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ニートの家計簿 4/15 ニートになって変わった事

新宿男とよく行っていた三丁目のお寿司屋さん。

今まで男性と食事に行く時は割り勘が当たり前だった。そもそも初デートで『お金を出して』と言われたこともないし、出すつもりもなかった。

わたくしの周りの知人の話では、彼氏とのデートは割り勘だと言う女の子がいる。そういう話しを聞くと以前だったら苛立ってしまっていた。

なぜ好きな女の子とのデート代“ぐらい”払おうと思わないのか。今の時代は賛否両論なのは承知の上だ。しかし、会計時にその女の価値をお前が下げていることになるんだぞ?と思う人も中にはいる。わたくしのように。

割り勘なのは時代がそうさせたのか。否、他の誰でもないゆとり世代のわたくし達の女達がそうさせたのだ。

『同等じゃなきゃいや。』
『会計に差があると貸しがあるみたいでいや。』
という、薄っぺらい自己主張の結果、その意見を鵜呑みにする男達が増えたのだ。

カップル間において、特別な時間を過ごした事に満足し、一緒にいる隣の女の価値をひっくるめて会計する。という考えを頭ごなしに否定する女が多い。

子供の頃には親がいる家庭のほとんどが、親が子供にかかるお金を払う。衣食住、教育費、中にはお小遣い等。当たり前でしょ?と思うが、それは当たり前ではなく特別な事だ。子供という存在が特別で、子供がいる日常が特別だから、その特別にお金が埋もれてしまって気が付かない。
『奨学金の返済をしています』と胸を張る人もいるが(それ自体を否定しているわけではない)、ある日突然『お前が生まれてから成人するまでにかかった金を返せ。』と父親に言われる事があるだろうか。ある日突然『あなたを育てた時間を時給制にして返済して』と母親に言われる事があるだろうか。
奨学金の返済や学費を返す事は立派な事だ。(わたくしも学生の時は学費を稼いでいたうちの1人である。)しかし、子供の頃泣き叫んで両親を困らせ手に入れた玩具や、父が母に内緒で買ってくれたソフトクリームの値段をある日突然、『あの時のあのお金割り勘な。』など言われる事を想定している子供は相当少ない。
父が、母が、子供に向ける無償の愛の中に“お金”というものが、その瞬間に価値を与え時を経て思い出に変わる。消して当たり前ではないのだが、お金というのは特別な時間の一部に当たり前のようにサッと溶け込んで行く。

この子のおやつ代“ぐらい”この子の笑顔のためならば。

幸せの中に隠れているお金に不安を感じさせない存在が親であるとするならば、同じような感覚でお付き合いしてくれる男性はもちろん特別に感じる。

初めて男の人にご飯をご馳走してもらったのは高校1年生の時。悪いな。申し訳ないな。安いやつ頼もう。そう思った。なぜならば彼は他人だから。『なんでも好きなもの頼んでいいよ』と言われても、初めて親以外のお金で何か食べるのはとても気持ちが悪かったのを覚えている。

しかし、時が経ち本当に好きな人が出来た時にこの感情は無くなった。デートにお金を出してもらう事にもちろん感謝していたし、今もそういう機会があれば感謝している。

お付き合いをしている人にご馳走してもらうのは、その人の特別になれた気分でとても嬉しい。“あぁ、この人わたくしとの時間に当たり前のように価値を感じてくれているのだな。”そう思うからだ。

お付き合いしている人に、もし割り勘を言い渡されたらおそらく悲しい気分になるだろう。この人はわたくしのデート代“ぐらい”も惜しむのか。と。

もちろん“会計の割り勘有り無し問題”は個人の感想であり、そして、反対意見も他意見も人の数だけあるご時世だなのは百も承知。


「奢る」は“ぜいたくになる。人にごちそうする”の意。

があるそう。

奢る人が贅沢になる。奢られるわたくしは、相手に贅沢な気持ちを与えている。そう思うと、やはりわたくしは好きな人には奢られたい。
“この人といると、奢りたいな。”と、赤の他人のはずの異性に思われたい事が、そんなにいけない事なのか。

決して男尊女卑で『男の方が偉いから』とか、『女の方が経済力に欠けるから』とかを言いたいわけではない。

一昔前に比べると、給料で男女の差を縮まり女性の収入も働き口も増えている。こんな世の中だからこそ、好きな人にお金を使ってもらうととても嬉しい。

そもそも嫌いな奴とはデート行かない。やむを得ずに、または判断を間違えデートしてしまい挙げ句の果てに割り勘を請求された日にはたまったもんではないだろう。

わたくしの貴重な時間、なぜお前の顔見ながら飯食わなきゃいけないのか。
わたくしの貴重なお金、なぜお前の顔見ながら過ごした時間に支払わなければならないのか。

それは男女逆でももちろんあり得る話だ。

わたくしは根本こういった考えがあるので、食事に誘う後輩には男女関係なく奢る。どんな後輩でも先輩との飲みには少なからず気は使うだろう。それが2時間だとしても、2時間わたくしに時間を当ててくれたことに、わたくしは価値を感じる。そして、その感謝の気持ちをお金で表すのがわたくしに出来る精一杯である。

むしろお金ではなくてどこで感謝の気持ちを示せというのか。
デートにおいて、お金ではなくてどこであなたは格好つけられるというのか。

一緒にいる相手を楽しませる手段の内の一つが“奢る”という行為ではないだろうか。

その行為一つで、信頼が深まり、不安が取り除ける。そんな支払い“ぐらい”で相手との距離が縮まるのなら、わたくしは奢る側だとしても気持ちよく奢れる。

これはあくまで個人的意見だが
『いいですいいです!!!』などと言って強引に割り勘にされるよりも
『いいですいいですいいんですかあ?!?!』と奢られてくれる後輩の方が可愛いもんだ。

特別な相手だからこそ奢ってほしいし、奢りたい。

お金がないというならば、奢れる範囲でデートしてくれ。そういう時に割り勘を言われるぐらいならわたくしが今回だけ特別に奢ってやろう。という気分にわたくしがなるぐらいに、割り勘には対他人感があるのだ。

初デートで割り勘を言われると白けてしまうし、奢るという名のエンターテイメント“ぐらい”出来ない色気のない男なのかと残念な気分になってしまうだろう。

しかしまぁ、飲み歩いていると色んな形のカップルがあってわたくしの意見がなんなら異端と化していくのが現代である。それでもわたくしの、割り勘に対するこの意見は変わらないだろう。

彼氏とのデートは割り勘が当たり前だと言う女の子に対して苛立ちがあったが、ニートになりその女の子たちに対して“頑張れよ。わたくしとは意見の合わない星の女神たちよ”と思うようになった。

ニートになって変わったこと。

結論を最後に出すのが日本人だということで、ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます、愛してます。

【2018 4/15】
出費 ……………¥0
収入 ……………¥0
_________________
合計 ¥0

なかなか意見がまとまらない委員会会長エリートニート

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