見出し画像

【小説】一星欠けた 第4話

そのコンビニは、交通量の多い街道沿いにあった。
店の前の駐車場で飲み食いする客がごみを置いて行くので、定期的に掃除をしなければならない。来るんじゃねーよバカ客があ。店長は愚痴を溢しながら、掃除をしていた。
街道を挟んで営業所があった。カップ麺の蓋を拾ったところで、店長のカナヅチは腰を伸ばした。最近になって、あの営業所に見覚えのある男が通っているのを見掛けた。
十条タンゴだった。
他人の空似かとも思ったが、右足を引き摺っているから間違いではなかった。見覚えがあるだけで、懐かしくはなかった。
営業所の連中は、コンビニへ昼食を買いに来る。しかし十条タンゴだけは来なかった。そのうち、タンゴも俺に気づいているのに無視しているに違いない、と考えるようになった。それ以来、タンゴを見ると汚物を見た気になった。

営業所から背広の男が出て来た。足取りがもつれている。中肉中背より背は低く、血色の悪い顔つきだ。続いて出て来たのは十条タンゴだった。
タンゴはその男に何か訴えていた。猛スピードで行き交う車が声を掻き消す。手を胸の前で揉みしだいている。
オイオイ何真剣になっちゃってんの、カナヅチは鼻で嗤った。
エライ人でも怒らせたとか?昔から嫌な奴だったもんな。
今のカナヅチにとって、タンゴの窮地は物見の対象だった。
背広の方も見たことがあった。中々名前が出てこない。そうだ里神楽だ、あいつが今の十条の上司ってこと?受ける。十条タンゴはついに土下座までする。相変わらずなりふり構わない奴だった。
里神楽シュロについて、カナヅチの記憶は曖昧だった。

タンゴがすっげえいじめていたな、あいつのこと。

ちょっと可哀想だったぜ、学期の途中で転校しちゃったんだよな。
腰に手を当てカナヅチは、二人を眺めていた。

シュロが転校した後の教室で、いじめのターゲットになったのはタンゴだった。オセロゲームのコマが白から黒へ次々めくれるように突然教室内の勢力は変わり、タンゴは敵に包囲された。
まっ自業自得だよな。
カナヅチは十条タンゴをいじめた訳ではなかった。なぜならターゲットになってからのタンゴとは、一言も口を利かず側へも寄らず、休み時間の教室で蹴り倒される姿が視界を横切っても、友達と会話に夢中だったからだ。
十条タンゴはまだ、里神楽シュロに額づいていた。
その背中を思い切り踏みつけてやりたくなった時、毎日のようにつるんでいた頃のタンゴの顔が脳裏に過った。
ふっくらとした頬、潤んだ黒目、カナヅチは自分も同じ顔で笑っているのを理解していた。その下で潰されそうな人間がいることに無頓着だったあの頃の、眩しい毎日が蘇った。シュロの頬は指で触れられそうな近さだった。後の日の二人の絶対的な距離は、今この瞬間だけ消し飛んでいた。だが間近に迫った笑顔を、カナヅチはこう呟いて遠ざけた。

気色わりぃ顔だな。腐ってんだよ、オマエ。

唾を吐いた。
そこは店の駐車場だった。笑った顔は事実、腐りかけの肉みたいな色だった。唾は靴底でなすった。あいつ絶対あの面の下に、何か隠していやがったんだ。
今のカナヅチにとって十条タンゴという少年と毎日つるんでいたのは、大嫌いだったからだ。嫌い過ぎて目が離せない、それだけに過ぎなかった。
あんなヤツと仲間じゃなくて良かったぜ。なすられた唾はたちまちアスファルトと同化し、目の前では車が人を轢き殺すスピードで疾走している。タンゴはその隙間でうずくまっていた。
里神楽シュロは棒立ちだった。
カナヅチは苛立った。里神楽が仕返しするなら今この時ではないか。カナヅチは、ターゲットになった後のタンゴの仇名で罵っていた。
蹴り倒しちゃえよ、玉無しなんか。


株式会社原黒はらぐろ商会派遣社員、34歳玉無しタンゴは訝しんでいた。

「気に喰わないこと何かしちゃった?ゴメン、この通り。ね、クビだけは止めて」

必死に土下座しているのに、何の言葉もかけてもらえなかった。シュロは尿道にプラグを差し込んでいた。みすぼらしい自分より一層みすぼらしい何かが足元でペコペコ頭を下げている。うるさかった。早く終ってくれ、祈りを込めて空の彼方の、泪のように澄んだ水色の辺りを見晴るかしながら、尿道プラグとチンポコの穴を思い描いているというのに、ガタガタ騒音が容赦なく耳へ入って来る所為でプラグをどんなに深くチンポコに突っ込んでもキモチヨクも何ともなかった、まるで他人がそいつのチンポコに尿道プラグをブっ込んでおれはそれを傍から眺めているだけで、そいつが思わせぶりに「あふぅ~」とか唸ったり「あぅあぅあぅあぅ」とか小刻みに震えたりするんだけれど、それが何のサインなのかちっとも解せないよ、だって俺そいつじゃないんだもんというくらい全く以って気持ちよくなかった。返せ、おれのチンポコカッコ尿道プラグ付きカッコ閉じ

「ひょっとしてだけど、まだ中学時代のこと怒ってる?怒っているとしたらそれもゴメン、許してよ、あ、ついでで言ってるんじゃないよ今クビになったら困るんだ仕事もらえるの9カ月ぶりなんだもんゴメン」

謝り続ける十条タンゴの腹の中に、冷えた青黒い液体が溜まっていた。
ひょっとして無視?
なんで無視?
無視でいいのかよ?

立ち上がる。心臓が潰れそうに痛かった。

おれ、嫌がらせの被害者じゃん。
こいつ加害者じゃん。

そう思いつくと痛みは治まり、平静な呼吸が戻ってきた。

「こんなに謝っているのに許せないなんて、シュロくんは心の狭い人だね。僕はするべきことをみーんなしたよ、ちゃんと謝罪した。後は君の了見次第だ、僕に関係ない君の心の中の問題だね」

里神楽シュロの目の前がすうっと暗くなる。視界が狭まって、穴の中へ落ちていくようだ。
狭まった視界の中央には、死人のような、表情のない顔があった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?