見出し画像

「プロ意識のある編集者」って? そっとあたりを見回し考えてみた

出版社で書籍編集をやっている、マルチーズ竹下と申します。働くうえで時にモチベを上げ、時に我が身を苦しめる魔法の呪文「プロ意識」について書こうと思います。

というのも、先日、見て(聞いて)しまったんです、こんなやり取りを。都心郊外のドトールで。

「プロなんだからさ、ちゃんとしようよ!」

声のほうを見ると、隣のテーブルに、黒ジャケット姿の女性ふたり。ぱっと見40代前半くらいの女性と、ぱっと見20代前半くらいの女性がいます。仮に前者をAさん、後者をBさんとします。「プロなんだからさ」と言ったのはAさん。言われた側のBさんの表情は、うつむき加減なのでわかりません。でも全身から、投げやりなオーラが漂います。
あ、これは私がよく知っているパターンだ、〝プロ〟の呪いだ・・・・と思った途端、私はこのふたりから目が(正確には耳が)離せなくなっていました。

プロの無駄づかい

Bさんのふてくされオーラにはおかまいなく、一方的にAさんが喋り続けます。
「たしかにあのミスは◯◯さんから始まったけど、あなたがメールもらったときにきちっと確認してたら起こらなかったミスだよね?」
「◯◯さんはあくまで社外の人で責任を取れないんだから、あなたがプロとしてチェック機能を果たすべきだったよね?」
「結果、△△さんを怒らして、こうして謝りに行ってさ、あなたの仕事も倍に増えちゃってそこは申し訳ないけどでも自己責任というか、そこはプロ意識をもって、ちゃんと向き合ってほしいと思うわけ」
「納得いかない部分もあると思うし◯◯さんに言いたいことある気持ちは分かる。でもBはプロなんだからさ、ちゃんとしようよ!」
「編集者としてさ!!」

・・・・わ、同業者か・・・・・! その黒のジャケットは、謝罪スーツか。謝罪帰りのお浄めドトールか・・・・!

そして気づいたらBさんではなく、私のほうが、Aさんの言葉にフリーズしていたのでした(勝手に)。

私もこれ、20代のときによく言われました。
「もう新人じゃないんだから、プロ意識をもって仕事しないと」
「プロとしての自覚をもって。お金もらってるんだから」
「プロとして向き合わないと、いつまでたっても仕事が面白くならないよ」
・・・・・・。そう、プロプロ言われるのは、ほぼ何らかの失敗をしでかしてしまったとき。その記憶がよみがえるから、今でもキュッと、心臓が縮こまるんでしょう。そして当時の私はただ縮こまるだけで、「よし!明日からはプロとしてちゃんとやるぞ!!」的な気持ちにはならず、Bさんのように心にフタをして、早くTSUTAYAで新作ビデオ借りて家に帰りたいなあとばかり考えていました・・・・。

叱咤のはずが、プロの無駄づかい。

反省や発奮の燃料には大してなり得ず、むしろ次に起こるかもしれない失敗への恐怖心を煽り、相手によっては「やりがい搾取だ」「ギャラが見合っていない」「そもそもそういうあなた(上司)はプロとしての仕事をしているのか」と関係性に亀裂を生むだけ、の結果になるうる可能性もあります。

インタビュアーがきれいにまとめようとしたら

でも、Aさんの言わんとする〝プロ編集者たれ〟の気持ちもわかる。
では、プロとかプロ意識って具体的にどんなもんorどういう人なんでしょう?

そこで思い出すのは、ある辣腕芸能マネージャーに行ったインタビュー。氏の凄腕エピソードを探るなか、実父の葬式と所属タレントの大事な記者会見のタイミングが重なり、氏は迷ったけれど葬式には出ず、記者会見に立ち会った、という話が出ました。ほぉ、それはたしかにすごい覚悟・・・・とその場に居た誰もが思い、「〝親の死に目に会えない〟のが芸能界ですもんね、まさにプロ」・・・・とインタビュアーがまとめようとしたら、氏は「うーん」と天を仰ぎ、言ったのです。
「でもさあ、私は役者じゃないしねー、親の葬式だよ? 出るべきだったと今なら思うのよ。妙な力が入ってたんだね! あとでそれを知ったタレントにも気を遣わせちゃったしね。後輩のマネージャーたちには同じことさせませんよ。会見はタレントが出れば成立するんだしね」

いまでもこのシーンはよく覚えています。氏の少ししゃがれた声色とか、急に天を仰いだときの空気の揺れとか、「安易なまとめに走っちゃったな」と焦るインタビュアーの表情とか。そして、最後の一言は私にグサリと刺さりました。
ちょうど身内がシビアな病気にかかり、「もし何かあっても私は発売日を優先して校了作業をしているのかな。それがプロの編集者かな」などと、おろかにも考えていた時期だったので。

頑張りどころと力の抜きどころを見極める

目の前に入稿、校了作業があれば、大きな声で「どなたか~助けてください!」と叫んで協力をあおげばよいと思うのです。著者やスタッフにも事情を簡潔に説明し、理解してもらうよう努めるのです。そのための関係性はふだんから構築しておくのです。そして、自分がいる組織は、ちゃんと声を上げる人に対して心ない仕打ちをするところではない、と信じる!!

それが〝プロの現場〟だし、そういう準備と決断のできる人が〝プロの編集者〟だと、思うのです。

もうひとつ、最近「プロだな」と心の中で舌を巻いたこと。
私と同世代の〝働か(け)ないおばさん〟である同業者が、個人アカウントを開設し、担当本の販促投稿を連日すさまじい量で投入しているんです。去年までは「このトシでSNSやっても事故るイメージしかない・・・・」と腰が引けてたのに、何があったのか?(何かあったのでしょう) しかもひとつひとつのリプにすべて返信ツイートしとる! おそらくもっと効率的なやり方があるのでしょうが、彼女の今もっている知識と技術で、最大限にできることを地道にやってるんだろうな、と想像できます。
だからといって、わざわざ「すごいね、プロだね」とは口に出して伝えません。まじめな人ゆえ、この状態を維持しなければならぬと自分に呪いをかけてしまいそうだから。できること/できないこと、の線を見極め、頑張りどころと力の抜きどころをコントロールする才覚も〝プロ意識〟の一部だと思うのです。

文/マルチーズ竹下

本づくりの舞台裏、コチラでも発信しています!​
Twitterシュッパン前夜

Youtubeシュッパン前夜ch




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?