妻との別れ

自分が生きていく中の半生で、正直にあまり自分に対して肯定的に思えないけれど自分の中に抱えていた問題がある。

決して綺麗でもなく、どちらかといえば仄暗い感情になってしまうのだろうか。

子供が生まれたときに妻は体の調子を取り戻す事ができなかった。
その時に家族総出で、医師の話を聞きどうすべきか、相談する機会があった。その中で、自分は妻の家族と話す機会があって、お母さんは重度の双極性障害、妻はその時の診断で、産褥性精神病。健康なのは自分の両親と自分と妻のお父さん。

相談した中で、自分は相手方の両親に一度吠え、やり場のない怒りを感じながら、入院ということでその場では怒りを抑え、これからの天望を一人で少し考える機会があった。

自分の人生が下り坂に向かったのだろうか、妻が虐げられる環境だったのか、妻側の家族環境が悪かったのか。
今でこそ根気強く話、正解を導くために一致団結する状況下で、子供であった自分はただ自分の感情を持て余して、煙草を吸いながら、週刊誌を読んでいた。

あのときの状況を精緻に判断するときに正直自分は、悩んだ。
わかりやすい一番簡単な答えがあったにせよ、それを肯定しながら妻と向き合うこと。別れること。子育てをすること、仕事をすること。
正直に自分はあの状態で、自分たちの判断にせよどこにも非がなく、誰に対しても善意があるという認識で、ただ責任をうけどう認識しようもないただ焦燥感を抱えていた。

若かった、少し極端な判断になった。
多分リミットを決めていたんだと思う。その頃には自分は40を迎える。
その判断故に、仕事を休職し、介護と子育てを始めた。

それが18年前。息子は高校3年生になる。
あのときの一番簡単な判断。自分に対して綺麗事を言わずに素直に、ただ妻の体が弱く、自分に対して非がない。年間に数例のたまたま稀有な人と子供を設けてしまった。
あのときに子供を産める体でなかった。

たったそれだけのことが認められず、自分は身投げをしそれでも生き、時間を重ねながら子供と真摯に向き合い、結果自分は40になる。

ここまでこれたと自分の胸をなでおろし次に向かう息子に精一杯のエールを送る。心にわだかまっていた、くすぶっていた感情が改めて想起し自分は認めざるを得ない状況になった。そしてそれは自分自身の開放になる。

人生で一番愛している人。受け止めてあげることも、許すこともなく、見捨ててしまってごめん。

一番悩んだんだ、自分の判断じゃなかったんだ、誰よりも愛しいつも空気のようにいて、当たり前だった。

自己判断の別れではなかった、自分自身も保たなかった。
ただそれを認めてしまうと、自分自身は今後誰も愛することも出来なくなってしまう。

故に自分なりの規則。人生をかけて最大限に努力し、自分自身を顧みず誠心誠意子育てに向き合いどうか、そのいくらかの達成感の中で、妻に言えるだろうか。やっとこの感情を言葉にできる。

あのとき見捨ててごめん、恨んでもらって構わない。

その後妻の両親は他界し、結果今どこにいるかもわからない。親族の人とは連絡を取れるものの、13年間あっても居ない。
それでも生きている。

幾度あのときに失っていたら、そう思い、記憶の中の妻を想起し、激しい感情に気持ちのゆとりを奪われたか分からない。

ただ自分はどこにも恥じることもなく、すべての事柄に誠心誠意向き合い、人と交わり、人間関係の中で自分を許し、子供の心を受け止め、仕事を愛しやり遂げ、結果どうにも抗えない事情で仕事を失ってあえてまた始めることももうないかもしれないが、かっことしてやり遂げた実感がある。

自分は次に行く、あなたもいずれ誰かと。
もう気持ちの中で決意は決心に変わり、いずれ自分の中で薄れていくだろう。

心のなかに居たであろうあなた、二度とないかもしれない生涯一番愛したことになる人、見捨ててしまってごめん。