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日本で、安楽死は認められるべきなのか?【クーリエ・ジャポンからの抜粋-Vol.139】

「安楽死大国」と称されるヨーロッパの最新データを紹介したい。

スイスでは、2018年に1176人が自殺幇助で亡くなっている。スイス連邦統計局(OFS)によると、全体の死者数が6万7088人であることから、約50人に1人が致死薬を利用している計算になる。その数は、2010年の352人から約3倍に伸びている。

ベルギーはどうか。2017年以降も毎年、安楽死による死者数が右肩上がりで、2019年には2656人に達した。2002年に安楽死法が可決されて以来、この国では合計2万2081人が安楽死を遂げていることがわかった。

さらに、これらの国以外にも世界中で「死ぬ権利」を主張する国が出てきた。

2016年6月、カナダで自殺幇助が制定された。同国保健省によると、2017年6月30日までの1年間で、1982人が安楽死をおこなったという。議会予算局担当者は2020年2月、自殺幇助が認められてから、医療費が8690万カナダドル(約71億円)削減されたという報告書を公表した。

アメリカでも変化が起きている。自殺幇助がおこなわれていたのは、5州(ワシントン、オレゴン、カリフォルニア、コロラド、バーモント)とコロンビア特別区のみだった。しかし2021年8月現在、そこにハワイ、メイン、ニュージャージー、ニューメキシコの4州が加わり、「End of Life Option Act(人生終結の選択法)」の導入を実現している。

安楽死は「幸せな最期」なのか

見ての通り、世界中の先進国で「死ぬ権利」を求める動きが加速している。人は誰もが、痛みの伴わない最期を迎えたいと願っている。この認識は、古今東西で共通している。

安楽死とは、患者だけの問題ではない。患者を取り巻く環境を知ることなく、安楽死を美談で済ませることはできないだろう。

スイスで自殺幇助を受けたスウェーデン女性の元夫は、元妻が安楽死したことについて、「もう悲しくはない。彼女の死はひとつの事実として刻まれている」と答えた。彼女との過去を引きずることなく、新たな人生を送っているようだった。

アメリカのオレゴン州で取材した元医師は、前立腺癌が進行し、2019年12月に亡くなった。ホスピスに32年間勤務した彼の妻は、当時、自殺幇助の必要性を信じていなかった。その彼女の心境に、現在、変化が訪れていた。

「終末期患者は、ホスピスで治療を受けていれば充分だと思っていた私が愚かだった。(自殺幇助の)自己決定なんて意味がないと思っていた。私は間違っていたようだわ」

残された遺族の大半は、家族が死期を早めたことについて、悔いがないように思えた。だが、患者を安楽死させる医師たちは、必ずしもそうでなかった。

日本における法制化

日本では、そもそも安楽死が違法である。欧米諸国が長年の議論で導き出した安楽死への法的、または医学的プロセスが、日本には用意されていない。

欧米は個を尊重する社会で、「死んだら終わり」という考えに基づく。しかし同時に、個人が選択する死が憚られることも少ない。一方、日本は「死んでも生き続ける」という観念や願いがあり、死を自己決定すること自体が難しい。これが、欧米と日本の決定的な差だと思っている。

もう一つ、日本では「周囲のサポートがあれば、安楽死を考えない」という患者にも出会ってきた。つまり、安楽死を選ぶ動機は、肉体的というよりも精神的苦痛の比重が高いことを意味している。日本人が安楽死法制化を求めたり、スイスに渡ろうと考えたりすることは、正しい判断とは思えない。

患者だけでなく、医師や遺族も納得できる最期が安楽死だと断言するには、もうしばらくの年月が必要になる。短絡的な議論で欧米の制度を真似ても、価値観の異なる日本では、悲しみや悔悟の念を抱く人たちが増えるような気がする。

現時点で重要なのは、日本独自の死生観の探究だろう。安楽死の是非論については、その理解を深めた上で始まることだと考える。人には人それぞれの生き方があり、死に方がある。誰もが納得できる「良き死」など、日本に限らず世界にも、実は存在しないのかもしれない。

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