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日々の雑感 day50【スポーツと私】

はい。

今週も調子に乗って #スポーツがくれたもの をテーマに書いていきたいと思います。

☆縁遠かったスポーツ

現在のこの国の偉い方々がそうであるように、うちの母もスポーツに理解があるとは言い難い人でした。小学校の頃は「スポーツなんて馬鹿がやるものだ」と言い放っていましたし、一方でうちの父は「芸術やる奴なんて社会の無駄」くらいなことを平気で言っていました。

なので、僕や妹達はスポーツやアートに取り組む為にはとにかく向かない家庭に生まれてしまったと言えるでしょう。

そんなわけで、小学校の頃は僕は希望していたサッカーがやれませんでしたし、末妹は剣道が出来ませんでした(なぜか長女だけがやたらと金のかかるバレエをやってましたが・・)。

それでも小学校4年の時の担任教師の方が知恵を働かせてくれて母に「受験も最後は体力が決め手だったりする」と吹き込み、体力づくりの一環としてスイミングスクールに通う事の許可がおりました。

☆心との出会い

そのプロセスもあって、中学受験に成功した僕は進学先で水球と出会うことになります。しかも、塾の四谷大塚で応援してくれた大学生のチューターさんが「チームスポーツをやってみよう!」と書いてくれた通りになったわけです。

その中で今も続く財産となっているのは、明らかに「心」との向き合い方です。

100の能力を持っていても、自分より強い相手、困難な状況になった時に70、80の力しか出せないような選手は選ばない。90の能力でも、どんな状況、どんな強い相手にも90を出し切れる選手を選ぶ。生まれ持った能力には限界はあっても、心の強さは自分次第でどこまでも伸ばせる

この言葉は身体能力を較べてないものねだりをしがちだった当時の自分を変えただけではなく、今も自分自身が大切にしている価値観となり、自分自身が未来を育む若い世代へと伝えている大事な指標ともなっています。

☆多様性への感覚知

そしてもう一つは、多様性を肌で学べたことです。

というのも、大人になってわかる日本の進学校における弱点の一つは、均質過ぎるところだったからです。

校風や学校が求めるタイプの中から能力順で合格者を決めていきますので、良くも悪くも全員が同じようなブランド品。せいぜい色が違うだけで同じようなスペックの商品ともいえるでしょう。

こうした均質的で短期記憶に優れ、ペーパーテストを得意とする性質の人を集める大学があり、さらにこうした大学の集まりからさらにペーパーテストで公務員や法曹関係者が選ばれて行きます。

こうした人々の世界は、日本にいる1億人の中の1万分の1以下であろうともいますが、それが彼らの中では当たり前の世界であり、この当たり前の世界だけの常識や正論があり、その世界のロジックや常識を理解しない99%以上の人こそおかしい。だって俺たちこそ国を代表するエリートなんだからと考えてしまう。

そんな下地にすらなりかねない・・というと極端過ぎる例えでは・・

とも言えますが、存外そうでもないのかもと思うシーンはこの一年に嫌というほどあったのではないでしょうか?

この点で僕が「そうならずに」良かったと振り返って思い出すのは、東京都内に限らずいろんな地域、いろんな背景を持つ選手たちと試合を通じて出会えたことでした。

真剣にゲームをして、時には語り合い、同じごはんを食べたりして、一人一人の違いを個として当たり前に受け入れて、その中で全体としてのよりよい未来(目標、結果)を目指していく。

そんな経験は、団体競技だからこそ得られた部分は大きかったなぁ・と思うわけです。

最近は特に、SDGs の登場で「多様性」という言葉がこの国ににも大分、浸透してきたかの感もあります。

けれど、多くのシーンで本当の意味での多様性ではなくて、均質化した多様ではないものの見せかけを色違いにするだけで「多様性」と呼び、相変わらず異なる存在そのものや、自分達の範疇から突き抜け、飛び抜けようとする人々を同調圧力で潰しにいくかのようなケースもまた目にするわけです。

こうした点で、自分がチームスポーツを通じてその本質を体験し、経験という「知」におとしこめていることは、表面的な「情報」として知っているだけで、真に使えていない人との違いとして本当にありがたいと感じるところなのです。

☆というわけで4つのC

・control(セルフコントロール。自分で自分の手綱を握る)
・concentration(集中。今、目の前にフォーカスし、客観視する)
・confidence(自信。その為にも練習する事。挑戦を楽しむ事)
・communication(対話。自分自身と相手とお互いを動かしあえること)

今の自分は、当時学んだこうした財産を使うべくして使っている。

むしろもっと早く気づいていた筈なんですが、心の在り方と向き合い、相手の多様性を尊重できるからこそ、話を聴いて、フェアに話が出来る。

ゆえにコミュニケーションを使ったお仕事が出来てきたし、自分の特徴でもあった。

東日本大震災ではのべ100ヶ所を超える避難所や仮設住宅で話を聴き、単なるアンケートではない一歩二歩と深いニーズ調査を実施出来た。

さらにはその時、短い時間ながらも国境なき医師団のメンタルドクターとの御縁もあり、今はメンタルコーチとして様々な人に機会を頂けている。

スポーツから受け取ったものは、そんな今の自分を作っている大きなきっかけとなった。

そんな風にも改めて思うテーマでした。


*参考(今回は共感し、影響を受けたスポーツ関連)

☆オシムさんは本当に大好き。

☆この本で自分の人生を生きる事を決めたとも。ボブ・グリーンはジャーナリストとしての先生(お手本)にもなった。

☆これは経営者としても結構パンチがあった。カンプノウに行ったのはもう6年前くらいか(バルセロナ vs マンチェスターC戦)。

ありがとうございます。頂きましたサポートは、この地域の10代、20代への未来投資をしていく一助として使わせて頂きます。良かったら、この街にもいつか遊びに来てください。