世界を叶えていくことこそが、今の私の、立場であり役割。

だからこそ、抱え込まない。
自分の居ない現場が育っていくことを信じて
自らの力だけを過信して頑張るのではなく、関わる人を信頼し、きっと大丈夫と任せること。

そのための環境を整えること。

叶えたい世界があるのなら、助産師という1プレイヤーの立場を超えて、私はもっと広い世界を見て、一歩先を歩いていく必要がある。

2021年から2022年は、ご自身の視座をあげ、時には痛みを抱えながら、決断と手放し、そして新たな選択を重ね、組織の改革に注力。

目指す道に沿って、事業は成長を遂げ、開院当初はスタッフが16名前後だった医院は

2021年にはスタッフが約40名、生まれたいのちは590名
2022年にはスタッフが非常勤スタッフを合わせて約50名、生まれたいのちも656名へと成長し

助産院はぐくみでの事業も
年間300名以上のお母さんたちのサポートをするように。

その他、学校での「いのちの授業」や
法人でのワークライフバランス講座などを積み重ねることで

国を変えていきたいほどの想いを叶えるには
一人の力で作る世界はあまりに小さく

一人でも多くの人を信じ積み上げ続けることができたなら、
他力は重なり世界は広く大きく、育ってゆくことを実感。


一人の、夫婦の夢が、
みんなで叶え広がりゆく世界へ。

お産から、産婦人科から、国を変えたい。

その思いに従って、着々と、道を進み広げて続けてきた、これまで。

そうですね、ずっと、目指したい世界に向かって、進んできましたね。
この思いが揺らいだことは、ありません。

そうして迎えたのが、今年、2023年。


世界から自国を見つめ、国を育ててゆく視点を


20代前半で、いのちの奇跡に直面し、いのちが育まれるこの国の課題に気づかれた維里さん。

院内ボランティアをした時から、

国の未来を担う子どもを産み育てる女性こそ、まず幸せになり、笑顔と幸せの連鎖が生まれ、自然と幸せな人が育まれ増えていく、そんな国にしたい

その思いを産婦人科の世界からつくっていくことを決意され

助産師となり、産婦人科の経営者となり、
いのちを取り上げ
産み育てる人をサポートする医院を運営し

そうしてひたすらに歩み続けた約10年の先で

世界の歴史から日本を見る

と言うことを体験されている今年。


この国を変えていきたいと思うなら、この国を知っていく必要があり、世界から見た日本も知る必要がある。

その思いから体験した、赤塚高仁さん引率による中東訪問が、大きなパラダイムシフトになったそう。

赤塚高仁さんは、日本とイスラエルの交流に人生を捧げた 故・糸川英夫博士の思想継承者。日本とイスラエルの歴史と交流に詳しく、「ヤマト・ユダヤ友好協会」の会長。

赤塚さんと共にイスラエルを訪ね、自分の国を持たないユダヤ民族が歩んだ歴史を知り、彼らの持つアイデンティティのパワーの大きさ、民族としての自尊心を持ちながら、国を失ったからこその悲劇を目の当たりにしたことで

今の日本には、一人の人間としての自由な生き方は広まりつつあっても「日本という国家の歴史を深く知り、尊さと共に生きる人はどんどん減っている」と言う現実があることに気づいたそうです。

戦後からの欧米化によって削がれてきた、大和魂。衣食住をはじめとする日本文化の希薄化。外国資本の参入は目覚ましく、食料自給率は下がり続け、自活力が失われていく現状、そこに危機感さえ抱く人が少ない。いつの間にか削がれていった愛国心と日本人としての尊厳とアイデンティティ。

日本人でありながら、日本という国とその文化を尊ぶことなくこの国が希薄化していくことに対する、危機感。

「日本人としてのこころ、アイデンティティ」を、今私たちはもう一度、取り戻し、生き直す必要が、きっとある。

そんな思いを抱いた時に、改めて感じたことが

「いのちを産みはぐくむ女性は、もっと賢く、そして、もっと幸せに生きなくてはいけない。国力は、未来を作る子どもと、その子どもを産み育む女性にかかっている」

ということだったそう。

やっぱり私は、
子どもとお母さんの笑顔と幸せのために、この国で生きて力を尽くしたい
国力さえ危ぶまれる現状を、なんとかしたい。
女性からこの国を元気にしたい。
そのためにはたらきかけていきたい。

