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編(へん)なひとたちの変な遺伝子について_ああ、あの頃の私を埋葬したい

卒業式ユニフォームと、まんが『はいからさん』

 今年も、誇らしげに袴スタイルで闊歩する“はいからさん”を見る季節になった。卒業シーズンだ。
 いまや卒業式のユニフォームともいえる袴スタイル、おそらく「主流」になったのは1990年のころ。大正7年の女学生、花村紅緒が恋と仕事に奮闘する姿を描いた大ヒットまんが『はいからさんが通る』(著 大和和紀、『週刊少女フレンド』にて75年から連載開始、77年講談社漫画賞受賞、78年からアニメ版放送)が87年に実写映画化され、主人公を演じた女優が、多くの歌番組で(当時は多かったんだ、歌番組)役の衣裳を着て主題歌を歌ったのだ。それを見た当時の女子大学生が「なにこれかわいい私も着たい!」となり、そこに和装レンタルショップがうまく絡んだーーというのが私の見立て。なんかえらそうに語ってしまったが、ネット検索しても同じことが書かれているので、だいたい合ってると思う。あー、こういう話を書くのは楽しいな。
 私も、仲良しの先輩の袴姿を見て、自分も着るんだー!と、誓ったもんです。

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 でもね、紅緒のアイコンだった「矢絣柄」はね、着用を禁止する大学も多かったんですよ。なんでかというと、大正時代の女学生にとって、矢絣柄はあくまで普段着(だから紅緒はしょっちゅう着てたのね)。いくら時を経た昭和平成とはいえ、卒業式というセレモニーに着るのはマナー違反にあたる、と。

それって戦略? それともただの無邪気なひと?

   でも私の先輩はどうしても矢絣柄を着たくて、事前に「矢絣で卒業式に出席する意味と意義と意志」というふしぎなタイトルのレポートを出して大学側を煙に巻き、敢行しました。「しょせん、いまの時代に袴を着てレトロモダンを気取るのは、一種のコスプレショーでしょ? そこにマナーもなにもないじゃん」というのが彼女の言い分。大学側も対応がめんどくさくなったのか、3年後の私の卒業式でも、矢絣柄を何人か目にしましたっけ。

 前置きが長くなりました。今回は、「編集者になるひと」が総じてもつ、変な遺伝子のハナシです。

    この先輩が卒業して入ったのが出版社と知り、なんだかストンと腑に落ちたのを覚えています。たかが1日だけ、はいからさんになるために大学と交渉し、一部の教授たちに冷たい目で見られても本人はいたってご機嫌。戦略家なんだかただのアホなんだかわからないところに、“編(へん)なひと”になる遺伝子がひそんでいる・・・・・いまならそう思えます。
 私も“はいからさん”を経由し、入った会社は、出版社。
 単純に本が好きだから、本に関係するところ。ガツガツ競争したくないから、元文芸部とかミステリー研究会出身者が多そうなところ。できればすぐにひとり暮らしを始めたいから、初任給はけちらないところ。そして、OB訪問とか企業研究とか、よくわからない仕組みの就職活動を必要としない、一発試験で合否が決まるところーーそれらに当てはまる会社が、出版社でした。
 しかし、いざ入社してみると、「単純に本が好き」なやつなんてほとんどいない! 学生時代のエピソード自慢のトップは「バイクでアメリカ大陸横断」だし(まだ海外旅行や留学がえばれる時代だったのね)、文芸部どころか『装苑』まんまの服を着たオサレ番長はいるし、本は本でもまんがしか読んでないやつもいるし・・・・・・(いまやそいつがコミック畑のボスにおさまっている。そういえば、さかなクンもびっくりの魚オタクもいた。「魚の本、つくりたいんだよね」と目を輝かせて魚の話ばっかりしていたそいつは、いまや図鑑チームのエラい人だ)。

男と、編集者と、パールホワイトの関係

 新人研修の時、某アラサー女性ファッション誌の打ち合わせを見学する機会があった。テーマは、「別冊付録のウエディングBOOK」だったと思う。ファッションにもウエディングドレスにも興味のない私はボーッと聞いていたのだが(←この時点でダメ編集者認定)、30代くらいの男性編集者がしたり顔で「やっぱさ、20代と違ってさ、純白は恥ずかしいよね。パールホワイトとかが気分だと思う」「オフショルダー(の流行)はしばらく続くんじゃない? ブライダルエステとも絡められるし」などと話していた姿はいまも鮮明に覚えている。
 当時の私は、彼を「変なひと」だと思っていたのだが、あれこそ「編(へん)なひと」の正しい姿だというのは、いまなら分かる。
 ああ、当時のなーんにも分かっていなかった新入社員の私を、埋葬したい。(文/マルチーズ竹下)。


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