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本気の可能性、その先へ。〜松嵜まゆみさん〜

私が感じたあなたの魅力を切り取り綴る shutter

この企画は、あそゆかがご依頼者様と対談、感じた魅力をあそゆか視点で遠慮なく書かせていただくというもの。2021年は100人の人の魅力を切り取る「100人ライティング」にただいま挑戦中です。


「着物を着る」

そう聞いたら、あなたはとっさにどんなイメージを抱くでしょうか。


私ですか?正直なところ「大変そうだなー」「苦しそう」でした。つい最近までは。

なぜかというと。

大正生まれの祖母は自分で着物を縫って着るような人だったので、自分はもちろん、子どもの頃の私にも浴衣や着物を仕立ててくれていました。

ところが、着付けとなると、まぁ、苦しい。苦笑

「着崩れしたらあかんからね。」そう言って、んぎゅっ。と腰紐や浴衣のへこ帯を縛るのが、「うへぇ。」となるものの、おばあちゃんには逆らえない。

子どもながらに、「着物は可愛いけど苦しい」そんな記憶もあって。

身近にあったけど、自分では浴衣は着れても他の着付けはできないし、着るのは大変。そんな印象だからこそ、日本人のルーツの一つでもあるその着物は、私にとっては「特別な日に、ちょっと覚悟して着る物(というより着せてもらうもの)」でした。

日本では洋服文化がすっかり浸透して、今や「着物」こそが非日常な装いになってしまっている人の方が圧倒的に多く、文化としては、なんだか本末転倒じゃないのかな、なんて思ってしまう。でもそれが、今の日本の、現状。

そしてそれは、わたしにとっての日常そのもの、でもある。

だけど。

今回お会いした松嵜まゆみさんの世界は、それとは真逆の世界、でした。


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今回のshutterは、京都の地で

「心に花咲くプロジェクト®️葵桜®️きもの着付け教室を主宰、

着付け講師&ビジネスコンサル&コーチとしてご活躍の松嵜まゆみさんを切り取り、ご紹介させていただきます。


自己紹介をまとめてくれる人を探していた、というタイミングでこのshutterが目に留まり、お申し込みくださったまゆみさん。

事前のお打ち合わせでは

おじいさまが呉服問屋を営まれていたり、子役として時代劇に出演、着物に憧れたいたお話をお聞きし、さらには

洋服を着るより着物を着る方がよっぽど楽。だから日常はほとんど着物を着て過ごしています

とのこと!!着物は着せてもらうもの、大変なものと思っていたわたしにとっては「一体どういうこと?」という驚き発言。着物を着る方が楽なんて。ありえるのでしょうか。「その血がすでに着物の世界を生きている」そんな感覚になり。

ところが、大人になり仕事の世界は着物、和文化とは真逆の部品メーカーのIT部門。ここで、社内で行われてるタイピングの速さと正確さを競うコンテストで退職までずっと一位を取り続けていたという偉業をお聞きします。そして、多くの方の信頼を応援を得て、仕事でも成長してきたというまゆみさん。

なんだか、只者ではない感じのお方。その話し方はいつも落ち着いていて、かといって冷たくもなくて、わたしからすると「すごく、地に足がついている」感じ。「やるからにはやります。やり通します。実際、やり通してきました。」そんな印象を感じた後で、京都でお会いしました。


まだ肌寒さも残る3月初旬の京都。この日は、淀の河津桜が綺麗だからと、まゆみさんに案内してもらうことになっていて、待ち合わせ場所に現れたまゆみさんは、羽織はクッキリとした紫色を纏っていたものの、その下のお着物はなんとも春らしい淡い色合い。

これは、桜の下にたたずんだら、まぁ、絵になるだろうなぁと思っていたら、ぴったりでした。

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もうそこに着物が、着物文化があった

今、わたしはこのshutterを通して京都に幾度も行かせていただいているのですが、行くたびに思うのは、「京都は文化が違う」ということ。その一つがやはり「着物」です。着物を着る、ということが日常に馴染んでいるし、そしてまた「着物を着る」ということへの意識の高さというか、京都人らしいプライドというのか、それが土地柄として、染み付いている街でもある。いろんな方のお話を聞いて、そんなことを感じています。


