音大出てない自分が音楽の世界になんで飛び込んだの?飛び込んでみて感じた事(その2)
前回の続き。
2年間の専門時代を経て、フリーランスとして活動をはじめる。ここでまた1つ壁にぶち当たる。
「仕事がない」
音楽の世界は人の繋がりで仕事が回る。
自分にないのは演奏家としての
「経験値」と「人脈」
だった。
幸いにも専門学校に通ってたときから学校の指導の仕事を少ししていた。初めての「仕事」は、大学時代の部活の先生からとある学校のテューバの指導をお願いされた。でも毎日でも無く、毎週でも無く、たまに。
仕事としては全く成り立ってなかった。
今でも覚えてる。一番最初にやった指導の仕事は1日拘束、交通費込で
「5000円」
右も左もわからない自分に、そして経験値も実力もない人間に5000円の価値をつけてくれた。と思っていた。その話をとある飲み会の場で話したら笑われた。
初めての仕事は交通費を精算したら手元に残るのは2〜3千円。レッスン時間を考えて時給換算するととんでもない金額だった。でも、何もない自分にとっては大切な「仕事」だった。とにかく本気でやった。(今も指導の仕事は常に本気)
赤字の現場もあった。でも辞めなかった。そんな自分の姿を見て、バカにしてくる人ももちろんいた。学校に指導に行くことを「小遣い稼ぎ」とか言って見下してる人もいた。オーケストラの客演などの演奏の仕事以外はプレイヤーとして成り立ってないと言う人もいた。
演奏する仕事なんかもちろん無かった。オーケストラの客演なんか夢のまた夢。
自分が描いていた卒業後の人生とは大きくかけ離れたスタートだった。
居酒屋で夜中までバイトして、楽器を練習、またバイトして、また練習。
こんな日々が続いた。
「あれ?自分ってなんのために練習してるの?」
「自分のやりたい事ってなんだっけ」
そうやって思ってしまった。
自分の考えていた将来と全く違う人生になっていた。
自分の価値を見出だせなくなり不安になった。精神的に参ってきて、楽器も触りたくなくなった。練習する意味もわからなくなった。
色々考えてるうちに1つ思った。
「自分の価値(ブランド)はなんなんだ?」
経験値と人脈が無い自分に必要だったのは、仕事を引き寄せる「ブランド」だった。
「なりたい姿を考えよう」
少ない指導の仕事をしていく中で、自分の価値を考え出した。
そんな中、とある学校の先生が嬉しい一言を言ってくれた。
「和久井先生に見てもらうと上手になるんです!」
この一言で自分のブランドを見出した。
「上手くなる指導ができるプレイヤーになろう」
指導の仕事をしていると「上手いけど教えられない人」がいると聞いた。上手いのに教えられないってあるのか?って思ったが、実際にそういう人もいるみたい。
「教える事を上手になって指導の仕事を沢山できるようにしよう。」
「自分が経験したことを生かして、どんな場面でも上手に出来る指導を目指そう。」
そう思った。
他の人が安すぎると言って引き受けなかった指導の仕事を引き受け、とにかく数をこなした。そうすることで指導者としての「経験値」を蓄えていった。赤字でも何でもとにかくやった。赤字の部分はバイトして補填すればいい。それくらいに思って本気で向き合った。
でも演奏家の人は演奏するのが仕事。演奏家としての経験値と人脈がない自分が演奏するのは指導する現場で蓄えていこうと考えた。
「子どもたちの前で音を聞かせ指導するのも立派な演奏」
そう思うようになった。
指導者としての経験値は卒業してから人一倍蓄えた。
他の人に無いものを見つけるように考えたら、必然的に練習する目的も見出した。
どんな練習をしたらどういう変化が起きるかを自分で実験をして、指導の現場に生かす。それの繰り返しをしてる。
気づいたら、自分に無いと思っていた「人脈」も作り上げていた。学校の先生同士の話の流れでテューバの指導をお願いされたり、先生の異動先で私を指導に呼んでもらえたり、指導先で一緒になった他の楽器の先生からお話を頂いたりなど様々な「人脈」を作っていた。
自分の生きていける「場所」見つけられてきた。そんな現在。
大学時代に漠然と「音楽をやろう」と思ってから自分のブランドを作り上げるまで、嫌な思いも辛い場面も沢山あった。
オーケストラの舞台で演奏することも出来るようになった。満員のお客様からスタンディングオベーションをもらう演奏会にも参加出来るようになった。
スタジオで録音の仕事もやれるようになった。自分の音がCDに残っている。
私が音楽の世界に飛び込んで感じたものそれは
「諦めなかったら何か生まれる」
オーケストラのテューバ吹きが成功者だと思っていたが、色々な生き方もできる。音楽に関わっていることに違いはない。諦めずに何かを探していけば、必ずその世界で生きていく「場所」を見つけられる。音楽の世界に来なかったら、何をしていたんだろう…と想像もつかない。
自分の価値を見出すきっかけを作ってくれた沢山の生徒たちに改めて感謝している。これからも演奏家として、指導者として生きていくために色々な「経験値」を積み上げていって自分の「ブランド」を作り上げていきたい。
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次は自分のもう1つの姿「吹奏楽指導者」になったワケを振り返りながら書こうと思う。
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