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闇から光を生む【女神カーリー】


哲学者イマヌエル・カントの「自己の探求」

哲学者の中で「自分とは何か?」を初めて体系的に説いたのはイマヌエル・カントです。

非常に難しい本を書かれた方ですが、簡単に説明すると「自分、自己、我」という意識の根底には理性がある。この理性とは、私たちに何を為すべきかを教える。だから自己、我という存在は、それほど素晴らしいものなのだ、と。

人間とは何かをもっと掘り下げて考えようと、後継者が探求を進めていけばよかったのですが、幸か不幸か、カント以降、科学、資本主義、経済が猛烈に発展して、いつのまにか深い探求が途絶えてしまいました。

マルティン・ブーバーの「混沌とした時代」

やがて、マルティン・ブーバーが出現して、有名な「我と汝」という本を書かれます。ブーバーは「現代人は、自分の生きる世界において、確固とした像を持てない。何が正しくて何が間違っているのかわからない。混沌とした時代に入っている」そのような言い方をしています。

世界は「正と負」に分かれる

それはどのような影響を及ぼすかと言うと、私たちは、自分と似たような考えを持つ人とは友だちになろうと思いますが、自分と正反対な性格を持っているような人たちは遠ざけようとするはずです。

もっとはっきり言うと、自分と似たような考えやライフスタイルや主張を持っている人はプラスに感じられ、そうでない人たちはマイナスに感じられる。そうすると、似通った人たちは近づけたくなりますし、そうでない人は遠ざけようとします。

もちろんプラスかマイナスがはっきりしない人が大半なのですが、この人は自分寄りかそうでないかと考えると、世界は「正と負」に分かれます。当然負の人は嫌な人であり、嫌いな存在で、正の人は好きな人です。

人間の「正と負」の感情

このように自分というものを探求していくと、やがてたどり着くのは自分にとって好ましい人、好ましくない人が自ずと浮かび上がってきます。

それは、自分のここは好きだけど、ここは嫌いというように、自分自身に対しても言えると思います。好き、嫌い、正負というのがたくさんあるはずです。

私たちは生きている間に、人生の中で正の感情を出したり負の感情を出したりしています。

莫大な負のエネルギーの行方

社長が自分のポジションの力で、社員をクビにしたとします。そうすると社長は清々するかもしれませんが、クビにされた社員は負のエネルギーを撒き散らすはずです。その負のエネルギーはどこに行くのでしょうか?

あるいはヒーラーの方が病気の人の体を気で治療する、よく邪気を飛ばすなどと言いますが、その邪気は飛ばしたあとどこに行くのでしょうか?

そこから発せられる想念と感情の負のエネルギーたるや、莫大なものがあります。

役小角が勧請した蔵王権現

そう考えてみると、そう容易くこの地球に平和が来ないのも極めて当たり前ですし、だからこそ中世の時代に役小角(役行者)が、清らかな仏だけでは救われないと言って、蔵王権現という怒りの形相に満ちた仏を勧請したと伝えられているわけです。

清らかだけの仏でどうしてこの世を救うことができようか

と考えたのが役小角です。おそらく空海の心中もそのようであったと思われます。

宗教家、聖女、聖人の深い闇

お釈迦様であるゴータマ・シッダールタが経典の中に残した文章には、悟る前の私の心の中には、鬼、欲望、怨念、毒が渦を巻いていたと、正直に書いています。

それが後世に伝わらずにただ神格化されていった。王族として生まれ、何不自由ない環境で育ったという表現をしてしまうと、私たちは本質を見失うかもしれません。

宗教家マルティン・ルターにしても、自分の中の闇、毒、これをはっきりと見つめたのです。マザーテレサも死の間際に悪魔が自分の中に出てきたと言います。

闇をどのように昇華したらいいのか

私たちが本当に知りたいのは、自分の中にある真っ黒な闇をどうやって昇華したのだろう?どうやったらそんな風になれるのだろう?というのが一番知りたいことではないでしょうか。

私は悟っています、という人の話ではなくて、生きている中で日々起きる悔しさや骨身を断ち切られるような怨念と憎悪と苦しみをどうしたらいいのだろうか?

鬼のようなヒンドウー教の女神

そして、僕がたどり着いた結論を言うと、インドのヒンドウー教の中に興味深い話があります。

その中にすごい形相をした女神カーリーという神様が出てきます。とにかく鬼に近いような神様で、血も滴るような姿で描かれています。

当初これを見た西洋のキリスト教関係者は、カーリーを単なる悪魔じゃないか、どこが神なんだと言った人もいたそうです。しかしパラマハンサ・ヨガナンダはそれに対してきちんと否定しています。

