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コーチの社会分析 Note【アンラーンⅡ・間違いだらけのキャリア教育を解説するシリーズ⑥】

「急激に変化する世界では、学習するものが世界の後継者となる。一方、すでに学習を辞めてしまった者は、自分の力を発揮する世界がもはや存在しないないことに気づくだろう」(哲学者 エリック・ホッファー)

バリー・オライリーはその著作の前段において、優れた人々の支援をしていく中で改善を妨げている要因に気が付いたとし、
 
新しいことを学ぶ能力ではなく、一度は効果があったものの、今は成功の邪魔になっている考え方ややり方を捨て去ることが出来ない
 
という発見を記しています。未来を獲得するという目的に対して阻害要因になるのであれば、容赦なくその過去の経験や知識、手法を捨て、新しい考え方、行動へと改めていく。
 
前回はこのアンラーンのスタートを確認しましたが、想像以上に反響があり感謝です。そして今回は、オライリーの著作を読み解きながら、アンラーンの入り口に触れていきたいと思います。

☆アンラーンのサイクル

崩壊を引き起こすのは、実は組織ではなく、それを率いる「個人」だ。
 
ハリー・オライリーは過去に執着せず、新しい技術を取り入れ、異なる状況に順応し、成長への自己投資を欠かさなといった偉大なリーダー達に触れています。その鍵が「アンラーンのサイクル」をいかに回すかということ。
 
日本人は思考も縦割りになりがち(社会と学習環境による刷り込み)なので、アンラーンというワードに対すると文字通りの「壊す」ようなイメージを抱きます。この類型がおそらく一時期流行って、すぐに廃れた「手放す」というワードで、その行為自体が目的化し、失敗した典型事例といえます。もちろん実際には

アンラーン(脱学習)⇒リラーン(再学習)⇒ブレイクスルー(突破)

そしてまたアンラーンに戻るサイクルを身に着けていくことが「目的」ですので、このブレイクスルーによって達成したい目的や目標。その為の再学習というセットがもれなくついてきます。
 
当然、このサイクルに何を投入するか?は、自分の願望や求めている結果によって変わる。このハリーの言葉に異論がある人はいないことでしょう。

☆ヴィジョンと価値観と

実際、今回の連載では本当の意味でご活躍されているキャリア支援に関係の皆さんからよい反響、メッセージ等を頂いていますが、この「何を?(WHAT)」という問いと、その真のGOALである「目的」の言語化はとても大切です。
 
よくキャリア支援者が「〇年後にどうなっていたい?」という問いを安易にします。高校生や大学生はもちろん、社会人だってこの問いにパッと答えられる人は少ないものです。結果、支援を希望する人自身がこの問いに対し答えられない、未来を想像できない自分に対して何か「責める」気持ちになってしまう。そんな状態でよいキャリア支援が出来るわけがありません。
 
先日、僕はこれまでのフィードバックシートを整理していたのですが、その時にやはり「未来を思い浮かべられない自分にうしろめたさを覚えている」クライアントさんのシートがありました。
 
このクライアントさんはセッションの中で「今、大切にしている価値観から明日どうしたいを考える」という言葉に頷き、明日こう「在りたい」私でいられるように、やりたいことが出来るように。そんな日々を積み重ねていき、今は「未来を描ける」人になっています。
 
いきものがかりの ~ハジマリノウタ~ は、まさに価値観で歩んでいく人が辿る道の情景を描く歌だなと思っています。そこに

「遠く見えた空は澄んでいて うたかたの日々に迷わんとした 揺るぎないこの胸の真ん中の想いを託して 想いを信じて 僕はただ明日を見て歩こう たとえそこに願い届かずとも。変わらないあの日の言葉だけを、この手に抱えて この手に抱えて」

「僕が生きた証を残そう それをいつの日か夢と名付けよう つつましくも意味の在る証を 意味ある夢だと 確かな夢だと 僕は今を信じて歩こう たとえそこに祈り叶わずとも 生まれゆく全ての言葉達を この手に抱えて この手に抱えて」
 
という対の歌詞があり、迷いながら進んだ最初と今から言葉があふれだしてくる後者という進捗のプロセスが表現されています。クライアントの方がそうであったように、誰もがそうなんだと感じながら僕は聴いています。
 
私たちは、願いが届かなくても、祈りが叶わなくても進んでいく。そして、その一歩の価値をわかちあえる私達である・と信じて良いのではないでしょうか?

☆アンラーンへの気づき

私が私を大切にしよう。そう日々を過ごす中で自己認識を深め、自分自身を許す。そして自分を客観する自分が生まれ、本当に自分に必要かどうかというモノサシを自分へと当てたときに

「手放せるものが多かった。手放したら今までは見えなかった、気づかなかった世界が見えてきた」

とそのクライアントさんのInstagramではポストされていました。この体験やプロセスは、まさにアンラーンなんですね。「強くない」とさらけだせる自分であるならば、暗く濁った闇に灯りが灯る。そんな始まりにもなるのもまたアンラーンの特徴です。
 
バリー・オライリーもアンラーンの条件として「自分の弱さを認める姿勢」を必須としていますし「成功は罠になりえる」とも書いています。
 
つまり失敗しないからやる、成功が約束されているからやるでは、そもそもアンラーンではない。安全地帯にいて進歩がない状態に他ならないということです。このあたりはまさにこのシリーズの④(上記リンク)で触れたピョートルさんのいう「公務員の真逆」であることが必要というわけです。
 
そのうえでアンラーンを進めようとするのであれば、小さな一歩をきちんと実行する。そして、自ら(もしくはコーチ、パートナー)その進捗を確認していくことが効果的です。
 
企業が行うカタパルト(急速な変化と成長への挑戦)式は、TeamBox のような適切なパートナーと高い対価を用いてトライするものです。ですが、個々人では出来ないかどうかと言えば、アンラーンは、先のクライアントさんのようにコツコツと日々を積み重ね進んでいく。そこで、誰にでも起こりうる、可能性の高いプロセスでもあるわけです。
 
その為に、出来る環境づくり。何よりも自身の行動を阻む障害を取り除いていくこと。それを物心両面できちんと作る。あるいは支援をしてもらう。そこから生まれる人生への対価は、きっと計り知れないことにすらなりうるかもしれません。僕は信じています!
 
では次回に!


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