【体験談④経過観察~手術決定】30代筆者が、「上顎洞癌ステージ4で余命1年」と診断された話
「上顎洞癌ステージ4で余命1年」と診断された筆者が、下記のようなことをまとめて綴っております。
今回は、「経過観察~手術決定」の体験になります。私の症状、治療に関する詳細は、下記マガジンをご覧ください。
退院後の予定と過ごし方
RADPRAT(7週間+2週間)の治療を終えて、家に帰ってきました。退院の約3カ月後に各検査を経て、根治判断を行っていくことになります。この間、定期診察と血液検査をしながら、最後にPET検査とCT・MRI検査を行います。
仕事も復職にし、退院2日後には高岡市長のオンラインインタビューをしていました。入院中も仕事は無理ないペースでしていたもののインタビューは完全に外部ライターに任せていたので復帰した感がありました。
仕事は完全にテレワークで済ませられるため、買い物も妻に任せたら、あとはずっと家にいました。副作用による白血球の減少で感染症リスクが普通以上に高かったからです。
この白血球の減少は退院1カ月後には正常に近い値まで戻っていました。
また、味覚障害にあった食事を模索して、普段つくらない料理に挑戦したりしていました。
テクスチャーがはっきりしているものは良いと分かってからは、野菜の浅漬けを大量につくったり、入院中も良く食べていたプリングルスを大量に買ったりしていました。
カレーの味も多少分かったのでよくつくっていましたが、辛味の耐性が相当低下していて、以前はかくことのない量の汗をかくことに少し驚きました。
とはいえ、いままで通りに戻っているわけではなく、これは暫く続いたのですが、この経過観察3カ月間で殆ど元通りになりました。
医師やガン患者の声を伺っている限り、ガン治療由来による味覚障害の治りとしては早いです。
「制度」と「お金」の話
面倒ではあったのですが、『傷病手当』の手続きをしました。これで休職中の給与額の約2/3は手当されます。
非常に大きい金額ですね。
また、RADPRATは『高額療養費制度』の対象であるため、医療費は毎月上限額に納まったものの、入院時の食費と宿泊費(6人部屋以外)は保険対象外なので、[医療費(RADPRAT)+宿泊費(2カ月)+食事費=合計約80万]になりました。
7~8割は、医療費以外でした。
この入院部屋については、「じゃあ、保険対象内の6人部屋にしたら高額療養費制度で、医療費が上限超えていれば実質タダになるのか?」と思う人もいるでしょうし、それは正しい認識です。
ただ、病院によっては「そもそも、6人部屋は全然空いていない」ということがあります。だからといって、空くまで待っていれば病気は進行しますので、待つ訳にもいきません。
なので、最悪4人部屋以上になり、保険対象外の宿泊費(私の場合、4人部屋が7,000~8,000円/日)が掛かってくることは覚悟した方がいいと思います。
特に希少な症例の場合、[症例が少ない≒経験豊富な医師・設備の十分な病院が少なく、選択肢が少ない]ので余計にそうなりがちでしょう。
実際、頭頚部ガンは、ガンの中では割合が少ないので、私の主治医は全国から患者が来ている状態でした。
また、所得税の医療費控除も相当な額になってくるので、領収書も整理して残しておきます。
「制度」と「お金」の話は、今後手術が決まり、またかさむことになりますので、改めて全部でいくら掛かったのか、どれくらい制度で補填できたのか、別の記事でまとめて書きたいと思います。
残存あり、摘出手術の決定
3か月の経過観察後、CT検査とMRI検査を行った結果、腫瘍の残存が認められるという診断になりました。
ただ、悪性の有無など、より詳細に調べるために検査入院(1日)をし、患部の右上顎洞周辺の細胞を一部採取して、細胞診断(細胞診)を行いました。
結果として、治療を行う必要があるという最終診断になりました。
この時点で患部に照射できる最大量の放射線を浴びせてしまっているので、もうRADPRATは出来ません。
免疫チェックポイント阻害薬(詳しくはこちら)による治療もありましたが、主治医によると私の状態では根治に至る可能性は軽微であり、進行スピードを遅くする程度の効果しか見込めないと言われました。
最も根治の可能性が高いのは摘出手術になりますが、当然摘出箇所はなくなります。
頭頚部は重要な器官が多く、可能な限り保存する選択を主治医も模索してくれましたが、最終的に「右眼だけなら、左眼があるから、生活に支障はないだろう」と楽観的に摘出手術の判断をしました。
それとRADPRATで治りきらず、それで治ったら儲けもん程度に考え、摘出手術をすることになる可能性をそれなりに考慮していたので、少し残念と思いつつ、あまり驚きはありませんでした。
ちなみに上顎洞癌ステージ4の5年生存率は、久留米大学病院(296症例)のデータ(※)ではstageⅣAで51%、stageⅣBで20%と公表されています。
統計なので、症例の少ない上顎洞癌の数値はデータのとり方で振れ幅が大きいと思われますのであくまで参考としてください。
手術について
摘出箇所は、当初[右眼、右上顎洞の周辺、右鼻腔内]で、深さとしては[中頭蓋底の手前]で脳のギリギリになるため、摘出時には脳外科医が立ち合い、脳を避ける処置を行うということでした。
摘出箇所は欠損となり、該当箇所の肉・骨は無くなり、再建手術(詳細はこちら)が必要になります。
そのため、自身の左脚腓骨を頭蓋の代わりに。左脚太腿の皮膚・肉・血管と左腹直筋付近の肉を右眼のあった場所に持ってきて、皮弁(血流のある皮膚・皮下組織や深部組織のこと)とすることとしました。
また、手術時の判断であり、この時点では予定ではなかったですが、右上口蓋も摘出しました。それによって、右上の歯は右上口蓋と共にすべて摘出となりました。
手術の規模も大きく、早朝から深夜まで掛かるもので、全身麻酔も行う都合上、気管切開(詳細はこちら)も行います。
術後は、しばらく殆ど身動きできず、発話も飲食も出来ない状態になるということになります。その辺りは次以降の記事で書いていく予定です。
手術日(2021年11月16日)も決まり、その入院までに九頭龍大神にお参りという体裁で箱根旅行に夫妻で行きました。
手術自体で死ぬことは原則ない(少なくとも主治医は手術中に患者を死亡させた例はないとのこと)とは言われましたが、可能性は0ではなく、長文で但し書きがされた同意書も書くことになります。
これまでも同意書は沢山書いてきましたが、特に今回は頭頚部だけでなく、脳外科や形成外科など今まで以上に物々しいことが書かれていたので「仮に手術中に死んだら、その時のために色々整理しといた方がよいのだろうか」とは思ったものの、なんだか死亡フラグみたいな気がしたので何も整理することなく手術に挑むことにしました。
次の記事で、術後の詳細を書いていきますが、正直「人生史上ここまで身体的にしんどい状態は初めて…」というレベルの体験でした。