諦念退職①

「だれ一人として自分を人として見てはいなかった。」

最近感じていた違和感に対してやっと言葉が伴ってきた、今はこんな感情を抱いている。

「自分が必要とされている」というよりもむしろ「自分が機能や肩書きの側面のみで見られている」風に感じることが多くなってきたのである。実に気持ちが悪いし吐き気がするがこれはnoteに書かないと現実世界の自分が消えてしまいそうな気がするので書き残すことに決めた。

(読みたくない人はここで終わり。)


先月から就活生としてスタートラインに立って企業のインターンのESを書いていて、自分はスキルや能力面、さらには所属団体での役職など、肩書きや機能的なことについて問われることが多くなって淡々とそれを文章化して答えていく作業が始まった。

大学での講師のアルバイトも「自分が」人に教えているというよりかは、「講師っぽい頭のいい先輩大学生」として人に見られ、また自分もそれになりきっていた節があった。(そこでの「自分」はまるでいないような感覚)

最近出てきた不登校youtuber?みたいなやつも正論かましているようで、自分には小学生としての機能を消費するロボットみたいなように見えていて、視聴していた動画も気持ち悪くなってすぐスワイプして消してしまった。


でも周りの人はそんな現状が楽しそうで楽しそうで、幸せそうだった。そこに憧れ嫉妬している自分もいるのかもしれない、でも周りの人は思考の視野が狭いだけなのかなと思う。だって会話をしていても概念的な話になるとすぐ会話をシャットアウトしたがるし、タピオカとかプリクラとかスマホゲームとか酒とか....そんな話しかしないし、かといって真面目な人も低次元の話しかできないし、こんな現実世界にはお手上げっすわ。


このnoteのリアクションが良かったら続き書きます、リアクションがなかったら自分の考えていることが間違っているってことになるんでその時はこのお話はこれで最後にしたいと思います。

ご精読ありがとうございました。