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映画評 PLAY! 勝つとか負けるとかは、どーでもよくて🇯🇵

(C)2023映画「PLAY! 勝つとか負けるとかは、どーでもよくて」製作委員会

日本で初のeスポーツを題材にした劇中作。eスポーツの全国大会を目指す高校生たちを描いた青春ドラマ。『ホームレス中学生』『武士道シックスティーン』の古厩智之が監督を務める。

徳島県の高等専門学校に通う翔太(奥平大廉)は、「全国高校eスポーツ大会メンバー大募集」という校内に貼り出された勧誘ポスターに興味を持つ。ポスターを作った一学年先輩の達郎(鈴鹿央子)、Vtuberに夢中の亘(小倉史也)と共に、1チーム3人編成のeスポーツ大会「ロケットリーグ」の全国大会出場を目指す。

「ストーリーには無用の要素を盛り込んではいけない」という「チェーホフの銃」という概念がある。言わば物語に出てくる全ての要素に意味がある伏線とも解釈できる。本作は「チェーホフの銃」の概念を堂々と裏切ってくる大変実験的な内容と言える。しかし、その心意気が面白い方向に転んだかどうかは別の話。

人間ドラマが深掘りされずに終わる。翔太が置かれてる境遇を整理すると、崩壊してる家庭環境、障害を持つ弟、自分の人生を負け組と思ってる父親、中途半端感が際立つ友達付き合いなどドラマになりそうな内容がてんこ盛りだ。しかし、何一つ深掘りされない。

達郎のドラマも悲惨だ。なぜ全国大会に出たいのか、動機が全く描かれない。手首の怪我でバスケを諦めたであろうと推測できるシーンが序盤にある。しかしそこから、諦めきれない全国大会への想いや途中で諦めたコンプレックスなど、達郎の人間性を作り上げたであろうドラマが深掘りされることなく時間だけが過ぎていく。これでは感情移入できない。

また、なぜeスポーツでなければならないのか、上手くいかなくなるとイライラしてしまう性格の深掘り、不満がありそうな家庭環境などドラマになりそうな風呂敷を広げてるにも関わらず、特に深掘りして描かれない。何がしたいのやら。


(C)2023映画「PLAY! 勝つとか負けるとかは、どーでもよくて」製作委員会

作り手側の意図を察するに、「ゲームで何か解決する訳ではない」という現実を踏まえていると推測できる。確かに、ゲーム一本で物事が解決できるのであれば世の中悩みを持つ人はいないだろう。

だが自己完結はできる。家庭環境の改善はともかく、友情や努力への姿勢、劣悪な環境下でも消えることのない情熱や夢は描くことができる。物語の機能の一つとして、受け取り手が登場人物と重ね、現実的な問題に向き合う希望を与えることだ。ストーリー上の解決は、あくまでも尺度の問題であり、何もしないは職務放棄だ。

もう一つ作り手のeスポーツに対して情熱が向けられてないのも気になるところ。と言うのもeスポーツであるからこそのシーンが余りにも少ない。国籍、人種、障害、年齢などありとあらゆる障壁を超えて誰しもが楽しむことができる。伏線として風呂敷を広げてはいたが、それらが回収されずに終わる。

場所を選ばずオンラインで繋がれるシーンはeスポーツらしいシーンではあるが、ドラマとしては成立していない。辛い現実の逃げ場、障害を超えたコミュニケーションツール、紡いだ真の友情など、eスポーツから生まれるドラマが描かれずに物語は終わる。やはりどうしても人間ドラマは深掘りしなければならなかった。

特に亘の描き方は雑だ。彼は友達はいないがそこに対してコンプレックスを抱いてない。Vtuberで満足してるから。そこにeスポーツを押し込んで無理やりやらせてるようにしか見えない。亘はeスポーツをする必要性が無いキャラクター、つまり、作り手がeスポーツなんてものはどうでも良い本音が具現化された人物と言わざる得ないだろう。

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