まゆみさんが生まれ育ったのは京都西陣の地。そう、あの「西陣織」で有名な街です。

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家を出て街を歩けば、機織りの音がどこからか聞こえてくる。染め上がった糸の香りが、どこからともなく香ってくる。

それが、当たり前の土地だったそうです。当然、それは音だけではなく、織り上がった織物の柄や色合い、それを作っている人々の姿、そして、着物を着た人々の姿やその佇まいが、まゆみさんの日常には「ごく当たり前の景色」として写り、記憶の中に残すとでもなく、刻まれていることでしょう。

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そしてこの街で生まれ育ったまゆみさんは、幼少期に時代劇の子役を経験されています。役柄の 9 割は町人か村人役で短い着物や擦り切れた着物を纏う一方で、たまに着せてもらう「美しい着物」や、衣裳部屋に掛けられた美しい着物に魅せられ、憧れを抱いたそうです。

さらには、おじいさまが室町で呉服問屋を営まれていた、となれば、その「刻まれたもの」の大きさ、深さは、想像にたやすく、だからこそ「単なる着物のある生活」以上のものを、肌で感じてきていただろう、まゆみさん。

京都の地で商売をする、表にはでない暗黙の掟。着物を着る、「着付け」の意味。その流派や、守るべきこと、踏襲されているだろう、古き(良きでもあり、悪しきかもしれない)慣習、しきたり。着付け教室の立ち位置やその役割。学ぶとでもなく、肌で、五感で、感じ取ってきたものたち。


ところが、大人になったまゆみさんの人生の選択は、その道、ではなかった。

自立、とは、親や周りの大人の世界から飛び出し、自分の世界を拓いていくことでもある、とするならば。

当たり前に着物があり、その文化こそが生活基盤であり、親や、血筋から受け継いだ世界だったまゆみさんにとって、着物の世界から離れ、部品メーカーという、一般企業に就職したことは、なんだかとても「自然の成り行き」だったように、私には思えてなりません。


IT企業への就職、そして結婚子育てで迎えた変化と転機

着物の美しさに見惚れながらも「これから時代はITになる」先見の明があったおじいさまの勧めもあり、就職は部品メーカー(当時はまだITという用語はなかったものの、のちにITと言われる業種)へ。

就職して間もない頃に、まゆみさんは親御さんに内緒で着付け教室に行かれたそう。さらに親御さんから、お知り合いの問屋さんに行ってきなさいと送り込まれ、そこで着物の色合わせの美しさに心惹かれる経験をされます。

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※帯、帯揚げ、帯締め。この三つの色合わせ、さらには着物との組み合わせは、まさに無限。色の選び方一つで印象が如何様にも変わる面白さに、心を奪われたそうです。

一方仕事では、パソコンの普及がまだまだだった時代に、その先端でITに触れていたまゆみさんは、ある部署に配属されます。

あなたのそのおっとりとした人柄が、この部署のバランサーになる

これが、まゆみさんのその後を変える転機となります。人柄だけじゃない、自分だってできるんだと、その部署主催の社内タイピング大会に出場、以降仕事の合間前後をぬってタイピングを猛練習。なんと一位を獲得、以降退社まで優勝を守り抜き「殿堂入り」を果たします。

さらにここで社内上層部向けのパソコン講師に抜擢されたことがきっかけとなり「講師業をしたい」と言う希望を抱くように。

ところが、妊娠を機に、(我が子の出産はもちろん喜ばしいこととしても)志半ばの気持ちのまま退職、専業主婦の道へ。

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(次女ちゃん、0歳の時のお写真。)


ご主人の「専業主婦になって欲しい」と言う意向もあり、選んだ主婦の道は、子育てももちろん楽しかったし、毎日笑えることもあったけれど、それでも募って行ったのは「なんだか自分が腐っていくような感覚」。

もっとやりたいことがある、あった、やり切りたいことがあった、そしてそれは、「仕事」だった。

そう気づいたまゆみさんは、上司に交渉、職場復帰。仕事に全力をつくし、やり切ったと思えるまで尽力。就職から通算15年を勤め上げ、「ここで果たす役目は尽くした」そう感じ、退職されます。

