「エモい」 とは。
毎度、流行語をすぐに使うのは、小恥ずかしい気がして流行語っぽいものはすぐにイジったり、わざとぎこちなく使ったりしてしまう。
そして、だいぶ後になってから自然に使うようになる。
そして大概、その時には次の新しい言葉が生まれてたりする。
最近、「エモい」という言葉がやっと馴染んできた。
「エモい」とは、
エモいは、英語の「emotional」を由来とした、「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動き」[2]などを意味する日本語の形容詞。感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき[1エモーショナルい。という意味で見た人の感情を奮起させて、揺さぶることらしい。
「エモい」という言葉が流行ったとき、「エモい」と言われるものをみても、正直なにがエモいのかよく分からなかったが、少しずつ分かってきた。
この画像はどうやら、「エモい」らしい。
やっぱりよく分からないが、どこか「懐かしさ」を感じる。
エモいとは懐かしさが必要なのか??
また、「エモい」とは画像だけなく、文章にもあるようだ。
「エモさ」について言及しているnoteを見つけた。とても面白い。
ここに記載しているのは、エモい文章とは【固有名詞】×【日常性】で作れるらしい。
「映像が思い浮かび、追体験したような気持ちになる」
とエモさが出てくるらしい。
だが、単に固有名詞を羅列するだけでなく、どの固有名詞を使うかもエモさの加減が決まるという。
例えば、
「中央線沿いはエモいけれど、代官山はエモくない」。
でも、「六本木通りから一本入った」、「有線が流れるホテル」だと、エモくなる。大事なのは、華やかさと日常感のバランスだ。
「お酒」という言葉だけではエモが足りない。ワインも違うし、カルアミルクでもなく、選ぶべきはハイボールらしい。
とあるように、「日常」やどこか「懐かしさ」を感じる固有名詞でないと「エモい」ではないらしいのだ。
また、筆者によると固有名詞が逆に細かすぎると、文脈を想像できないらしいのだ。
となると、エモい文章を書くには、それなりに意識して作る必要があるのではないか。
そして、「エモい」の真反対にある「モスト オブ エモくない文章」は、「にほんむかし話」ではないだろうか??
まず、定型的な文章・物語の始まりが
「むかし、むかし、ある所におじいさんとおばあさんが居ました。」
である。
固有名詞もへったくれもない。
つまり、日本で最もエモくない「にほん昔ばなし」は、エモさを加えれば、アップデートできる可能性があるのだ。
例えば、桃太郎。
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
⇒1981年、東京都新宿駅汐留口から徒歩2分、新井敏文(79)と船岡登美子(76)が暮らしていた。
おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。
⇒日曜日の午後14時、台所に放置された温いエメマンを勢いよく飲み干した敏文は「いってくる。」とだけ言い放ち、山へ芝刈りへ、登美子は最近、商店街のクジ引きで当たったソニーのヘッドフォンを外し、近くの川へと洗濯に向かった。
おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。
⇒登美子は洗濯をする前、いつもの決められた大きな石に腰をかけ、シワシワの左手でマルボロをふかす。ボーっと川を眺めていると、川の流れに沿うようにドンブラコと大きな桃が流れてきた。
「おや、これは良いおみやげになるわ」
⇒「敏文さん、桃好きだったっけな。」小声で呟き、マルボロの火をそっと消した。
どうだろうか。少しはエモさが増したかとおもう。
「エモい」を習得した気がするので、今後は積極的に使っていこうと思う。
END
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