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あの熱気と混沌が恋しい。

時々、整然とした綺麗な場所を飛び出して、雑多でちょっと汚い場所に行きたいと思うことはないだろうか。

私はある。

最近は特に、コロナ後に再び国境が開かれたあたりから、なかなかの頻度で、ある。


今年の6月の末に、約1年2ヶ月関わっていたPJを離任することになった。コンサル業界では珍しい長さというわけではないが、数としては3ヶ月や6ヶ月のPJが多いため、少しだけ長く関わらせてもらったPJだった。

上長のEさんには非常によくしていただいた。今回もEさんのご好意で離任時にPJメンバーとともに送迎会を開いていただいた。

送迎会の場所は代官山の鉄板焼きレストラン。

当日は珍しく本社に出社して仕事をし、PJメンバーと合流してタクシーで代官山に向かう。

タクシーの後部座席に座り、過ぎていく景色を窓ごしに眺めていた。19:00過ぎになってようやく赤く染まり始めた空を見上げると本格的な夏の到来を感じる。地下鉄の入り口に次々と吸い込まれていくサラリーマン、赤いテールランプを点滅させながら我先にと車線変更を繰り返すタクシーは、まるで容赦なく流れる時間に抗うように、やがて訪れる夜から逃げているように見えた。

代官山を訪れるのは初めてだった。噂には聞くけど何がそんなに人を惹きつけているんだろう。そんなことをぼんやりと考えていると、タクシーは少し込み入った路地に入り、するすると減速して店の前で停車した。

なるほど、辺りを見渡してみると、落ち着いた雰囲気のあるお洒落な店が多い。絶対気のせいだが、歩いている人は皆金持ちに見えるし、連れられている小型犬も心なしか背筋を伸ばしているように見える。

代官山をもう少し散策してみたくなり、鉄板焼きを堪能した後にはすでに23:00を過ぎていたが、タクシーを捕まえられる場所を探して少し歩いてみた。

私は結構散歩するのが好きだ。どこか知らない駅にランダムに降りてみるみたいなワイルドなことはしないが、何か用事があって訪れた街では、時間ができたら散歩してみる。地元民が日常的に訪れていそうな八百屋や魚屋、ずっと昔からそこにあったであろう小さい古本屋、少しだけ衛生状態が悪そうな町中華などをみると、その街には地元の人たちの生活があるんだということが感じられて、その生活感に安心する。そして、その街にしかない「何か」を探し、(例えそれがマンホールの蓋が見たことがない柄で可愛らしいというだけでも)わくわくする。

でも、その日歩いた代官山は、全然おもしろくなかった。
(あくまで、その時間帯での、その時の自分の心の状態ではそう感じただけだ。ちゃんと今度リベンジしてみたいし、昼にも行ってみたい!)

辺りはしんと静まりかえって人の話し声も聞こえない。駅はわずかな明かりのみを残し、夜の暗闇に沈んでいる。道端には木の葉の一枚も落ちていない。

その様が、街が息をするのを止め、表情を失い、うつむいているように感じられたのだ。

全てが整然とし、衛生的で、安全。完璧であるが故に何か思ってもみないような出来事が入りこむ余地がない。

その時、腹の底の方から、最近定番のアレがふつふつと湧き上がってきた。

「あーー!東南アジア行きたい!!!」

あの雑多で、混沌としていて、熱気に溢れた東南アジアの街角が好きだ。ちょっとした大通りに面した路面店で、歩道に並べたちゃっちいプラスチックの無駄に低い椅子に座り、薄いビールを飲みながら人々の往来を見ているだけでもう面白い。予想していないことが次々と起き、飽きることがない。朝から夜まで「生きている」街にどっぷり浸かっていると、生命力をチャージできる気がする。

ただ、誤解されたくないが、もちろん綺麗で整備された、安全な日本が私は大好きだ。世界のどこでも生きられるようなタフな人間でもないし、いつも冒険ウェルカムな人ではない。

普段は安全で落ち着ける日本でぬくぬく生きつつ、心が疲弊してきたら10日ほどの休みを取り熱気と混沌を求めて東南アジアに旅立つ。その混沌に疲れてきた頃、日本に帰ってきてやっぱり日本は最高だと思う。

最近の私はだいたいそんな感じだ。

というわけで、今度の9月、夏季休暇をもらって、カンボジアとラオスに行くことにした。それまで日本で全力でぬくぬくしていよう。


おわり。

2023.08.02 23:06
天狗舞 山廃純米吟醸 原酒 を飲みながら。

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