やり残しはしない。自分のお役目を果たしたい。そして実際、果たす。その時に、次のステージが与えられるようです。

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IT(パソコン)講師かと思ったら、着付け講師の道がやってきた

心残りだった仕事をやりきり、次はやりたいと思っていたパソコンの講師業でも始めようか、そう思っていたまゆみさんに舞い込んできたのが「着付けを教えて欲しい」と言う依頼。

その依頼に応えたことがきっかけになり、クチコミが拡大。あっという間に人気着付け教室へ。

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(なんとも、楽しそう!こんな格好で写真を撮る着付け教室なら、行ってみたい。)


週に40名もの生徒さんを抱える着付け教室のキャパが大きくなり、これではまわりきらないと、「着付け講師養成」もスタート。

ここから、「着付けを習いたい生徒さん」に加え「着付け講師になりたい生徒さん」へのビジネスコンサルがスタート。

さらには「講師になるため、そして、講師としてお教室を運営していく自信」を伸ばすためにはどうしたらいいのか、そうして辿り着いたのが「あり方、マインド」を整える重要性。コーチングの師に出会い、以来、コーチとしてのサポートも始めます。

生徒さんに求められ、またまゆみさんご自身も生徒さんが「生徒さんが今より高い景色を見つめ人生を豊かに生きるために、私にできることは何か」それを常に追い求め、つかんできた今、まゆみさんは


着付け講師であり

ビジネスコンサルであり

コーチでもある


と言う、三足の草鞋を履いて闊歩する日々を送ってらっしゃいます。

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松嵜まゆみの、モト。

今回まゆみさんが私にこのshutterの依頼をしてくださったその理由の一つに

「三つの活動をどうやってまとめて表現したらより伝わるのか」

と言うことがあって。

私としては、今上に書いた流れの中で、「関わる世界とそこにいる人が、更なる広がりと高みある場所に行くためのサポートの一連を本気でする」そこにもう、大切な思いがあり、源流があり、まゆみさんの覚悟があるのでは、とも感じるのですが、(そう、まゆみさんは、本気の人、である、と思う)ここからは、まゆみさんとの対談を踏まえた、私、ライターあそゆかが感じる「松嵜まゆみと言う女性と、これからの予感」を綴らせていただきます。

京都の地を全然知らない私に、来年もまた見たいと思うほどの、素晴らしい満開の桜を見せてくださった、まゆみさんへのお礼とメッセージも兼ねて。

対談のあの日は、とてもいいお天気でした。関東では桜はまだまだだったのに、淀の河津桜はもう満開。見事に咲き誇り、その場所で、まゆみさんは、たくさんのこれまでのこと、そして今感じていること、これから見たい世界のことを、お話ししてくださいました。

それはそれは、たくさん。そして、とっても、楽しそうに。嬉しそうに。希望の塊のように。

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率直に感じたことといえば

もう、まゆみさんの道が満開だなぁ

思ったのですが、それではストーリーにならないので笑、感じたことを。


着物を着ている人って、あなたはどんな人だと思いますか?

日本が好きな人?それとも、礼儀正しく、礼節を重んじる人?

それより変わったことが好きな人、でしょうか。

私は、着物を着ている人は、和の心、季節の移ろいや、気配、そうしたものに気づける、美的感覚がある方なのではないかと、感じています。

一言で表現するなら

着物をきている人=和な人 でしょうか。単純ですが。

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ところがまゆみさんにとってのそれは、

着物を着ている人=一歩を踏み出している人 なのだそう。

その視点がとっても新鮮です。


もはや和装が非日常になったこの日本においては、「着物を着たい」と思う時点で、「非日常を楽しむ」だったり「ちょっと違うことをしてみたい」という、一歩抜きん出た「何か」がある証拠、だと。

そして、その一歩を踏み出している人が、着物を着ることによって出会う世界は本当に奥深く果てなく広い。それはまさに、自由の世界。だからこそ、そんな世界をもっともっと、堪能してほしいし、まゆみさんご自身も堪能したい。

着物を通してさまざまな色の組み合わせを知り、それを纏う自分に出会うことは、新しい自分に出会うこと。

(洋服で全身ピンクを着ようとはなかなか思えないけど、着物なら着てしまえるんですよね、と聞いて、確かに!と納得。実際私も過日、桜餅みたいな組み合わせを着ました。そして確かにそれは、新しかった。そして、とても楽しかったのです!)

