見出し画像

一期一会

金子兜太。2018年2月20日、98歳で生涯を終えた。私が会ったのは2010年6月2日、梅雨の合間のある晴れた日に、埼玉県熊谷市にある金子さんの自宅を訪ねた。俳人小林一茶の句の解題をしてもらうためだった。当時在籍していた朝日新聞土曜週末版別刷りbeに「サザエさんをさがして」という欄があった。長谷川町子さんが載せた4コマ漫画の中にあるキーワードから深堀りして記事にするという企画だ。下調べで、私は「汚れ猫 それでも妻は 抱きにけり」という小林一茶の句を見つけた。これで金子さんに会える口実ができたと心中、快哉を叫んだ。金子さんは俳句の実作者であると同時に小林一茶の研究者であったからだ。

顔を見ると、「よく来たな」と野太い声で第一声。あいさつもそこそこに、この句を見せると兜太さんは「おれはこの句を知らねえな。ちょっと待っていてくれ」。腰を浮かせ、転がるように書庫に向かった。足取りの軽さに目を見張った記憶がある。なにしろ90歳だ。
大きな資料を抱えて戻ってきた兜太さんは、ほおそうか、と独りごちながら解説してくれた。一茶は丹念な日記を残していた。日記を読みながら教えてくれた内容はこうだ。

一茶は57歳で初めての結婚をする。相手は27歳だった。嬉しさが弾けるような記述がある。某日二交、某日三交と房事の記録がきちんと丹念に記されている。とってもご機嫌な一茶は、淡々と目の前の妻と猫の光景を写実的に詠いながらも歓びがあふれてきている。

内容も面白かったが、兜太さんの語り口にぐっともっていかれた。江戸弁のような切れのいい喋りと笑い声がなんとも魅力的だった。
仕事に必要な取材は終わったが、帰りたくなかった。もったいなくて帰れない。もっとここにいて、兜太さんの言葉のシャワーを浴びていたい。思いつくだけの四方山話、世間話をしばらくは続けていた。そしておもむろに兜太さんは口を開いた。
「おれの雑誌の編集を手伝ってくれねえか」
「道程」という名の兜太さんの同人の雑誌を任せると言うのだ。俳句も詠んだことはない初対面の自分に任せるというのだ。おそるおそる理由を尋ねると、「あんたの自由な雰囲気が気に入った。一緒にいると気持ちがいい。そんな直感だ」と。唐突だがうれしかった。身に余る光栄ともいうのだろう。
「おれはいま90歳だ。最低あと3年は生きるぜ。よかったら考えてみてくれねえか」

雑誌を携えて、兜太さんの見送りを受けて外を歩くと夕方に近いのに、空は真っ青だった。

結局、そのタイミングではお断りをした。その当時やっていた仕事が面白かったからだ。面白がって仕事をしていた自分を兜太さんは気に入ってくれたのだ。

数年後、職場が変わって、金子さんにあの話はまだ生きていますかと尋ねると、「悪いな、あの話は別な人に頼んだ。でもあんたとは縁は切らない」。兜太さん流のかっこよさにしびれた。

さらに数年後、自分の勤務地が埼玉県になった。すぐに声をかけ、会いに行きたかったが、しばらく時間が経ってしまった。ようやく、手紙で、金子さんの語りおろし記事を書きたいと伝えたはずだった。投函してまもなく、兜太さん危篤の報が入った。
四の五の言わずに会いに行けばよかった。あんたに会いたいから来たで、行けばよかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?