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景色


僕らが普段何気なく過ごしていられるのは昔、国の為に自らが犠牲になった彼らのお陰だ。ただ、「ありがとうございます」と言うにはあまりにも、尊い犠牲だ。

僕と同い年、あるいはそれ以下の青年たちが戦争に送り込まれ、それはそれは喜ばしいことだと、「万歳🙌!万歳🙌!」とお見送りをするらしい。逆に戦争に反対するものは「非国民」だと非難されたらしい。

生まれた時代が違えば、僕だって戦争を経験していたかもしれない。国の為だと謳い、敵艦に向かって特攻していたかもしれない。

75年前、何気ない日常は、確実にそして何の疑いもなく存在していた。

なぜ、人が死ななければならなかったのか。


現実

僕たちが戦争を伝えていく為に、戦争を知るには、戦争を経験した人の話を聞くか、映画を見るか、様々な資料で勉強するか、だと思っている。それ以外に方法があったとして、結局、身を持って経験する事はこの先ないと信じたい。

僕らは戦争を経験したことがないけれど、それらを真実として後世に伝えて行かなければならない。いつか、戦争を経験した人がいなくなるから。

あらゆる局面で伝えていく事を疎かにしていると、いつか再び、戦争が起こる世の中になってしまいそうで怖い。

そこまでの責任を負う必要は無いと思うが、
「目を背ける」事だけは絶対にしてはならない事だと思っている。

体験談

僕のひぃおばあちゃんは高知県に住んでいた。たしか98歳くらいまで生きた元気なひぃおばあちゃんだった。

高知県には年に1回、年明けに帰っていた。中学に入ってからは、ひぃおばあちゃんは老人ホームに預けられ、その後病院で入院することになる。その様子を毎年見に行く度に、「今年で最期」と聞かされていた。笑 
でも、100歳近くまで生きたひぃおばあちゃんは、凄い。

そんな、ひぃおばあちゃんから戦争の話を聞く機会があった。

「元々は、高知県に原爆を落とす予定だったはずが、高知が曇りだったから、高知県、四国の上空を通過し、広島に落とされた。」と。

高知が晴れていたら、今頃僕は生きていなかったかもしれないと考えると、、何とも言えない。

僕の友達のおじいちゃんは「色盲」を患っていた為に、戦争に呼ばれる事はなかったらしい。

もし、呼ばれて戦死していたら、その友達も今は生きていないかもしれない。

これらの体験談を直接聞けない時代が目の前にやってきている。戦争経験者がこの世から誰一人居なくなったとき、伝えて行くのは僕達若者の使命だ。


映画

戦争映画はこの時期になると毎年のように放送されていたが、ここ数年ではあまり放送されなくなった。あまりにも映像が悲惨なのでクレームが入るらしい。なら、見なければいい話だが、そこは置いておこう。

僕は、戦争があった事実を映画で知ることになった。その中で2つ、見るべき映画がある。

永遠の0

岡田准一主演の特攻の物語。
高校の時にサッカー部として観に行ったが、衝撃だった。特に、三浦春馬演じる佐伯健太郎が現在のシーンで、戦争について調べている事を仲間にバカにされて激昂するシーンを覚えている。いまさら、戦争の事なんて、、と思われても仕方ないだろう。でも、どちらも正しい。

知覧に行って、「神風特攻隊」の隊員達が残した手紙を読んでみたい。来場者はハンカチ片手に見ているそう。。

僕と同じ歳かそれ以下の青年達が、お国の為にと敵艦に突っ込む。親はどんな気持ちだったんやろう。本人はどんな気持ちだったんやろう。

もろとも粉砕した、青年達を想う。


日本の1番長い日

日本がポツダム宣言を受諾して、無条件降伏をすることになった、政府の裏側の物語。

映画評論家ではないので、うまく感想を言えないから、とりあえず見て欲しい。

降伏するかしないかの議論で、陸軍少佐達が次々にお偉いさんを殺して行く。

この時代、降伏する事は、絶対に許されないとする人がいたということ、断固として戦争を続けようとした人がいたことが、わかる。

景色

4月から7月まで広島市内に住んでいて、原爆ドームはほぼ毎日のように見てきた。たしかに、原爆ドームが保存されていなければ、人々の脳裏に戦争があった過去は今より忘れ去られていたかもしれない。現に、僕は原爆ドームを見る度に頭のどこかで戦争を思い浮かべる。

いつも車から見ていた原爆ドームを間近で見たのは7月に入ってからだった。原爆ドームの中は鉄骨で修復されていたが、周りには瓦礫が散乱していた。75年前、ここで普通に生活していたのか。

そして、広島には川が多い。授業で習った三角州で街が成り立っている。

アメリカの戦闘機B-29が落とした原爆により、全焼、全壊した街。ヤケドを負った人々が、この川に溢れ返り、沢山の人が亡くなっていったのか。

原爆ドームのすぐそばにあるこの川で、マスクをつけた観光客が船に揺られていた。僕の目に映る景色が華やかなのは、戦後を生き抜いた人達のお陰なのかもしれない。


日本各地、様々な場所で戦争により亡くなった方にご冥福をお祈りします。

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#広島 #長崎 #東京







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