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photo by Yayoi Higashiyama

今までにない自分に出会えたら、その自分でどんなことができるんだろう、したいんだろう、と考えるもの。新しい世界を見たくなる。その世界を生きたくなる。もう、新たな可能性のドアが開いてしまう。新たな自分で歩けるその世界を歩いて、進みたくなる。

着物を着る、ということは、その世界に足を踏み入れ体験するということ。

だからこそ、着付けから始まる、あたらしい世界への可能性を、体現して欲しい。そうして着物を着た先でさらに「見たいと思う新たな世界」を進んでいくために、力になれることがあるなら、私はする。

そんな思いが、あの日のまゆみさんから私には伝わってきました。

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妊娠出産のために退職し、専業主婦として生きながらも「腐りかけていた」あの日のまゆみさんは、今の生活が「嫌だ!」ということではなくて「私はこんなもんじゃない」「もっと、できることがあるはずだ」そう、感じたそうです。それは、不満からの欲望のようで、違うもの。

「私にはもっとできることがある」それは「自分の可能性への信頼」があるからこその、思い。だったら、その自分が感じた、自分の可能性を、無視なんてしたくない。その可能性に賭けたいし、そのために道を進みたい。

そして事実、まゆみさんはその道・・・復職し、ご自身がやり切ったと思えるところまで、尽力されて。

だからこそ、ご自分の可能性を信じて本気で選んだ道があるからこそ、思うのでしょう。

誰かのその可能性を、広げたいし、それを狭めるようなことはしたくない。と。


それを応援するための大切なツールの一つが、まゆみさんご自身の人生に根ざしてきた「着物」だった。

着物が着たい、という、「可能性の第一歩」の気持ちを抱き、着付けを習うことで自分で着物が着れるようになり、その世界を楽しみながら広げていくことは、まさにその「自分の可能性への信頼を、重ねて高めていくこと」

だからこそ、ご自身の着付け教室でも、大切にしていることがまゆみさんにはあります。


昔ながらの着付け教室は、流派もあり、そして、しきたりがあり、中には「ちゃんと着れるようになるまで外では着物を着て歩かないで」なんて言われてしまう教室もなきにしもあらず、なのだとか。

でも、まゆみさんの教室は、それをしません。

着付けの手順を一通り伝えたら

「次からは、家からお着物を着て来てくださいね」

と伝えるそうです。

できるようになった、その「できた」を歓び楽しみながら、自信とともに重ねられるように。できるようになった一歩で、また次の一歩を、踏み出しましょう、遠慮なくね、と。

日本は、和を重んじ礼節を大切にする国。だからこそ、礼儀や躾への厳しさはあるけれど、それはあくまでも何を守るべきなのか、その本質を理解した上で、強要されるものとしてではなく、自らの意思や基準によって自由に選べるものであって欲しい。


きっと私にもできる、という自分を信じる(信じたい)気持ち

そして

やろう、という決意と初めの一歩

できた、という喜びとそこで感じる、自分自身への信頼


このステップを重ねることで、人は自分の世界を大きくしていく。

そしてそのあゆみの歩幅は「人それぞれ」

だからこそ、まゆみさんは、お一人お一人に合った言葉がけ、関わりを大切にされてきたそうです。

その方が「少し先のできた」へ超えてゆくための関わりを、大切にしたいと。

「誰もが持つ可能性を信じ、どこまでも花開かせるために、一つ一つ私は関わる」

それがまゆみさんの、大切なスタンスなのだと、あの日のお話から私は感じました。

「生徒さん」でひとくくりにしない。だからこそ、週に40人も生徒さんが通うお教室になったのでしょう。


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いつだって、一対一。そうやって、目の前の方の可能性の開花のために、それを信じ尽力をされたきたのが、まゆみさんなのかもしれません。


そうして歩んできた道は、昨年からのコロナがある意味恩恵となり、今新たなステージにまゆみさんを向かわせているようです。

こんな時まゆみさんならどうする?

