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路上販売とSNS

20歳くらいの頃、繁華街の路上で自作のイラストポストカードなどを販売していたことがあります。イラストレーターになりたいけれど自分の絵をどうやって世の中に広めればよいのかわからずにいた時、手軽に始められそうという理由ではじめた事でした。

まったく無名である僕の絵を見て道行く人が足を止めてくれて、さらにはお金を出してくれる人までいるんだという事に衝撃を受け、嬉しくなってしばらくのめり込みます。


知らない人からの評価や視線

はじめの頃こそ「絵を見てくれて嬉しい」とか「絵で誰かと繋がれるなんて素敵だ」と純粋無垢に楽しんでいたのですが、続けるうちにいつしか「今日はいくら売れた」とか「もっと多くの人の目を惹くにはどうすれば」などとビジネス的な(おままごとですが)事を考えるようになり、売上の数字や人の視線の数で自分の評価を計るようになりました

その考え自体は悪いことではないのですが、道行く人はお互いに誰とも知らない関係です。ただその時たまたま通りがかった人。向こうからすればたまたま通りがかった道で絵を売っている知らない人。そんな関係(というか無関係)の人たちにどう思われたいか、評価されたいか、そんな事に囚われだしている事に気が付き、「何か違う」と感じて立ち止まりました。

違和感を覚えたのは、自分が「とにかく誰でもいいから見て欲しい」と思いはじめていた事。見ず知らずの人たちからの評価を気にし過ぎ、振り回され、気がつけばただやみくもに売上の数字を追うような作り方になってしまいました。そうなると作る楽しさや喜びよりも頭を抱えることの方が多くなってきます。悩んだところで相手は知らない人たち、どうしようもありません。自分が目指していたのは果たしてこんな状況だったのだろうか?


見てもらうのに必要な姿勢

イラストレーターになりたいのであれば、ちゃんと見てもらうべき人に絵を見せなければいけない。そう思い立って路上販売を辞め、はじめて個展を開きました。ギャラリーを借りて、見て欲しい人に招待状を出し、足を運んでもらう。作品をちゃんと見てもらうにはそれ相応の環境を用意し、自ら呼びかけるしかない。僕にはまずその姿勢が必要なのでした。自分の絵だけしかない空間の中で出会い、話をして得られたもの、評価、激励、人との繋がり、それはすべて今につながっています。

誰でもいいから見てくれ、僕を見つけてくれという姿勢で路上販売を続けていてはもしかしたら結局僕は何も得られなかったかもしれません。たくさんの人に見てもらうのではなく、誰に届けるのか。見て欲しい人に丁寧に伝える事、あの時の僕にはそれが大切だったんだなぁと。


何かちょっとSNSと似ている

今は路上販売なんかしなくてもSNSという手軽で便利なものがありますが、誰とでも簡単に繋がれる、評価がもらえるという良さがある反面、数字だけを追い求めすぎた時、どこか希薄さのようなものも感じてしまう事もあります。もちろん可能性は無限にあるので使い方次第なのでしょうが、たまにそれに振り回されそうになる自分もいるのは確かです。

路上販売とSNS。全然違うかもしれませんが、何かちょっと似てる部分があるかもと思い、今回の記事タイトルとなりました。いろいろ書きましたが、どちらも楽しくやる事ができれば良いのかもしれませんね。というお話。

(※ちなみに勝手に路上販売するのは違法なので、けっしておすすめしているわけではありません、やめときましょう。


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