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はじめての中央アジア。

最近、転職することになった。

転職を決めたのは4月の初旬。5月半ばの退職に向けて手続きを進めつつ、転職活動を並行して進め、ありがたいことに6月末にはいくつかの内定をいただくことができた。

内定をいただいた会社との交渉の中で、8月からの入社を快く承諾いただけたことは、とても幸運だったと思う。私もちょうど長い休みを取って、会社勤めではできないような体験をしてみたいなと思っていたところだったからだ。

とにかく6月末までは転職活動に集中しようと決めていたため、6月の時点では全くのノープラン。1ヶ月間、何でもできるけど何をしよう。

とはいえ、自分の中でどこか海外に行くということは決めていた。今まで、少しでもまとまった休みが取れれば海外に行っていたし、まだまだ行ってない国がいくらでもある。問題はどこに行くかだ。

短い休みでも気軽に行けるような距離ではなく、何ヶ国かまとめて周遊でき、それでいて少しだけ冒険心がくすぐられるような場所はないだろうか。そう思いながら海外旅行のバイブル『バックパッカーズ読本』をペラペラめくっていると、「中央アジア」という文字が目に飛び込んできた。

特に理由はないけど、この「中央アジア」という文字の持つ語感と、未知の荒涼とした土地のイメージが私のちっぽけな冒険心を妙にくすぐった。

「よし、よくわかんないけど中央アジアに行くことにしよう」

そんなわけで飛行機と宿だけ予約し、バタバタと準備を済ませ、7月5日の夜にはカザフスタンの南の大都市、アルマトイに到着していた。

夜のアルマトイ国際空港。人気は少ない

空港に到着したころには時計は21:00をまわっており、街は夜の闇に包まれていた。飛行機から市街地に向かうタクシーの窓から街並みを覗いてみると、全く読めない看板を掲げた、あまり馴染みのない見た目の建物で、人々が見たことない食べ物を食べている。窓を過ぎるすべての景色が、全く知らない文化を持つ異国に来てしまったことを伝えていた。

そんな景色を見ていると「中央アジアの治安は大丈夫だろうか」「街や食堂の衛生状態は大丈夫だろうか」「英語は通じにくいと聞いていたが意思疎通はできるだろうか」など、様々な不安が首をもたげてきた。

いつも私が海外に一人で旅行に出かけていくのを軽いノリで見送ってくれている妻も今回ばかりは少しだけ心配そうだった。まあ大丈夫だろうけど気をつけてね、という感じ。
(ちなみに「いつも一人で海外に行くときどのくらい心配しているの?」ともののついでに聞いてみたら「まあ、実家に帰ってるくらいに思ってるから全然心配してないよ」と言われた。さすがに笑ってしまった。)

しかし、翌日アルマトイの街を歩き回ってみて、中央アジアのイメージが大きく覆されることになった。

まず、街がとてもきれいだ。ゴミ一つ落ちていない。そのためゴミを漁るような動物もいないし、腐臭のようなものも全く発生していない。これでもかというくらいゴミ箱が至る所に設置されているからだと思う(主要な通りでは本当に電柱と同じくらいゴミ箱がある)
これだけゴミ箱があればさすがにポイ捨てする人はいないんだろうなぁ。
結果として、街全体がクリーンな印象で、住民は街歩きを楽しんでいるように見えた。

とても落ち着いている印象
コンビニっぽい店もたくさんあって街歩きに便利

治安の悪さもほとんど感じなかった。
電動キックボードで歩行者の脇をすり抜けていく若者が多いことには少し警戒したが(ひったくられる可能性がある)、人混みでもスリに狙われているような気配はあまり感じなかったし、ヒヤッとする場面を見たり体験したりすることもなかった。

人も素朴で穏やかな印象を受けた。
南アジア・東南アジアなんかにいくと、街中を歩いているだけでどんどん絡んでくるし、平気で意味のない嘘をつかれたりするし、観光スポット周辺ではいかに観光客から金を巻き上げてやろうかと息巻いている人が多い(もちろんそうじゃない人もいる。ただ傾向としてそんな気がする)
アルマトイにいたカザフ人たちは、あまり干渉してこないし、どちらかというと寡黙に見えた。好奇心でちらっと見られることもあるが、話しかけてくることは稀だし、あまりパーソナルスペースに入ってくる感じではない。でも無関心や冷たいわけではなさそうで、例えばバスの乗り方がわからずに困っているとスッと助けてくれる親切さを持ち合わせていた。

バザール(市場)も非常に衛生的だ

それらは、到着まで私が持っていた中央アジアのイメージを完全に覆すものだった。
こういう「まじか、そうなんだ!」と思わされるような経験をすると、脳内で何かの神経がばちーんと繋がって眼が覚めるような感覚になる。とっても普通のことを言うけど、こうやって予想を裏切られる「まじか!」の経験をすることが旅の醍醐味だと私も思う。

でも、同時に「やっぱり、予想通りだった!」と思うことも、旅の楽しみの一つなんじゃないかと思ったりもする。

やっぱり(公用語がロシア語だから)全然英語が通じない!とか、やっぱり(遊牧民の文化が残っているから)肉肉しい料理が多い!とか。
そんな「やっぱり!」と言う経験でも、自分の持っていたイメージと経験した事実には、ベクトルこそ同じだけど微妙に違う部分が含まれていると思う。
そしてそれを経験する前と後では、自分の中に残るイメージの解像度は全然違うはずだ。

結局のところ、自分で行って見て体験すれば、どんな事実も自分にとっての発見となりうる、ということなんじゃないかなと思ったりした。

昔、冒険心の強い方々のブログか何かで、「有名観光地は写真で見れば十分。やっぱりって思うだけ」という記事をいくつか見たことがある。そんな人にも教えてあげたい。「まじか!」も楽しいけど、「やっぱり!」も案外悪くないよ。

おわり。
2024/07/26

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