この思いを、強く揺るがないものにして抱いて迎えたのが、今回のインタビューでした。


一人の人としての豊かな心と幸福がこの国をつくる


実習生として、目の前の小さないのちの運命を目の当たりにすることから始まった、維里さんの道。

いのちというのは、一つ一つでありながら、
その一つ一つが出会い、つながり合い

そうして

家族という小さな社会になり
学校や職場、
地域になり

繋がり続け

国に、なっていく。


だからこそ。

いのちを育む、一番小さな社会・・・
家庭から築き上げる幸せこそが
原点であり


国を作るのは
その家庭から始まる連鎖だと、誰もが気づくこと、

家庭を幸せなものにするためには
養育者である親、
いのちを産み育てる母親となる女性こそが

まず幸せに生きて
人生は、
この社会で生きることは

楽しく幸せなことであると
心から思えていること、

国を知り、
日本人としての尊厳とアイデンティティを抱いて
生きて幸せであること、

自らのいのちを輝かせて生きて
その輝きを連鎖させてゆくことこそが
何よりも、大切。


個人としての幸福から

家庭としての幸福も

地域、国の幸福も、すべてが始まる。

誰もが喜びとともに生き、
幸福ないのちの連鎖を作るために
私にできることは、なんだろう。

目指す世界を思い描きながら

院内ボランティアから、
看護学生に、
そして
助産師となり、
医療の世界に携わり、
プライベートでは結婚して夫婦となり
産婦人科医院の経営者となって。


いのちを育む世界の中で
女性としての役割の数々を経験しながら
その視座をずっとあげ続けてきた、維里さん。

助産師となって、医療法人れんげ会小川産婦人科を夫婦で継承して5年目の今年。

お産から、産婦人科から、国を、幸せな世界を創るための、一大プロジェクトの土台を確実に作り上げてきた維里さんが、ここから見ているのは

「母親となって、子育てをこの身で体験して、今まで築き上げてきたリソースの実験検証をして、確かなものに落とし込むこと」だそう。

助産師として感じてきたいのちの奇跡。
医療者として、専門職の視点から身につけてきた、いのちの育みかた。
経営者として、作り上げてきた女性をサポートするための施設環境。

そういったものが

母親となった自分にとって、本当に価値あるものになっていくのか、実証したい。

母親として子育てをこの身で経験でできたら。
私はきっと、あらゆる立場を経験した女性として、さらに確かなアプローチが、できるようになるから。
妊娠出産に臨めるよう、仕事も環境も、準備を整えていますし、楽しみです。

そう、教えてくれました。


病棟ボランティアの体験を通して描いた理想の世界。
その思いは揺らぐことがなく

ますます確信となり、
そして、確かに道を作ってゆく。

現在は、これまで培ってきた様々な知見の集大成として、お母さんをサポートするためのプログラム作りもしたいと望んでいる維里さん。

2023年9月には、小川産婦人科、助産院はぐくみに続いて、サロンこころをオープン。

妊娠出産に携わる医療専門家だけではなく、子育ての支援をしたい人、地域で子育てをしてゆくコミュニティーに携わりたい人も集まって、地域で子育てを支える拠点としての活動が、始まっています。


〜編集後記〜 いのちを育む力が、国の力になる


戦後教育の世界で生まれ育った私たち。
与えられた教育を当たり前のように正しい価値観として受け入れ、それを生きる指針として大人になった人がほとんどです。

その中で私たちが得てきたことは・・・・

人間の命は尊いものだと理解しながらも、評価や成果によって人間の価値を図り、もっともっとと、何かをいつも追い求めてしまう、そんな世界でもあったのかもしれません。

その一方で、長らく日本に伝えられてきた、「道」の心、美しい伝統文化や日本人だからこその在り方は希薄になっています。

自国の歴史や神話もまともに語ることができず、評価や成果で人生の価値を図るような社会の行末は、年間の自殺者が数万にもなっているという現実。
この数の中には、子育て中の若いお母さん、産後うつで自ら命を落とす人も少なくありません。

核家族化が進んだことで、暮らしや子育てという、人の最も根源的基本的な「美しい愛情あふれる営み」の連鎖は断ち切られ、親と子どもだけで暮らす小さな家の中での子育ては、頼る場所のない孤島のようになり、その中で、「愛しているのに、どう関わったらいいかがわからない」と不安や悩みにくれる人が、たくさんいます。

本当は、愛したいのに、心豊かに幸せに、笑いあって生きてゆきたいのに、生まれ育った環境で見てきたようにしか生きることを知らず、社会に適応することができずに経済的に困窮したり、DVやネグレクトになってしまう、生き方の連鎖の悲劇も起きています。

こんな社会が、いいわけがないのです。


命を授かり産み育てる女性に、
知性と、生きる強さが、
自分から幸せに生きる知恵があったなら。

心豊かに生きることや子育てを、学ぶ機会が、誰もにあったなら。

負の連鎖を断ち切り、幸せの連鎖で社会をつくることができるはず。


ところが実際は、
もっと地域が、社会が、国が良くなったら、そう思いながらも、多くの人が自分の目の前の日常を生き切ることに精一杯です。

社会のために、自分に何ができるか、ということまでもを見据えて今日を生きている人は、どれほどいるのでしょうか。

維里さんは、院内ボランティアをした時からずっと、社会を自分ごとにして、生き続けて来られた方。

社会にある課題・・・子育ては、命の奇跡と素晴らしさの顕現でありながらも、心をはぐくみ、生き方を育むという経験と視点、知識がないが故の、負の連鎖が起きていることに気づき、

自分としての個人の幸せだけではなく、女性を、地域を、そして国を、もっと幸せに豊かにしたい、そのために自分は何をすべきかを、ずっと考えながら、生き続けてらっしゃる。

そしてその道を、ステップアップしていくにはどうしたらいいかも、考えて進んでいる。

そんな自分に、確かな信頼を、感じている。
きっと、できるし、叶える、と。

だから、必要な出来事はちゃんとやってきて、それを掴み、また一歩、また一歩と、目指す世界に近づけているのですよね。

助産師から、経営者へ。

産婦人科の医院経営から始まり、
助産院を開院、
地域で子育てを支援するサロンこころをオープン。

より包括的に、より多くの力で
命を見守り支え育てていく仕組みを
着実に、広く、大きく。

そしてこの動きは
今後は、企業や国そのものを見据えたアプローチへと、向かっています。

自分のために生きながらも、誰かの、社会のために生きる。
まっすぐに、目指す場所に、向かって。


これからも益々と、その歩みは着実に、より大きな世界へと広がっていくことを楽しみに、しています。

維里さん、この度はありがとうございました。



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