漫画業界の裏も表も知り尽くす(!?)現場一筋47年の印刷会社営業Kさん
Kさんがついに仕事を辞められた。
Kさん、とは、某有名印刷会社の「元」営業さんである。私が出版社に入社し、最初に配属された漫画週刊誌編集部の担当さんだった。そして、ついこないだまで、担当さんだった。
「ついこないだまで」、とさらっと書いたが、期間はなんと47年! ご本人いわく、その間ずっと、弊社の複数の漫画雑誌を担当されていたという。そんな人、ほかにいる? 業界を見回してもKさんしかいないのではないだろうか(いらしたらすみません)。
47年前といえば1975年。たしか『ビッグコミック』の創刊が1968年、『ビッグコミックオリジナル』創刊が1974年、『ビッグコミックスピリッツ』創刊が1980年だから、なまずのマークのビッグシリーズがぞくぞくと産声を上げる黎明期に弊社の担当になられたわけだ。
漫画雑誌が大人の娯楽として認知、支持され、100万部を超える部数を記録するほど生活に根付いたコンテンツへと成長。やがて2000年にはいり発行部数を減らしオワコンと呼ばれつつも、時代に寄り添った新鮮な作品を生み出す“母”としての役割に比重を置き始め、紙からデジタルにシフトチェンジが進んだ2020年には漫画市場全体で過去最高の売上げを記録・・・・この50年弱の激動の時代を、印刷会社営業担当として、漫画にかかわり続けてこられた。
そんな人、ほかにいる?
Kさんにまつわるエピソードを、ひとつ、書きたいと思う。働き方改革とかコンプラとかご時世を考えるといろいろやばい面もあるエピソードだが、そういう時代だったのだと思いながら読んで欲しい。
当時、新入社員の仕事のひとつに「台割合わせ」があった。副編集長(フクヘン)と新人が組み、一方が台割(ページ番号と内容がまとめられた雑誌の設計書)を読み上げ、もう一方が該当する入稿紙の中身を照合をする作業だ。行われるのは深夜から早朝にかけて。新人はたとえ自分の仕事が終わっていても、これのために編集部にとどまらなければならない。台割合わせが無事に済み、すべての入稿物が印刷会社行きの定期便にのせる頃には太陽が昇り、始発が走り出している。
あるとき、この台割合わせでミスが見つかった。どういう内容のミスで、どのくらい深刻なレベルだったかは覚えていない。私がしでかしたミスだったのかどうかもわからない(そうだとしたら、記憶の奥にしまい込んだんだろうな・・・・)。ただ、いつもおだやかでニコニコしているフクヘンの眉間にしわが寄り、なんなら汗の玉が浮いていたのは覚えている。
フクヘンは数カ所に電話をかけ、何か指示を飛ばし始めた。声がわずかに震え、ときどき裏返っていた。そしておもむろに私に言った。
「◯◯(←私の名前)、Kさんに電話して」
え、いま夜中の3時過ぎてるよね・・・・?
スマホはもちろん、携帯電話もパソコンも、一般的には使われていない時代だ。連絡方法といえば電話かファックス。いやいやKさん居るわけないよ・・・・と思いながらも、鬼気迫るフクヘンの顔が怖くてKさんの会社番号にかけてみる。当然、つながらない。
「あの、いません、だれも出ません・・・・」
フクヘンは3秒ほど頭を抱えたのち、自分で受話器を取り上げ、どこかに電話をかけ始めた。
一件目。どうやら誰も出なかったみたいで、10コールくらいで切った。
二件目。誰かと通じたらしい。話している。こんな時間に?? しかし、相手はKさんではないみたい。「どうもどうも、こんな時間に、ほんと失礼しました~今度お邪魔しますね~」とフクヘンは軽い口調で謝っていた。えーと、相手が誰か知らないけど、すごい失礼で迷惑な電話ぢゃねえか!
三件目。そばで聞いている私もさすがにドキドキしてくる。いったいどこにかけているの? もう4時を回ったよー。
「はい・・・・はい、そうです。ええ・・・・Kさんを探してて・・・・あ、Kさん? Kさんいるのね? 換わってください~」
つかまったのかKさん! ていうかどこで!!
その後、Kさんは太陽が昇る頃に編集部にやってこられ、フクヘンとスケジュールについてピリピリとしたやり取りを行い、数カ所に電話をかけ、さっと出て行かれた。
表情が、険しかった。思わずエレベータ前まで追いかけ、閉まりかけるドア越しに「すすすすみませんでした!」と叫んだら、『開』のボタンを押されたのか、再びドアが開き、驚いた(おののいた?)顔のKさんがひとこと「あなたもね・・・・大変だと思います。この仕事は、大変、です」。
え、これは、私を気づかってくださったのですかKさん? と一瞬おめでたい考えが浮かんだが、よもやよもやだ。
でもKさんには、そう思わせてしまう風格があったのですよね・・・・。
それにしても、あの・・・・・Kさん、いったいどこで捕まった、いや電話がつながったのですか? とおそるおそるフクヘンに聞いたけれど、「ないしょだよ~」と軽やかに話をそらされてしまった。
気になったので、いろんな人に聞き回ったところ、行きつけの雀荘だった。らしい。自分で調べたわけではないので事実か否かはわからない。でも当時の雀荘は出版関係者の社交場だったので、フシギではない。もし違っていたら、Kさん、すみません!! でも違ってないと思う、だって楽しそうに麻雀トークをしているKさん、見たことあるから。
私がこの編集部に在籍していたのはたかだか4年ほどだったけれど、こんなふうに、Kさんがトンデモナイ時間に編集部に呼び出され、トラブルに対処し、さっそうと会社に戻られていく光景になんどか遭遇した。きっと、無理難題もふっかけられたことだろう。なのにいつも髪をピシッとヘアオイルでセットされ、しわひとつない濃紺のスーツ姿で、淡々と私たちに接しておられた。
「勘弁してくれよ!」
「締め切りに合わせてちゃんと原稿を取ってくるのがあんたらの仕事だろ?」
「ちゃんと、っていうのは取ってくるタイミングだけでなく、内容もだよ!差しかえの必要のない、事故のない内容の原稿!」
「締め切りと内容、これがそろって週刊誌は初めて発売曜日に書店やキオスクに並ぶ。それをきっちり毎週毎週守るのがあんたらの仕事!」
――なんてことを、Kさんは、一度も言われたことはない。これらの言葉はすべて、私がKさんに成り代わって、当時の自分に投げていたものだ。Kさんは編集部がパニクってても、いつもクールに背筋をピンと伸ばして対処していらした。
私はあの頃のKさんの年齢をとっくに超えてしまったけれど、Kさんの凄みや問題解決能力を身につけられたとはとうてい思えない。
Kさん、お疲れ様でした。Kさんがもう神保町にいらっしゃらないなんて、なんか信じられないな。
文/マルチーズ竹下
東京の出版社で、生活全般にまつわるアレコレをテーマにした書籍の編集をしている。
20代は漫画雑誌で迷走し、小学生雑誌で編集を学び直し、30代は週刊誌編集部で経験を積む。趣味は韓国ドラマ・・・・のはずが、最近はBTSの動画を観ながら寝落ち。ペンネームは、犬が好きすぎるので。
本づくりの舞台裏、コチラでも発信しています!
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