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日々の雑感 day57【本当の目的論② ノーサイドの考え方(Mindset)。敗者として勝者に手を差し出せるか?】

*前回はこちら。

☆社会起業家の感性とノーサイド

一方で、日本でも僕の知る方々。

社会や世の中を見渡して日々を過ごしている方々の考え方(Mindset)は明らかに違います。

自分と同じような挑戦をしている人が世界のどこかに必ずいる。
そのことをきちんと認識していて、オープンに門戸を開いています。
そして、そんな人々とのコラボ、あるいは自分以外の誰かが社会に対して素晴らしいインパクトを与えるような事業やプロジェクトを達成させた時には、自ら手を差し伸べて祝福し、社会や世の中にとって良かったと感じることが出来ます。

もちろんちょっぴり悔しい気持ちもありますが、そこに拘泥するよりは、自分や自分達が次に目指す Mission に向き合ったり、達成され、成果をあげた事業をより加速させる為の協業をするといったケースが圧倒的に多いでしょう。

スポーツ選手の試合後に讃えあう姿。NO SIDE のホイッスル。

私達はよく混同してしまうのですが、勝ち負け自体が「目的」になることはありません。自身を向上させる、相手との関係性を育んでいくといった「目的」の為の「目標」に過ぎません。

サッカーのボトムアップ理論で著名な畑先生は、その講演を拝聴した際に

「監督が指示をすれば勝てたのではないか?と問われる時があります。試合を見ていて自分もそう感じる時もありますが、監督が指示をして目先の1勝を得る代わりに、子供達が生涯を通じて失いかねない大切なものもあるのです」

と語られていて、感動したことを覚えています。
この点でスペインのビジャレアルで若い子供達を導いている佐伯コーチも同じことに触れられていますが、スポーツは試合に勝つ事、プロになることが勝者であり、それ以外が敗者ということではありません。

つまり、スポーツにおいてもその「目的」とは「生き抜いていく強さ」や人格、品格といった人としての成長を得ていく事に他なりません。

この点で大正時代に日露戦争の英雄であった秋山好古・北予中学校校長(元陸軍元帥)が同様のことを述べ「生徒は兵隊ではない」とその個性を伸ばしていく教育に晩年のエネルギーを注がれていたことも驚きで在り、素晴らしいエピソードであるなと感じます。

敗者としてあなたは勝者に手を差し伸べることが出来るのか?

まさに自身の品格や「目的」が試される問いなのだと思います。

☆よりよく学ぶ姿勢

さて、それぞれの「目的」を思い出すことは出来たでしょうか?
こうした社会起業家と呼ばれるような先駆者たちの多くは

「高速道路を使いなさい」

と言ってくれています。
つまり、彼らが切り拓いた道を、ほんの少しの使用料をおさめて使えば、彼らの切り拓く最前線迄の時間を最速で学び、追いつくことが出来ます。そのうえで、そこからは最前線で共に汗をかく仲間として、共に歩もうよと手を差し伸べてくれているわけです。

前回触れたような、自分が主役、自分の利益ありきという考え方で失敗を繰り返す人々がこの高速道路を使うことを拒絶するのは言うまでもない所。

自分が「主役」で自分に「利益」が落ちる為ことの優先順位が高いので、謙虚に学んだり、よりふさわしい人に学んだり、その人を支えるようなポジションになることは最初から選択肢にないからです。そして、高速道路の隣の未開の場所に一から道を作ろうとして、それを自分以外に人にやらせようとします。

「弱者の為に」「地域の為に」「国の為に」という掛け声は嘘で、その言葉を信じた善良な人の時間、お金、エネルギーといったより多くのコストをかけて、そのほとんどが挫折します。しかも、彼らはやらなかった「協力者」達に責任を押し付けて逃避します。

ですので、反省もなく、同じ失敗を繰り返していく事になるのです。
これは官公庁にも大企業にもあり、小さな街にもある、この国によくある失敗の定番パターンとも言えるでしょう。

それと、先に同じ課題に取り組んでいたのに、ちょっとあとからよりよい発想、よりよい手法、よりよい成果をあげた人に嫉妬し、敗者として手を差し伸べられない人々もまたよく見かけます。

その悔しさはわかりますが、自身の至らない所を受容できず、目的を見失い、様々な自分以外の何かの理由をつけて勝者の名誉を棄損したり、クレームをつけたりする態度はいけません。

こうした態度や行動は、心がまさしく勝敗に拘泥し、本来の目的を見失った人の特徴であるとも言えるでしょう。前記の畑先生や佐伯コーチが「育てていく」人とは真逆の人格、品格に他なりません。

☆どちらを選ぶのか?

70億という人々の中には自分と真逆の価値観を持つ人々もいるでしょう。ですので、どちらが正しいから全員がこうするべきとか、昨今危惧される、そうではない人々や悪者認定の人を誰もが好きなだけ攻撃していいというような話ではありません。

自分自身がどう在って、どう生きていたいのか。

本当に心の深淵から湧き出てくるような感情を捕まえて、きちんと言行一致して生きていくかどうか。

もちろん失敗したり、つい損得で心とは裏腹の事をしてしまったり、ちょっと格好をつけて自分らしくない人真似をしてしまうことだってあるでしょう。それが人ですから。

でも、そんな紆余曲折していても、目的に向かって日々近づいていく。

そんな日々が積み重ねられると良いですし、その為に「未来目的」を意識して見つめていくような習慣を持っていると良いでしょう。

*参考


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