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言葉にする怖さを、一緒に考えてくれる友人の存在。

こんばんは、背番号9です。

小学校の夏休みの宿題の代表格「読書感想文」は一番最後まで残し、
5教科の中で、一番苦手で避けたかった教科は国語。

テストでの正答が正答と言えないときもある国語は、
心情を読み取ること、自分が思っていることを言葉に表すことの難しさ、面白さを教えてくれる。そんな気がします。


誰かとのコミュニケーションを丁寧に行いたい自分にとって、
テキストでのコミュニケーションは、すごく苦手。思いを伝えることに時間がかかってしまったり、真面目すぎる文章になったり、後から振り返った時に自分が分かるようにしたり。楽観的に考えられればいいかもしれないけど、過去に受けた言葉の暴力をもう受けたくないという気持ちが強くて、丁寧な言葉になってしまう。自分の時間をかけて思いを伝えるスタイルは、ときに言葉にする怖さにつながるときがある。その怖さが過去にないくらい大きなものになっているんだ。


その悩みを誰にも話せない自分の弱さ。

言葉にすることに時間をかけすぎてしまい、相手を焦ったくさせてしまうことで、言語化の恐怖の沼へはまっていく。自信を持って自分の言葉を選んできたはずなのに、その自信が自分から離れていく。そうなると、もう一方的に言葉を浴びるしかなく、返す言葉も単調になってしまうのだ。


そんな自分に光を与えてくれる友人がいる。

怖さを感じたとき、何かに思い悩むとき、ふっと手を差し伸べてくれる人がいること。その存在に心が救われる。一人で抱えたピンチを、一緒に向き合ってくれる友人。ずるずる下へ行きそうになっている自分を、上に引き上げてくれたり、一緒に上へ行ける方法を考えてくれたり。

良くないことが連続したり、
大きなネガティブイベントが目の前に起きたりすると、ポジティブ思考の自分でも、ピンチを過大に考えてしまうようだ。思考回路もマイナスになっていく。

そんな苦しい時こそ、外に話してみること、一歩踏み出して見ることが大事なのだと、今回のピンチで感じた。元々分かっていたかもしれないけど。


今度、近くに行くから話を聞くね。いつでも連絡してきていいからね。

相手にとっては、聞く「だけ」と思いがちな一言が、
怖さや悩みを抱えた当事者にとっては、「だれかに聞いてもらえること」が孤独ではないことを認識でき、怖さや痛みを少し和らげてくれることにつながる。


近くに話せる人がいないとき、
遠方に住みながらも自分を見てくれている人がいること。

それを忘れずにいるだけで、
明日を少し前向きに迎えられるんじゃないだろうか。





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