怒りと悲しみで宇宙を創る

さてこの女神カーリーは面白い働きをします。解説では女神カーリーは怒りを持って宇宙を創造する、と書いてあります。これは不思議な表現だなと思います。

そこで独自に解釈してみたのですが、闇というと、男性は怒りが出やすく、女性は怒りより悲しみの方がが出やすいかもしれません。

おそらく女神カーリーは怒りだけではなく悲しみからも宇宙を創るのでありましょう。

宇宙は闇が圧倒的に多い

宇宙は光よりも闇の方が圧倒的に多いのでしょう。地球の歴史を見ても平和だった時代より、戦争や飢饉や不幸な時代の方が圧倒的に長いです。

宇宙の前世と輪廻転生

さて、その発生した怒りと悲しみを持って宇宙を創るとはどういうことなのでしょうか。

宇宙は我々が観測する宇宙の前に、さらに別の宇宙があったと考えてみます。人間と同じように宇宙自身も輪廻転生を数限りなく繰り返している。


わかりやすく言うと宇宙自身にも前世がある。
おそらくその前世も完成されたものではない。

今の宇宙の前には、様々な人間や人種や民族がのたうち回り、志半ばで息絶えていった歴史が数限りなくきっとあるのです。

怒りを希望に、悲しみを愛に変える

そして、前の宇宙で解消されなかった闇のエネルギー、つまり怒りと悲しみ、これをエネルギー源とするというのはすごいことではないでしょうか。

女神カーリーという存在は、怒りや悲しみを愛と希望に変えるのです。ただただ未来に夢を託すことによって、怒りは希望に変わり、悲しみは愛に変わるのです。闇の闇の闇を光の光の光に変えていくのがカーリーです。

闇を光に変える神的原理

僕はここに一つの希望を見出します。深夜寝ている間、闇を光に変える存在があるということに。そして何日か経つと跡形もなく消えて、朗らかな顔ができるというのは、その背後に闇を光に変える神的原理が存在するからです。

ポール・ディラックの「対生成」

ここで少し物理的な話しをしますと、女神カーリーの働きに似た物理的理論があります。

非常に面白い物理学の天才、ポール・ディラックという物理学者がいます。
ディラックの理論は実証できなかったので現在は却下されています。

宇宙というのは負(マイナス)のエネルギーで満ちている
無限に近いほど負(マイナス)がある
そこに強い光が当たるところから物質が発生する

これを「対生成」と言います。簡単に言うと、闇に意志の力を加えると物質が発生する、宇宙ができるということです。ディラックの対生成理論はカーリーに近い…

潜在意識に意志の力を注ぐカーリー

だから女神カーリーは光のエネルギーの塊です。カーリーは光の神シヴ神の奥様です。

私たちが寝ている間に、無限に近い意志力を持ったカーリーは、私たちの潜在意識に入っていって、劣等感や恨みや辛みや残念や怨念などのたくさんの闇に意志の力を注ぐのです。

それは物質的なエネルギーに変わり、ものが生まれ希望が生まれ愛が生まれるのです。

このように考えるとカーリーの働きとディラックの対生成の考えは極めて近いと思います。

直感で宇宙の本質を見抜く天才物理学者

観測不可能となっているディラックの海理論は今日では否定されています。抽象的な量子力学の記号に置き換わっていますが、ディラックの理論は非常に面白いと思います。

物理の世界でも天才と呼ばれる人は、直感で宇宙の本質を見抜いているのです。

悪が善になり善が悪になる東洋思想

難しい理論はさておき、闇からこそ希望と愛が生まれ、私たちの最も恐ろしいドロドロとした部分にも神的な力を降りてくるのです。

日本でいうと阿修羅や帝釈天の働きが該当するのでしょうか。仏教やヒンドウー教の考え方には西洋にはありません。

東洋の考え方は、悪が善になり善が悪になりグルグル回っているのです。ここが非常に面白いと思います。

闇を食べる一次免疫機能

カーリーの闇の克服の仕方は闇そのものを食べてしまうことです。武器で戦うのではなく最後は食べるとは面白い表現です。

免疫にも一時免疫や二次免疫があり、一時免疫というのは元々備わっている免疫です。簡単に言うと一次免疫というのは敵を食べてしまう、二次免疫は戦って倒す。

一時免疫で済めばいいのですが、その大半はの働きは唾液と胃液です。しかしカーリーは闇を食べて光を生む。

消化器系を使って闇を食べて光を生む

食べるとは免疫のように戦うというイメージではなく、消化、吸収、代謝していく働きです。カーリーはどちらかというと消化、吸収、代謝の働きです。

どういうことかと言うと消化器系を使って闇を退治していくという働きです。つまり水の力を用いて闇を完全に消化、吸収、代謝してしまいます。

水の不思議な働き

水は不思議です。色々なものを溶かし込んでしまいます。特に胆汁は洗濯機のようにぐるぐるかき回す。

私たちの消化、吸収、代謝の力を上げようとしたら水の力が必要になります。実際に水をたくさん飲むことによって毒素が毒で無くなっていきます。

毒も間に水があれば生体細胞に悪さができません。しっかり水分を採って闇と戦うと、体に炎症反応が起きます。

炎症反応は敵にも働きますが自分にも働きますので、炎症反応を和らげるために水の働きが必要になってきます。

火と水の正しい使い方

水の働きで他人に及ぼしていく。では火は何かというとむしろ自分自身に使う。

火を他人に向けると人を責めたり人を蹴落としたりする方向にいきがちです。意欲が満々の時は人に要求するのではなく自分がヘトヘトになるまで頑張る。

他人に対しては水の力を用いる。これが火と水の正しい使い方ではないでしょうか。

2020年12月7日 Dr.Shu 五島秀一(撮影協力 足立療術院)

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