同じ着付け講師の方達からもらう相談の数々。

これまでずっと、一対一、生徒と先生、クライアントとコーチ、クライアントとコンサル、という関係の中で生きてきたまゆみさんの視野が、着付け講師の方々と、何ができるか、どうしたら良いのかを考えるようになり、「着物業界」へと、広がることに。


古き良き日本の歴史のなかで、その歴史があったからこそ、連綿と続き今日まで存続してきた着物の世界。

でもその一方で、古き良きのままだからこそ、滞留している何かがあるのも確かな中、もしその滞留を、ほどき新たな流れを組み入れることができたなら。

この世界は、着物の世界は、もっともっと、日本を超えて世界まで、その可能性を広げて進化し、開花していくんじゃないか。そのために私にできることがあるんじゃないか。というか、それをやりたい私がいる、のかも。

そんなことに、どうやらまゆみさんは気づいてしまったようです。

この話を聞いた時私は思わず


これまで生徒さんの可能性を開いてきたまゆみさんが

次なるご自身の可能性のドアを見つけてしまったのかもしれない

そしてそのドアの前にもう立っているし、それはもう、

きっと開き始めている


そんなことを感じてしまいました。

だって、それまではとっても楽しそうに、ニコニコ笑ってお話されたいたのが

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ふっとね、空の方を見上げたのです。

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未来を描く人の顔は、やっぱり、美しい。


もちろん、この時に未来のビジョンをまゆみさんが詳細に描いていたわけではないけれど

でも、まゆみさんの視野にはもう、一対一の着付け講師の世界を超えたものが、広がり始めています。

可能性を見つけた時、人生は開いていく

まさにその瞬間を、見たようでした。


大人の本気って、すごいですよね。子どもの本気とちょっと違ってて、やることがでかいのです。笑

まゆみさんは、これまで生きてきた時間の中で、生い立ちからしてすでに豊かに着物と触れ合い、そして、着物を学ぶと決めてからは、その道を高めてこられた方。それは決して「ただの遊び」ではありません。

着物を通して、ご自身の人生が開かれ、そしてまた関わる人の可能性がより開くために、できることを尽くすために本気を尽くしてこられた。ひたむきに。だからここまで教室も育ってきた。

本気で学ぶから本気で遊ぶ

そんなユーモアも、取り入れて。

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ほんと、ただの着付け教室にあらず。こんなお教室だったら、習ってみたい!

守破離。本気で守っているものがあるから、本気で楽しく破れる。まゆみさんの着物の世界は、きっと、そんな世界。


だからこそ、これから。

一対一の関係の、その先へ。

講師同士、そして、いつか、流派も超えて、この着物の世界を。

自分の可能性を、生徒さんの可能性を、そして着物の、この世界の可能性を、信じているから、開いていきたい。それはきっと、できるはず。

松嵜まゆみの本気が、新たなフィールドで開かれ、そして、新たなる道と世界を、開拓してくのだろうと、私は思っております。

そしてそれはきっと、着物の世界の「守破離」を起こす。

そんな、予感。

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きっともう今頃

さて、これからどうしていこうか・・・・

まゆみさんの頭の中はぐるぐると、やるからにはやるんだからと、お考えになっているのではないかと。


事実、まゆみさんにはコロナ禍になってから、さらに強く抱き始めた思いが一つ。

着付け講師100人いたら100人ともが「世界中に着物を広めたい」と思っているのだから、お互いがその目標に向かって手を取り合っていけたら、その世界が近づくのではないか?

ということ。この思いがきっかけとなり、着付け講師が集まるコミュニティ「世界きもの」を立ち上げています。これがいよいよ、新たなステージに向かって進み始める段階に。

コミュニティ運営は好きじゃない、そう思っていたまゆみさんですが、「世界に着物を広めたいという思いがあるなら、その目標の達成のために必要なことはやったらいいんじゃないか。たとえそれが、好きじゃないコミュニティ運営だったとしても。」そんな気持ちの変化を迎えられ、今じわじわと準備中。

本気の松嵜まゆみがもう、動き出しています。


いよいよ、世界へ。


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この先のSTORYを、いつかまた、書かせていただきたい。

そう思っています。


まゆみさん、この度はありがとうございました!


まゆみさんのホームページ


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