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「仕事あっての自分」「肩書きだけが自己紹介」 そんな人生にさよならして“幸せ”を始めるには【クーリエ・ジャポンからの抜粋-Vol.190】

「人間の想像力、脳、心といった本能的な自己活動が、個人から独立して個人に作用する」と、マルクスは1844年のエッセイ「疎外された労働」で書いている。

私たちの大部分がマルクスの説明に当てはまる行動をとっている。懸命に働き、成功しようと努める多くの人々が、「よくできた機械」として、そして「パフォーマンスの道具」として、自らを「客体化」(モノ扱い)しているのだから。

私たちに用意されているのは、喜びのない成功と届くはずのないゴール……そして、その後に必ず待ち受ける悲劇的な転落人生だけ。幸せになるには、自らを縛るこの鎖を断ち切ることが必要だ。

人間はあらゆる点で簡単に自分を「モノ化」できる

自分をモノ扱いすることは幸福度を低下させてしまう。たとえばある研究によると、私たちが他人からの視線やハラスメントによって身体的特徴でしか評価してもらえない場合、自信や仕事能力が低下することが明らかになっている。

2021年、学術誌「フロンティアーズ・イン・サイコロジー」で、3人のフランス人研究者は、働く人の「道具として扱われている」、「人として認識されていない」という感覚に基づき、職場での客体化レベルの指標を発表した。

研究チームによれば、職場での客体化=モノ扱いは、燃え尽き症候群や仕事への不満、うつ、セクシュアル・ハラスメントを招く恐れがある。これに比べて判別しづらいうえ、同じくらい有害なのが、モノ扱いする側とされる側が同一人物である場合だ。

容姿、経済的地位、政治的立場など、人間はあらゆる点で自分を客体化できる。しかし、これらの要素すべてを突きつめれば、その核心には有害な行動──自らの人間性を一つの特徴に単純化してしまうこと──が潜んでいる。

多くの人が職場でのパフォーマンスや地位によって、自らの価値をポジティブにも、あるいはネガティブにも決めつけてしまっているようだ。

私たちは自分自身に対して、マルクスの言う無慈悲な支配者になり、容赦なく鞭を振るっては自らをホモ・エコノミクスとして見ることしかしなくなる。

そして、避けようのない終わりがやってきたとき、心は空っぽになり、干からびたまま取り残されることになる。

愛するべきは、成功した自分のイメージではなく本当の自分

マーシャル・マクルーハンの1964年の著作『メディア論 人間の拡張の諸相』(みすず書房)に、「メディアはメッセージである」という有名な一節がある。

マクルーハンは、有名なギリシャ神話のナルキッソスを例に、彼は自分自身に恋をしたわけではなく、自分のイメージに恋をしたのだと指摘した。これは、私たちが仕事で自分を客体化してしまう場合にも当てはまる。仕事は私たちのメディアであり、私たちのメッセージとなる。私たちは実生活のありのままの自分ではなく、成功した自分のイメージを愛するようになる。

どうかこの過ちを犯さないでほしい。あなたはあなたの仕事ではないし、私も私の仕事ではない。あなたが歪んだ鏡像から目を離し、充実した人生と本当の自分を味わう勇気を持ってくれることを願う。

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