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さいさんの地方創生 note【能登半島地震が表出させた現在地②・繰り返される歴史】

前回はこちら。行政のリスク管理において、その考え方、やり方を見直そうというテーマからになりました。
 
今回の表紙画像は、実は金沢市の液状化エリアです。奥能登の2市2町にスポットがあてられている今回ですが、金沢市内にもこうした甚大な被害を被ったエリアがあります。一階が半分めりこんじゃうくらい、液状化で地盤が沈んでいます。

そして振り返れば、私たちは津波にしても、津波から連鎖した火災にしても、地震に伴う液状化もこの国のどこかで経験済みです。土石流や洪水、高潮、暴風、大雪等々。初めてという自然災害はむしろ稀有ともいえる状況でしょう。

にもかかわらずこうしたリスクを評価し、その分析を公開し、備えていく。そんなことが国から都道府県、市町村という行政カテゴリーのほとんどで必要十分レベルにない。毎年のように「想定外」が起こる。そんな現実を示している今とも改めて感じました。このあたりは1月11日にアップしたこちらもご参照ください。

☆現在地の確認

「リスクとは不確定事象」と前回触れましたが、やはり前例事例からしか動けないという慣習。「過去の確定した事象」から踏み出せない現状のありかたは、危機管理上の根底リスクがつきまといます。オリンピックや万博、道路や道の駅などの行政計画がいつも予算通りに収まらないのは、こうした予測機能における根本的なロジックミスと言う点で同じ・とも言えるでしょう。

しかも、平時におけるこれらの「想定外」には財源の議論すらなく追加予算が投じられていくのに、今回のような有事においては財源を盾にして支出の紐を絞ろう、絞ろうとしてきます。特に今回は予備費というグレーな状況ということもあって、必要とされる各省庁のパフォーマンスが熊本地震と較べて明らかに落ちているように見えます。

奥能登エリアの避難所へ宅配されるお弁当は富山県氷見市から片道3時間以上をかけてきていたりしていましたが、こうした避難所の「食」を補ってきた自衛隊の避難所炊き出しは既に終了しています。自衛官の方々もこうした避難所の心身のケアには後ろ髪をひかれる気持ちも示したりしてるものの、状況お構いなしで前例事例に基づいた行政スケジュールだけが粛々と進む。これは東日本大震災時以上にやばい状況に見えました。

そして結局、こうした現場の穴を防ぐのは誰か?ということになる。

それが行政の仕事ではない・となるのであれば、否応なしに国民の善意に押し付けられる・ことになるわけです。

ネットの時代における悲鳴のような現場発信とその発信に反応する優しい誰かの善意が頼り。行政が手一杯だから、誰かのつらさや悲しみはボランティアで応援しない国民のせいだよ・と。そんな踏み絵のような状況を作り、公費ではなく、民の私費を投じさせて補う。それが事実上の今の国の方針といえるような状況にすらなっているのではないか?とも見えます。

公民問わず、震災支援に関する補助金は一定規模の団体達による争奪戦状況です。これらの申請や可否に関わらず動く個人や小さな団体は、自然と選ばれにくくなる話も耳にします。ゆえに、被災した方々と所縁のある個人やその小さなチームが私費と時間を投じても、持続せず、個々人の資産やリソースを壊滅的に失って撤退という結果が待ち構えています(この状況は、全体の経済を下げてしまう感情連鎖にもつながるともいえるでしょうか)。

そんな中にあって、今回の能登半島地震では「予算、財源がないから復旧すらしない(取捨選択させて頂く)」旨の発言が国の官僚から次々と「公」に発信される。なんとも空恐ろしい状況にもなってきています。こうした発言は政治(国会)のガバナンスが行政に対してまったく効いていない証左でもあって、正直、背筋が寒くなります。

☆繰り返される失敗一歩前

さて、やはり1月の note でも触れてきましたが、そんな理由からも、今回の能登半島地震では「こんなに頑張った行政(自称)」と「何もしてくれなかった役立たず行政(被災者)」の感情的対立はそこかしこにおこってしまいそうだと感じています。

輪島の市内でも「市長や議員を選び間違えた」なんて話もよく耳にしましたが、この辺りは本当に古のアドラーがいうように「問題の9割はコミュニケーション」だと思います。ヒアリングと言う情報交換ではない、傾聴と言う感情に寄り添った対話機会をもっと増やしてほしいと今回もまた痛切に感じています。

そして、こうした人の心身に携わる専門職に対してはきちんと「対価」を支払う方向に考え方を変えるべきだと言えます。倒壊家屋調査における技術職が不足している件でもそうですが、なぜか

ボランティアがいないから

って言葉が行政サイドから出ます。
いやいや、それこそ行政が仕事として技術職や専門の心理職の方々に仕事として発注しましょうよ・とは率直に思いました。逆になんで専門職の人や会社が「ボランティア」として救世主のように大挙して現れる。それが有事の当たり前になっているのか。その考え方こそが不思議でなりません。
 
小さな地方自治体だって、実はそこらの上場企業並みの予算規模をもっていたりします。過去の災害経験に伴う情報や知識もあるはずです。
 
自分たちの地域を支えてきた被災者と地域。
その一人一人、一つ一つにわかりやすいインフラではないソフトウェアの支援を行うこと。その為に必要な対価をハードインフラ同様に支払うこと。

そんな時代的に当たり前ののアップデートを行う(あわせてこれらの人材、企業をディレクション出来る人材を行政内部に雇用し、育成する)。それが、行政組織として今乗り越えたいピースの一つではないかと感じています。

つまり、組織形態が昭和のフレームままだと、時代的にも限界、無理ってことです。

*続きます!


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